しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

菅原道真 (徳島)

2021年06月07日 | 銅像の人
場所・徳島県徳島市眉山町天神山  眉山天神社

菅原道真公を祀った神社数は、万を超えるから、その銅像も全国に多々あるはず。
このブログでは、徳島市の眉山ロープウェイ駅前にある菅公像を代表して載せる。






天神様

八百万の神々のうち、天神様ほど日本人に親しまれた神様は珍しい。

天満天神。
この神様の正体こそ、平安王朝の花開いた9世紀の末から10世紀初めにかけて、たぐいまれな才能を持ちながら、
悲劇的な最後を遂げねばならなかった文人政治家、菅原道真である。

道真は儒学の学者の家柄で、血筋を受けて、少年時代から当代随一の秀才という呼びこえが高く、
官僚として順調な出世コースを歩いた。
昌泰2年(899)55歳の道真は、右大臣右大将となり、ライバル藤原時平は左大臣・左大将になる。
昌泰4年、道真57歳、太宰府へ左遷。
延喜3年(903)59歳の人生を閉じる。

道真の死後、京都では天地異変がしきりに起こった。
旱天・流星・大地震などが続き、
人々は道真の怨霊が京の空に舞い戻ってきたのではないかと噂し、
人心の動揺は、はなはだしいものがあった。

このため、朝廷では神社を建立して道真の霊を慰めることとした。
大宰府天満宮・北野天満宮などのいわゆる天神社がそれである。
その後、天満天神はしだいに文筆・学問の神として庶民の信仰を集めるようになった。
そして、江戸時代には
「菅原伝授手習鑑」のような歌舞伎芝居にも取り上げられ、
天神様は手習いの神様として親しまれ、全国に広まっていったのである。

現在、全国の神社総数はおよそ8万、このうちいわゆる天神様は1万1千を数える。


「日本史探訪5」 角川書店編  角川文庫  昭和59年発行







撮影日・2013年9月19日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦島太郎 (鳥羽)

2021年06月07日 | 銅像の人
場所・三重県鳥羽市  鳥羽港(鳥羽湾めぐり観光船)



浦島太郎は、絵本と童謡で、誰でも知っている。
子どもの時には、
海の中の竜宮城へ行って、呼吸はできるんだろうか?
玉手箱を開けると若者が老人になる、その”変身”ぶりに驚いたり、
めでたし・めでたしで終わらないので、最後がすっきりしなかったり。






隣の市(といっても、海を隔てた)、香川県三豊市も浦島太郎伝説で有名。
荘内半島の先端ふきんをドライブすると、浦島太郎の物語の雰囲気を感じる。
今も静かな浜辺の漁村は、時代の変化をあまり感じさせない魅力がある。




ここ三重県の鳥羽市では、観光船の船主に、飾りで浦島太郎がついている。
デッキには乙姫様やタイやヒラメもいる。





浦島太郎伝説は鳥羽市にはないはずだが、
こと鳥羽観光に、少しでも役に立つとなれば利用したという感じ。
見て違和感はない。




撮影日・2013年6月7日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする