父の所属する部隊の記録を転記する。
「岡山県郷土部隊史」より転記
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(昭和13年)
師団は11月29日漢口に着き、
翌30日鴨井丸・黒姫丸等四隻に乗船下航し、
12月5日南京に着き浦口より徐州を経由して12月11日石家荘に着く。
北支についた各部隊はそれぞれ、石家荘を中心として南北の各主要都市に分散して守備につく。
昭和14年にはいって第一期粛正作戦を四次に分けて行い、第二期粛正戦を行う。
8月11日復員下令をうけ、9月下旬から石家荘付近に集合し、
10月初旬青島を出発して10月中旬晴れの郷土に帰還した。
満二箇年聖戦の名の下に支那各地に転戦武勲の数々の中にとうとい犠牲となった勇士は七百余人、
第一中隊の如きは在籍者四百人のうち健在者はわずか七人にすぎなかったという。
戦いの現実は実に生命のやりとりで、残酷極まりないとの感を深くする。
昭和14年10月郷土に帰還した歩兵第十連隊はしばらく兵舎で英気を養っていたが、
翌昭和15年8月1日満州派遣の編成下令があり、8月7日編成完結し、いよいよ岡山を後に出陣し、8月12日宇品で乗船、8月16日羅津に上陸して、8月20日佳木斯(ジャムス)に着く。
佳木斯では対ソ戦車戦闘等に専念し、精鋭を誇っていた。