しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

青春歌謡映画は楽しい「絶唱」

2023年02月24日 | 昭和の歌・映画・ドラマ

昭和41年日活映画「絶唱」

 

 

 

 

 

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智頭宿

2023年02月24日 | 【史跡】を訪ねる

智頭町を訪れた。
今も”智頭往来”の面影を残し、山々に囲まれ、千代川が流れる町。

 

(備前橋から見る千代川)

 

 

 

(備前街道では雪かきをしていた)

 

 

・・・

 

「鳥取県の歴史」 山中寿夫  山川出版社 昭和45年発行 

智頭宿

藩主の参勤交代の道筋で、智頭往来の要点でもあった智頭町は、
鳥取を出発した藩主の宿泊地となったところで、本陣がおかれていた。
馬や人足を用意しておく規定であったが、
冬季積雪のため交通路がふさがれたときには、
智頭町に駐在していた代官の命令で、百姓をあつめて雪をかきのぞき、
道をあけることになっていた。
また智頭は、備前街道の分岐点で、交通上の要所であったから、
商内市が月に6回、五・十の日にひらかれていた。

 

・・・

 

(智頭往来、このような大きな商家が並ぶ)

 

 

(「西河克己映画記念館」)

 

西河克己監督は名作「絶唱」を始め、数々の日活青春映画を残している。

 

 

撮影日・2023.2.21

 

 

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木山捷平

2023年02月24日 | 昭和21年~25年

近くに住むおば(父の妹)と、木山捷平は共通部分がある。

戦時中に満州に行き、戦後の満州で生死をさまよったこと。

 

・・・・


「木山捷平の世界」 定金恒次 岡山文庫  平成4年発行

渡満
昭和19年12月28日満州国の首都新京へ着任。
日本国内よりははるかに自由気ままな新天地での生活を味わう。
翌、昭和20年8月12日現地召集を受けて即日入隊。
その後、昭和21年7月14日引き揚げの途に着くまでの約一年間、
生死の間をさまよいながら難民生活を続ける。
文字通り極限状態の生活であった。
みさお夫人によれば、捷平は
「敗戦後の長春での一年間の生活は、百年を生きたほどの苦しみに耐えた。」
と語ったという。

飢えて死に 凍えて死なん日もあらん されど我は人は殺さじ

 

 

帰国
昭和21年8月23日
引揚船から佐世保に上陸した捷平は、翌日夜郷里笠岡にたどり着く。
みさお夫人は次のように記している。
笠岡駅の出口で私は降りて出る人を待った。
リュックを背負った真っ黒い顔の小男が、ゆっくり降りて㑏ち止まっていた。
それが捷平であった。
「お帰りなさい」
「飯はあるか、酒はあるか」
これが出迎えた妻への第一声であった。
駅前の宿屋に一泊の約束をしておいた、玄関へ入った。
「酒をどしどしたのむぜ」
といいながら握り飯を食べた。
佐世保を出てからまだ飯を食べていないことを私に告げた。

・・・

おばは逃げまどう中、一子を亡くした。
生きて笠岡に帰ってきたが、
「それからがまた、たいへんじゃった」と話した。

捷平さんが言う、”満州での一年間の生活は、百年を生きたほど”
で、おばの年齢をいうと、
もうすぐ、おばは200歳になる。

 

撮影日・2023.2.20

 

 

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