しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

佐藤義亮

2021年06月08日 | 銅像の人
場所・秋田県仙北市角館町 「新潮社記念文学館」


新潮社の創業者・佐藤義亮氏が、この町の生まれ。
こうゆう古都からこのような文化人が出るのもふさわしい、と思ったりもする。





(Wikipedia)
佐藤義亮
明治11年(1878年)~ 昭和26年(1951年)73歳没
出身・秋田県仙北郡角館町
新潮社の創立者。
雑誌「新潮」を発行した。






(新潮社のHPより)

佐藤義亮さんをご存知でしょうか?
佐藤義亮さんは、新潮社を創立するにあたって、「自らの気持ちに反する書物を世に出すことは死んでもするな!」と語っておられます。
これ、経営理念そのものですね。
ビジネスの現場では時に理不尽な要求があったりします。
中には脅し文句や豪華な見返りの代わりに自分達に都合の良い記事を書くように迫られることもあるでしょう。
しかし、佐藤義亮さんはこれらの要求に決して屈しないということを従業員に示しています。
従業員は佐藤義亮さんの理念に沿って日々の仕事を遂行することを求められます。



近年、・・・ここ10年くらい、
週刊「新潮」も、雑誌「新潮」も、創業者の理念から少し離れているように感じる。
大衆に迎合と思える記事が多い、
魅力ある記事が少なくなった。



撮影日・2018年8月5日


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岡山県知事・三木行治(桃太郎知事)

2021年06月08日 | 銅像の人
場所・岡山県倉敷市福田町古新田 水島緑地福田公園・三木行治園
ブロンズ
作者 富永直樹
像高 350cm 台高 80cm
昭和63年12月 
岡山市出身(明治36~昭和39年)


選挙での岡山県知事は、西岡・三木・加藤・長野・石井・伊原木と6人いるが、”桃太郎知事”と呼ばれたのが三木知事。
なぜ桃太郎知事と呼ばれたんだろうなあ?
大手饅頭知事ならわかる。




「岡山の歴史」 柴田一  岡山文庫  昭和49年発行
三木行治
岡山県知事(昭和26~39年)
在任中水島臨海工業地帯の開発に努め「名知事」と謳われた。



昭和26年第2回県知事選で西岡知事を破って当選したのが三木行治である。
”私なき献身”と”清潔”さでひたむきな情熱を注ぎつづけた13年余りの県政のねらいは、
農業県であった岡山県を一挙に工業県に飛躍させることであった。

「わが国の今後のあり方が、その多くを工業力に期待するといっても誤りないと思われる。
したがいまして、大企業の育成誘致にはもっとも努力を捧げたい」

この構想は池田勇人内閣の高度経済成長政策を先取りしたものであり、
それは水島臨海工業地帯の建設に具体化された。

難関があり、その第一が工業用水の確保。
高梁川上流に河本ダムをつくり、支流に新成羽ダムの工事を起こした。

第二は10万トン級タンカーが横づけできる港湾の問題である。
当時の水島港は水深2.6m、それを16mにし、浚渫土で工業用地を造成した。

第三が大企業誘致だった。
昭和32年に日本砿油、33年に三菱石油、36年に川崎製鉄の誘致をとりきめた。
その間、日本鉱業、中国電力、日本瓦斯化学、東京製鉄の誘致が決定。


水島に誘致した大企業が本格的に操業をはじめた昭和35年前後から、公害問題が起こった。
都市と農村、県南と県北の所得格差がおこった。








撮影日・2013年4月4日


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