昭和30年頃は農協の茂平支所のみ。昭和35年頃は吉本商店と電電公社勤務のN家にあった。
昭和44年頃農集電話が家庭に入った。
家庭電話として一挙に茂平に普及したが、5~6軒が共同で一つにの回線のため、話し中が多いのが難点だった。
1~2年以内に農集電話から脱退して個別電話に変わっていった。
昭和44年頃農集電話が家庭に入った。
家庭電話として一挙に茂平に普及したが、5~6軒が共同で一つにの回線のため、話し中が多いのが難点だった。
1~2年以内に農集電話から脱退して個別電話に変わっていった。