場所・岡山県笠岡市笠岡
井戸平左衛門は、”芋代官様”と今も笠岡市民に敬われている。
薩摩芋の栽培は飢饉を救い、さらに人口増に寄与した(招いた)。
他にも、日本全国には多くの、”芋代官”や”芋大名”がいるのだろう。
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代官 井戸平左衛門の像
石見国大森代官として赴任して、享保17年(1732)から約1年間、笠岡代官を兼務した。
領民を飢饉から救うために、数々の善政を行った名代官として知られる。
この胸像は昭和30年に製作。白セメント製で、
かつて代官所があった笠岡小学校の校庭に建てられていたものである。
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井戸公園の説明版
井戸平左衛門正明第14代笠岡代官(1721)
さつま芋の栽培を広げて飢饉の窮乏から救った代官として有名。
享保18年5月(1722)幕府の許可を待たずに官庫の食糧を放出した責任をとって自刃、
また病死とも伝えられている。
墓は隣接の威徳寺にある。
平成2年4月14日井戸代官の縁により島根県大田市と友好都市縁組を結ふ。
笠岡市都市計画課
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撮影日・2023年10月14日