場所・香川県小豆島町田浦 二十四の瞳映画村
戦後の日本人にとって、じつは国民こそが軍を支持していたという事実を忘れてしまいたい。
戦争では日本国民こそが被害者だったと主張する反戦映画が盛んに作られ、
そこには相手側のことは描かれなかった。
その意味でもっとも見事な表現が、1954年木下恵介監督の「二十四の瞳」にある。
最初楽園のような生活描写にあてられていて、これが素晴らしい。
まもなく学校が軍国調になってくるとそれが嫌な先生は教師を辞職してしまう。
そして戦後、生活のため復職した先生は往時を回顧してすっかり感傷的になる。
教え子たちが何人も戦死していたからである。
戦後に日本では、「二十四の瞳」に限らず、戦争を反省した映画がたくさん作られた。
その主流を占めていたのは戦争では日本人自身もひどいめにあったから、もう戦争は嫌だ、というものだった。
「真空地帯」「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」、そして数多くある特攻隊を扱った作品。
それらの作品に日本人は納得する。
戦争ではアジアの人々をひどいめにあわせた。
だから反省しなければならない、ということを主題にしている作品は滅多にない。
「戦争と平和」「嵐の中の母」「人間の条件」、そして日中合作「未完の対局」ぐらいだろうか。
大石先生は、軍国教育に手を汚さない。
傷痍軍人・磯吉の、戦地での殺し合いや非人道的な行動はスルーしている。
木下監督は、戦争相手国(中国)と合作で、「二十四の瞳」では表現できなかった映画を画していたそうだが、
残念ながら実現できずに亡くなった。
この映画は、日本映画史上最良の作品の一つであると評価している。
しかし、あとで考えると疑問も生じるのである。
戦死した教え子たちは、あの無邪気なあどけない少年のまま死んだのではない。
敵兵も殺しただろうし、なかには残虐行為をやったものもいたかもしれない。
まるで純真無垢のままに戦争の犠牲になっただけであるような錯覚が生じる。
先生自身、学校が軍国調になると退職して手を汚さずにすんだように、
これでは全く一般の日本人には戦争責任がなかったかのようである。
・・・
「二十四の瞳」はまだ国交もなかった時期に中国でも上映されているが、
有名な謝晋監督は、当時これを見て感動し、そして
戦争では日本人も被害者だったということがこの映画で分かって感動したといった。
すぐれた作品である。しかし
日本人としてはそれで涙を流しているだけでよかったのか。
「映画の真実」 佐藤忠男 中公新書 2001年発行
撮影日・2007年5月3日
戦後の日本人にとって、じつは国民こそが軍を支持していたという事実を忘れてしまいたい。
戦争では日本国民こそが被害者だったと主張する反戦映画が盛んに作られ、
そこには相手側のことは描かれなかった。
その意味でもっとも見事な表現が、1954年木下恵介監督の「二十四の瞳」にある。
最初楽園のような生活描写にあてられていて、これが素晴らしい。
まもなく学校が軍国調になってくるとそれが嫌な先生は教師を辞職してしまう。
そして戦後、生活のため復職した先生は往時を回顧してすっかり感傷的になる。
教え子たちが何人も戦死していたからである。
戦後に日本では、「二十四の瞳」に限らず、戦争を反省した映画がたくさん作られた。
その主流を占めていたのは戦争では日本人自身もひどいめにあったから、もう戦争は嫌だ、というものだった。
「真空地帯」「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」、そして数多くある特攻隊を扱った作品。
それらの作品に日本人は納得する。
戦争ではアジアの人々をひどいめにあわせた。
だから反省しなければならない、ということを主題にしている作品は滅多にない。
「戦争と平和」「嵐の中の母」「人間の条件」、そして日中合作「未完の対局」ぐらいだろうか。
大石先生は、軍国教育に手を汚さない。
傷痍軍人・磯吉の、戦地での殺し合いや非人道的な行動はスルーしている。
木下監督は、戦争相手国(中国)と合作で、「二十四の瞳」では表現できなかった映画を画していたそうだが、
残念ながら実現できずに亡くなった。
この映画は、日本映画史上最良の作品の一つであると評価している。
しかし、あとで考えると疑問も生じるのである。
戦死した教え子たちは、あの無邪気なあどけない少年のまま死んだのではない。
敵兵も殺しただろうし、なかには残虐行為をやったものもいたかもしれない。
まるで純真無垢のままに戦争の犠牲になっただけであるような錯覚が生じる。
先生自身、学校が軍国調になると退職して手を汚さずにすんだように、
これでは全く一般の日本人には戦争責任がなかったかのようである。
・・・
「二十四の瞳」はまだ国交もなかった時期に中国でも上映されているが、
有名な謝晋監督は、当時これを見て感動し、そして
戦争では日本人も被害者だったということがこの映画で分かって感動したといった。
すぐれた作品である。しかし
日本人としてはそれで涙を流しているだけでよかったのか。
「映画の真実」 佐藤忠男 中公新書 2001年発行
撮影日・2007年5月3日