場所・岡山県笠岡市甲弩「神護寺」
訪問日・2024年4月6日
江戸時代後期以降の建築物は、笠岡ふきんでも、珍しくないが
江戸時代中期・前期となると滅多にしか見ることが出来ない。
まして、ここ神護寺の本堂は戦国時代の建造物。
本堂の前に立つと、
風雪に450年耐えて、神々しくさえ感じる。
岡山県指定建造物
神護寺本堂
神護寺はもと神宮寺と呼ばれ、
甲怒(弩) 神社の別当寺として創建されたと考えられるが、
その時期は明らかでない。
室町時代にはこの地方の領主小田氏の帰依を得ていて、
現本堂が永禄11年 (1568)10月に、
小田高清を大檀那として建立されたことを証する銘文が棟木に墨書されている。
また寺内に、天正3年 (1575)8月18日死去した高清の位牌が祀られている。
戒名は孚臺院殿良玄秀郭居士。
さらに本堂には棟札二枚があり、その一枚は天正15年(1587)10月に、
高清の子元家らが本堂の屋根を瓦葺きにしたこと、
他の一枚は文化3年(1806)4月に、甲弩村の村中を施主として屋根替えを行ったことを記録している。
このほか、右の天正15年の瓦葺きのとき用いたと思える古瓦四枚が残されており、
いずれも天正14年2月に宮内(吉備津神社門前町)の瓦大工五郎左衛門が焼いたと思える銘がある。
この本堂は市内最古の建造物である。
平成13年3月23日指定
笠岡市教育委員会