金田一耕助さんが大活躍する映画は多いが、
「KADOKAWA映画」が特によく知られている。
「獄門島」は、笠岡沖がモデルで映画も笠岡沖の六島で行われた。大原麗子が六島に来た。
似たような題名で、「悪霊島」がある。
鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい!
「悪霊島」は、鷲羽山沖がモデルで、主役は鹿賀丈史(金田一耕助)。
笠岡市西ノ浜を歩くシーンが映画に登場する。
小説でも映画でも、重要な役目で神楽の一行が登場する。
作者・横溝正史は、備中神楽のことをよく調べて物語に組み込んでいる。
旅の場所・岡山県井原市青野町「葡萄浪漫大神楽」
旅の日・2024.4.14
書名・「悪霊島」
著者・横溝正史
発行・角川文庫 昭和56年
「悪霊島」 横溝正史 角川文庫 昭和56年発行
第十一章 神楽太夫
このへんの神楽はいつか三津木五郎もいっていたとおり、備中神楽とよばれている。
岡山県にはそうとうたくさんの神楽の社があるらしいが、こんど島へ招かれてきたのは、
後月郡井原市近在の部落のもので、社長を四郎兵衛とよび年齢は七十四歳であるという。
以下としの順に名前を挙げると、平作、徳右衛門、嘉六弥之助、誠、勇となっており、誠は二十五歳、勇は二十三歳、ふたりは兄弟で、ともに四郎兵衛の孫である。
姓は全部妹尾で、聞くところによると、かれらの住んでいる部落では全戸妹尾を名乗っているのだそうな。
神楽太夫といっても、かれらは神楽を舞うことをもって正業としているわけではなく、
ふだんはふつうの農民とおなじように、郷里の村で農耕に従事しているのである。
それが祭りの秋ともなれば羽織袴とかたちを改め、あちらの村、こちらの部落とまわって歩くのである。
だから毎年秋の祭りの季節ともなれば、かれらは目のまわるような忙しさであった。
毎日どこかの村で祭りがある。どうかするとおなじ日に二か村の祭りがかち合うことも少なくなく、
あちこちからの引っ張りだこで、二里三里離れた村をかけもちすることも珍しくない。
現代ではトラックというものがあるから、昔にくらべればよほど楽になったが、
以前は神楽太夫の一行があちらの部落から、こちらの部落へと葛籠を乗せた荷車を人足にひかせて移動して歩く姿が、
岡山県の秋の風物詩になっていたという。
神楽そのものがそうとう激しい労働であるうえに、このかけもちがひどいから、体の弱いものには務まらない。