しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

日中戦争と郷土部隊②暴支膺懲(ぼうしようちょう)  岡山県史近代Ⅲ

2018年02月15日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)

岡山県史近代Ⅲより転記する。

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(昭和13年7月)

現地では、ともかく11日午後8時に停戦協定にこぎつけた。

ところが、同じ日
軍中央では「三個師団か四個師団を出して一撃し手を挙げさせる、一部兵力を残せば北支から内蒙古は思うようになる」
という拡大派が大勢を制し、近衛内閣は「重大決意」のもと華北へ派兵を決定、事件拡大に大きく踏み出した。

「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す」という、
極めて道徳的で感情的な戦争目的しか掲げることができなかった。

近衛内閣や軍人たちの、中国に対する優越意識は、万世一系の天皇を頂点とする国家が「面目」や「威信」を傷つけられた時、「反省を促す」ために「膺懲する」。


中支那方面軍司令官松井石根大将の言は認識の構造をよく示している。

「日華両国の闘争は「亜細亜の一家」内における兄弟げんか。
一家の兄が忍びに忍び抜いても乱暴を止めない弟を打擲(ちょうちゃく)するに均しく、可愛さ余っての反省を促す手段たることは余の信念なり」

ほんの一撃で降参するはずの中国軍の、予想以上の抵抗で大打撃を被った上海戦の後、いきあたりばったりで充分な補給もなく、略奪・強姦・虐殺を続けながら南京に殺到した日本軍の、あの南京大虐殺は「可愛さ余って憎さ百倍」の結果であった。


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日中戦争と郷土部隊①盧溝橋の銃声  岡山県史近代Ⅲ

2018年02月15日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)

岡山県史近代Ⅲより転記する。

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盧溝橋事件は偶発的な事件であった。
日本軍の満州での傀儡国家樹立とそれ以後の華北への侵略行動に対して、中国は、いつ何時でも日本軍に反撃を加え追い出す正当な権利を有していた。

「日本軍の面目が立てればよい」「軍の威信上奮起した」「我が軍を冒涜するも甚だしい」
というのである。

実際に損害を受け危険が迫っているとか、戦略・戦術上必要であったからというのは全くない。
非合理的な日本軍の優越感情、裏返して言えば、中国人に対する侮辱意識が、日中全面戦争の起点にあったのである。
非合理的なナショナリズムが、最低限の軍事的な意味での合理性さえ損なっていた。


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