しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

鍛冶屋

2023年10月27日 | 失われた仕事

学校の音楽時間に習う『村の鍛冶屋』



暫時(しばし)も休まず 槌打つ響
飛び散る火花よ はしる湯玉
ふゐごの風さへ 息をもつがず
仕事に精出す 村のかじ屋

 

城見では大冝に「村の鍛冶屋」があった。
同級生のTくんのお父さんが鍛冶屋をしていた。
だからTくんのことを「鍛冶屋のTくん」と呼んでいた。
自宅の作業場は小道からも丸見えで、
Tくんのお父さんは「飛び散る火花」で「湯玉」の顔、
歌とまったく同じ、いつも「仕事に精出す村のかじ屋」だった。

 

・・・


「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

鍛冶屋
昭和20年までは、どの村でも鍛冶屋が見られた。
野鍛冶の場合、
農業で使う馬の足にはめる蹄鉄を作ったり、農具の修理もした。
刃先が欠けると、鍛冶屋はふいごの火で真っ赤に焼いて小槌で打ってもとに戻した。
農業の衰退とともに野鍛冶の仕事は減り、鍛冶屋は少なくなった。

・・・

 

「金光町 民俗編」 金光町  平成10年発行

 

 

鍛冶屋

鍛冶屋の仕事場は、広さ四、五坪ほどの土間である。
壁寄りには、ふいごが置かれ、
手前には仕事場・横座が掘られている。
誇座のまわりには、ふいごの火口や伸鋼させる鉄床、水を入れてあるフネがある。
火床の反対には、伸鋼させる向槌(むこうづち)がある。
ふいごは第二次大戦前後から人力からモーターに変わった。

農具の製作、
鍬先の歯継ぎなどの修理もしていた。
夏は四時、五時から仕事を始め、
冬は一日中仕事した。

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富山の薬売り

2023年10月27日 | 失われた仕事

遊んでいると、
行李を風呂敷で包み、背負って歩く薬売りが通りすぎる。
薬売りは家々を一軒づつ訪ねては、薬の補充や相談、金銭の授受を行っていた。
薬売りを見ると、無性に「紙風船」が欲しくなる。
家に帰ると、母が薬売りと話していて、それを見ていると・・・
見ているのでなく、風船を催促している・・・風船をくれる。
それが嬉しい。
紙風船を持って飛ばして遊ぶ。
しかし、男の子が風船を飛ばすのは二日と持たない。
いわば、一日限りの紙風船の楽しみだった。

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

富山の薬売り


明治34年には富山市では8.000人近くが製薬と行商を行った。
富山市の人口が約6万人の時代である。
行商人は手甲脚絆の姿で年に1回か2回、薬品を行李に入れて、
紺色の大風呂敷に包み、背負って売って歩いた。

服用された薬があれば、新たに補充する。
薬以外の商売をせず、信用を大事にした。

戦後間もなくは、病院の数は少なく、なた夜中に急に具合が悪くなったとき、
病院の対応も十分でなかったので、富山の薬は頓服として効力を発揮した。
サービスで紙風船がもらえた。

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「金光町史 民俗編」 金光町  平成10年発行


薬売り

富山、総社から来ていた。
四段重ねの籠を薬袋に入れ、
大風呂敷に包んで背負って来ていた。
年に一~二回得意先を回り、
薬袋の交換、補充と集金をしていた。
薬行商人は、子どもへの土産として紙風船をくれており、
置き薬屋さん、オイッチニの薬屋さんと呼ばれ、親しまれていた。

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「昭和の仕事」  澤宮優 弦書房 2010年発行

富山の薬売り

頭痛薬、腹薬、傷薬などの薬を各家庭に預けておき、
一年に一度、在庫状況を見に来ていた
薬箱の薬の差替えをして、
毛筆で通い帳と薬箱の蓋に記帳し、使用した薬代を決裁した。
紙風船を土産に持ってきていた。

 

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