しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

おちょろ船

2023年02月09日 | 民謡

 

この本↓には、港の繁栄の必須条件の一つとして”茶屋”を述べてあるが、
たしかに、古い港町には必ずのように遊廓跡がある。
危険と長旅と男性だけの世界なので、そうゆうことになるのか。
そういえば戦時中にも聯隊のいるところ、従軍慰安婦がいた。何かと共通している。

 

 

 

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「瀬戸内の民俗史」 沖浦和光  岩波新書 1998年発行

おちょろ船

沖乗り航路を突っ走る大型帆船が増えてくると、どうしても芸予諸島の島々に風待ち・潮待ち港が必要になってきた。
海岸沿いをはしる「地乗り」航路は安全だが、日数がかかった。
「沖乗り」を通れば、二倍近く速くなる。
元禄期のころから北前船の数が急増した。
文化年間に御手洗港に波止が完成した。

近世の瀬戸内では、各地から船と人が集まる港の繁栄を維持するうえで、
どうしても必要なのは問屋・茶屋・芝居小屋の三点セットだった。
御手洗で茶屋を置くことが公認されたのは享保年間で、若胡子屋が一番古い。
明和5年(1768)の御手洗の人口は543人のうち94人が遊女だった。

「おちょろ船」は、遊女たちを乗せた小さな舟であった。
小船で物を売っていて、ついでに春をひさいだ。
「おちょろ」の相手は、陸上がりするだけのゼニのない下級の船乗りだった。
遊女屋の「おいらん」とは格が違った。
(明治維新後は「おいらん」と「おちょろ」の区別がしだいになくなり、
女たちの多くは船に乗って商売するようになった)


5人ほどがおちょろ船に乗り、船につくと縄ばしごで全員「顔見世」に上がる。
食事の世話から、洗濯、つくろい物までなんでもやる。
まさに「一夜妻」である。
客があっても無くても、真夜中の12時までは海上にいなければならぬ。
7時間も海上で客待ちせねばならぬのだから過酷な重労働である。

 

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櫓音頭

豊田郡豊町

 

御手洗をヨ素通りすればヨ
あの妓祈るか風変はるヨー

御手洗女郎衆の髪の毛は強い
のぼりくだりの船つなぐ

ちょろは出てゆく鷗は帰る
色の港に灯りはうつる

おちょろ船からあの妓が招く
招きゃ船頭さんの手がゆるむ

 

「広島県の民謡」 中国放送  第一法規出版 昭和46年発行

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撮影日・2007年7月28日   (広島県 大崎下島・御手洗)

 

 

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備中神楽

2023年02月09日 | 民謡

 

備中神楽は古い芸能にしては、今も盛んに受け継がれている。
日本人の心にしみる芸能に感じる。
大衆性・娯楽性にも優れているのだろう。

 

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「流域をたどる歴史・中国四国編」  ぎょうせい  昭和54年発行

備中神楽は「神殿神楽」とともに、
新しい芸能色の濃い「神代神楽(じんだいかぐら)」が大衆に親しまれ、
今日まで備中神楽のすべてを保存してきた。

神殿神楽
「神殿」と呼ぶ舞台がつくられ

神代神楽
大衆性、娯楽性が強い。
素朴さの中に郷土芸能として高いものを伝承している。
創案した西林国橋の功績と考えられる。
国橋は川上郡成羽町の神官で文化文政の頃(1804~1830)当時の卑俗な神楽を憂いて、
記紀などの古典を参酌して、神代神楽の改正や創案をした。
この国橋のつくった備中神楽(神代神楽)が、
現在まで村々で行われている。
神殿神楽のことを荒神神楽ともいい、
普通の備中神楽(神代神楽)と区別する。

一 岩戸開き
1・両神の舞
2・思兼命の舞
3・鈿女命の舞
4・手力男命の舞
5・天照大神の出御


二 国譲り
1・両神の舞
2・大国主命の舞
3・国譲りの掛合い
4・稲背脛命
5・事代主命の舞
6・国譲り
7・鬼退治


三 大蛇(おろち)退治
1・素戔嗚尊の舞
2・嘆きの舞
3・稲田姫との契りの舞
4・松尾命の酒つくり
5・大蛇退治

 

大衆性と芸能性とを十分にそなえていることが、
他地方の神楽に見られない点ではないかと考えられる。

 

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「備中神楽」 山根堅一 岡山文庫  昭和47年発行

備中神楽を今のように、郷土芸能として、民衆のものとしたのは、
文化文政年間に、成羽の神職西林国橋が、
神話劇三編の「神代神楽」を創案して、従来の神楽の中へとり入れてからのことである。


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神楽探訪」  三村泰臣  南々社  2013年発行


神殿(こうどの)神楽ともいわれ、人気の高い神楽
荒神信仰を基盤にしているので「荒神神楽」ともいわれ、
神殿(こうどの)という仮小屋を設置して行うことから「神殿神楽」ともいわれている。

 

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鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
荒神神楽


荒神神楽は、近年は備中神楽とも呼ばれている。
成羽などの奥から神楽大夫がきて、
猿田彦の舞・国譲り・天岩戸開き・大蛇退治などを演じた。
町内では三年舞・五年舞・七年舞などのような荒神神楽は、かなり以前から行われなくなっており、
現在では、秋祭りに余興として行われる宮神楽のみになっているようである。

 

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「矢掛町史・民俗編」 矢掛町 ぎょうせい 昭和55年発行

備中神楽

備中神楽を二つ分けると
「式年の太神楽」と例年各神社の宵祭りに行われる「宮神楽」に分けられる。
前者は荒神様を祭る十二支に関し、部落あげての大行事。
宮神楽は、神社の例祭に奉納されて、一年の報恩感謝と五穀豊穣を祈るものである。

昭和20年終戦とともに公式には神楽奉納は禁止された。
備中神楽は再出発した。

 

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撮影日・2019年12月1日  井原市芳井町花滝 「明治ごんぼう村」

 

 

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