吉備津神社の、廻廊の側に「御竈殿」がある。
独立した建物で、湯気が内から外に漏れている。
この湯気は”鳴釜神事”のもので、
釜から沸いた水蒸気で、釜に音が鳴り、それで吉兆を占っている。
戦国時代には、既に「備中の吉備津宮に鳴釜」があると有名だったそうだ。
令和時代の今日も、毎日この神事は行われ、神の祈祷・信託を受ける人が絶えない。
上田秋成は、この神事を素材にした「雨月物語 巻之三 吉備津の釜」を残している。
旅の場所・岡山県岡山市北区吉備津「吉備津神社」
旅の日・2019年8月13日
書名・雨月物語
原作者・上田秋成
現代訳・「雨月物語・春雨物語」神保・棚橋共著 現代教養文庫 1980年発行
吉備の国賀夜部庭瀬の郷(岡山市庭瀬)に、井沢庄太夫という者があった。
春に耕し、秋に刈り入れて、家豊かに暮らしていた。
ひとり子の正太郎という者は、家業の農業を嫌うあまり、酒に乱れ、女色に耽って、父の躾を守ろうとしなかった。
両親がこの行状を敷いて、ひそかに相談し、
「ああ、どうにかして、良家の美しい娘を嫁としてあてがってやりたい。
そうすれば正太郎の身持ちも自然とおさまるだろうから」と、広く国中を探していると、さいわい仲人になる人がいて、
「吉備津の宮(岡山市吉備津神社)の神主香央造酒の娘は、生まれつき美しく、両親にもよく仕え、その上歌をよく詠み、琴にもすぐれています。
庄太夫はたいそう喜び、「よくぞ言ってくださった。この縁組は、わが家にとっては家運長久のめでたいことです」
まもなく結納を充分に整えて送り届け、吉日を選んで婚をあげることとなった。
さらに幸運を神に祈るために、巫女や裾部(下級の神職)を召し集めて、御釜をした。
そもそもこの吉備津の社に参詣祈願する人は、多くの供物を捧げ、御釜祓の湯を奉り、吉兆か凶兆かを占うのである。
巫女の祝詞が終わり、御釜の湯が湧きたぎると、吉兆の場合は釜は牛の吼えるように鳴り、凶兆ならば釜は物音ひとつ立たない。
これを「吉備津の御釜」というのである。
ところが、香央の家の婚儀については、かすかな音もしない。
娘は婿君の美男ぶりをうすうす聞いて、嫁入りの日を指折り数えて待ちかねていた。
婚儀はとどこおりなく行なわれ、「鶴の千歳、亀の万代まで」と、めでたく歌い、祝ったのであった。
磯良は、井沢の家に嫁いでから、朝は早く起き、夜は遅く寝て、いつも舅姑の側 を離れずに仕え、
夫の気性をよく心得て、誠意を以て仕えたので、井沢夫婦は磯良の孝行と貞節を気に入って喜びを隠さず、
正太郎も磯良の気持を嬉しく思って、むつまじい夫婦仲であった。
しかし、生まれついての色好みの本性はどうにも仕方のないものである。
いつの頃からか、鞆の港(広島県福山市鞆、古くから瀬戸内海の要港)の袖という遊女と深く馴染んで、
ついに身受して、 近くの里に妾宅を構え、そこに泊り込んでわが家に帰らない。
庄太夫は磯良のひたすらな献身を見るに見かねて、正太郎をはげしく叱責し、一室に監禁してしまった。