場所・徳島県徳島市眉山町天神山 眉山天神社
菅原道真公を祀った神社数は、万を超えるから、その銅像も全国に多々あるはず。
このブログでは、徳島市の眉山ロープウェイ駅前にある菅公像を代表して載せる。
天神様
八百万の神々のうち、天神様ほど日本人に親しまれた神様は珍しい。
天満天神。
この神様の正体こそ、平安王朝の花開いた9世紀の末から10世紀初めにかけて、たぐいまれな才能を持ちながら、
悲劇的な最後を遂げねばならなかった文人政治家、菅原道真である。
道真は儒学の学者の家柄で、血筋を受けて、少年時代から当代随一の秀才という呼びこえが高く、
官僚として順調な出世コースを歩いた。
昌泰2年(899)55歳の道真は、右大臣右大将となり、ライバル藤原時平は左大臣・左大将になる。
昌泰4年、道真57歳、太宰府へ左遷。
延喜3年(903)59歳の人生を閉じる。
道真の死後、京都では天地異変がしきりに起こった。
旱天・流星・大地震などが続き、
人々は道真の怨霊が京の空に舞い戻ってきたのではないかと噂し、
人心の動揺は、はなはだしいものがあった。
このため、朝廷では神社を建立して道真の霊を慰めることとした。
大宰府天満宮・北野天満宮などのいわゆる天神社がそれである。
その後、天満天神はしだいに文筆・学問の神として庶民の信仰を集めるようになった。
そして、江戸時代には
「菅原伝授手習鑑」のような歌舞伎芝居にも取り上げられ、
天神様は手習いの神様として親しまれ、全国に広まっていったのである。
現在、全国の神社総数はおよそ8万、このうちいわゆる天神様は1万1千を数える。
「日本史探訪5」 角川書店編 角川文庫 昭和59年発行
撮影日・2013年9月19日
菅原道真公を祀った神社数は、万を超えるから、その銅像も全国に多々あるはず。
このブログでは、徳島市の眉山ロープウェイ駅前にある菅公像を代表して載せる。
天神様
八百万の神々のうち、天神様ほど日本人に親しまれた神様は珍しい。
天満天神。
この神様の正体こそ、平安王朝の花開いた9世紀の末から10世紀初めにかけて、たぐいまれな才能を持ちながら、
悲劇的な最後を遂げねばならなかった文人政治家、菅原道真である。
道真は儒学の学者の家柄で、血筋を受けて、少年時代から当代随一の秀才という呼びこえが高く、
官僚として順調な出世コースを歩いた。
昌泰2年(899)55歳の道真は、右大臣右大将となり、ライバル藤原時平は左大臣・左大将になる。
昌泰4年、道真57歳、太宰府へ左遷。
延喜3年(903)59歳の人生を閉じる。
道真の死後、京都では天地異変がしきりに起こった。
旱天・流星・大地震などが続き、
人々は道真の怨霊が京の空に舞い戻ってきたのではないかと噂し、
人心の動揺は、はなはだしいものがあった。
このため、朝廷では神社を建立して道真の霊を慰めることとした。
大宰府天満宮・北野天満宮などのいわゆる天神社がそれである。
その後、天満天神はしだいに文筆・学問の神として庶民の信仰を集めるようになった。
そして、江戸時代には
「菅原伝授手習鑑」のような歌舞伎芝居にも取り上げられ、
天神様は手習いの神様として親しまれ、全国に広まっていったのである。
現在、全国の神社総数はおよそ8万、このうちいわゆる天神様は1万1千を数える。
「日本史探訪5」 角川書店編 角川文庫 昭和59年発行
撮影日・2013年9月19日