過剰人口を数百万人、国外へ移住さす方針を出した政府は
その4年後には、移住政策(減らす)と同時に多子(増やす)を奨励した。
「福山市史 下」福山市史編纂会著 昭和58年発行 より転記する。
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食糧不足・物資不足のなかで、それらの節約が叫ばれたのとは逆に、「人的資源の確保」を目的に、「生めよふやせよ」と子どもをたくさん生むことが奨励された。
「遅くとも21歳までに結婚し、少なくとも五子をもうけよ」といわれ、
その徹底ぶりは、市内の新生児が14年の1.045人から翌15には1.819人、16年には1.790人と増加し、
19年2月には市内に18歳から49歳までの「身重の国策婦人」が1.886人いるといわれるほどであった。
子どもの多い「多子家庭」や多くの出征者や戦死者を出した「国策家族」は、表彰の対象にさえなった。
「人的資源の確保」とは戦死者の補充にほかならなかったのである。
その4年後には、移住政策(減らす)と同時に多子(増やす)を奨励した。
「福山市史 下」福山市史編纂会著 昭和58年発行 より転記する。
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食糧不足・物資不足のなかで、それらの節約が叫ばれたのとは逆に、「人的資源の確保」を目的に、「生めよふやせよ」と子どもをたくさん生むことが奨励された。
「遅くとも21歳までに結婚し、少なくとも五子をもうけよ」といわれ、
その徹底ぶりは、市内の新生児が14年の1.045人から翌15には1.819人、16年には1.790人と増加し、
19年2月には市内に18歳から49歳までの「身重の国策婦人」が1.886人いるといわれるほどであった。
子どもの多い「多子家庭」や多くの出征者や戦死者を出した「国策家族」は、表彰の対象にさえなった。
「人的資源の確保」とは戦死者の補充にほかならなかったのである。