子どもの頃、
父が枡を手にして炒った大豆を投げていた。
「鬼は外」の豆は、庭(カド)に投げる。
「福は内」の豆は、畳の間に投げる。
畳の豆は拾って食べていたが、カドに投げた豆はそのままだった。
縁起物なので楽しく食べていた。
”恵方巻き”という言葉は、十数年前に初めて知った。
↓「鴨方町史」「岡山県史」にも、一文字もないので、
平成時代になって始まったものだろう。
神社・寺院の行事ではなかったが、いつのまにか寺社になったことも不思議だ。
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「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行
節分
立春の前日を節分と呼ぶのが通例である。
正月と同じように、
立春を年の初めと考えるところから、
大晦日と節分には混交した感覚が多い。
笠岡市真鍋島では大晦日にも節分にも豆を撒く。
寄島町では節分に豆を撒いてから麦藁舟を海に流すという。
この日は婚礼が多い。
節分に来た嫁は、福の神だといって喜ばれるからである。
総社市や芳井町では豆撒きをしないという。
節分に麦飯を食う習わしは県内のほとんど全域にある。
節分には麦の豊作を祈る儀礼に重点が置かれたのである。
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「鴨方町史」 鴨方町 昭和60年発行
節分
二月の節分には、大豆を炒ってイリ豆を作り、
一升枡に入れて年神様にお供えしておく。
それを一家の主人が夜、
「鬼は外、福は内」といってまく。
子供たちが拾って食べる。
豆まきをしない家も多い。
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「矢掛町史 民俗編」 矢掛町 ぎょうせい 昭和55年発行
Q
豆まきはいつごろしましたか。
A
そうじゃなあ。二月四日頃じゃなあ。
節分にゃあ、豆まきをしょうたなあ。
Q
三月三日は。
A
桃の節供ゆうてなぁ。
四日に「ヒナアラシ」じゃゆうてなぁ。
初びなの家で、近所の子供をよんだりしとりました。
今ごろはしゃあしましぇん。
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2023年2月3日、尾道の西國寺の節分豆まきに行った。
とにかく拾うのは楽しい。
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尾道ついでの寺社めぐり。
千光寺。
国宝が多い「浄土寺」。
この後、温泉にはいって笠岡に帰った。
来年は、福山の艮神社か倉敷の阿智神社の豆まきに行こう。
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追記・2023.2.4
中国新聞(2023.2.4)の写真記事
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