しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

尋三の春      (岡山県笠岡市)

2024年04月27日 | 旅と文学

小三の春
古城山への遠足は、笠岡周辺の小学校にとって定番中の定番の場所だった。
管理人は城見小学校の、小三の遠足で古城山に行った。

城見小学校の校門を出て、当時の国道二号線を歩いて笠岡に行った。
約10キロ足らずの距離。

途中、吉浜や金浦では遠足の列が来るのを待っている家があった。
生徒の親類の家で、おばあさんかおばさんが立っていた。
そして生徒に菓子袋を渡した。
遠足の持物はお菓子は一つと決まっていたが、その子たちは二つになる。
それがうらやましかった。

城山に登れば、お猿さんがいて楽しかった。
織の中で飛んだり、跳ねたり、食べたり、の姿がたまらなく面白かった。
かかれないようにエサをやるのも面白かった。

帰り道はバスだった。貸切りの井笠バスに乗って小学校まで帰った。
バスの運転手さんは飛ばした。
古城山から城見小学校まで、信号はひとつもなかった。
山陽本線の踏切が二つ、吉浜と大冝のチンチン踏切以外は、猛スピード。
貸切りなのでバス停は素通り。
道路にスピード制限はなかった。
バスは見たこともない速さで飛ばした。
生徒たちは大喜びした。
そして翌日、学校に行き
そこでまた「昨日のバスは、よう飛ばしたなあ」
と二度楽しんだ。


捷平さんたちは、海を見てびっくりしているが、
自分たちは小二の時の遠足で”芦田川”にびっくりした。
びっくりぎょうてんした。
こんな大きな川が日本に、福山にあったのか!
城見地区にはジャンプすれば越えられる幅の川しかなかった。


なお、弁当は管理人の時代は「巻きずし」と「きつね寿司(こんこん寿司)の二本立てが決まりだった。
遠足の「こずかい」は、修学旅行以外はなかった。
それは小学校・中学校・高校とも同じだった。

 

 

旅の場所・岡山県笠岡市笠岡「古城山公園」
旅の日・2024.4.10
書名・尋三の春
著者・木山捷平
発行・「耳学問・尋三の春」小学館 2023年発行

 

詰襟服の毬栗頭の新しい先生は、号令台の上に飛び上って挨拶をはじめた。
「僕が只今紹介されました大倉です。 苗字は大倉ですが、家には大きい倉も小さい倉もありはしません。
家が貧乏だったもんで、麦飯ばかり食っ大きくなり、師範学校へ行ったんです。
年は二十二で家内はありません。どうぞ皆さん仲よくして下さい」
と、これだけ言うとぴょこんと頭を下げて号令台を飛び降りた。
生徒達の間から一度にどっとどよめきが起った。
私達はこんな新任の挨拶は初めてだったからである。

そのうち四月が過ぎて五月になり、一年一度の遠足の日が来た。
三年生の遠足は毎年笠岡にきまっていた。
笠岡というのは村から二里ばかりの内海に面した小さな城下町である。
今でこそ米を売りに行ったり、肥料や日用品を買いに行ったり、つい隣のように思っているが、
私はその年になるまで町を知らなかった。
今では軽便鉄道も出来たし、自転車という便利なものも普及したからそんなことはないが、
その頃の私達には一つの夢の国であったと言っても過言でない。

私達は一張羅の着物の上に握飯の弁当を背負い、紙緒の藁草履をはいて、朝早く大倉先生に連れられて学校を出発した。 
たんぽぽの咲いた県道を白い埃にまみれながら笠岡に着いたのは昼前頃であった。
先生は所々で私達を道の傍に佇立させて、
「あれが商業学校」「あれが郡役所」「これは裁判所といって悪いことをした者を裁判する所」と説明したが、
私達はそれよりも初めて見る町の店の軒先の品物や広告などを右顧左しながら歩いた。
物珍しいものがどの店の先にもずらりと並んでいた。
「先生!まだ弁当は食わんのですか」
「うん、よし、ちょっと待て。 城山へ上って海を見い見い食おう」

町を横切ると、私達の前に小高いがっていた。それが城山であった。
うねうねと曲った、赤土道を私達は登って行った。 

 

丁度の中ほどまでのぼった時、万歳!万歳!という歓呼の声が舞い上った。
松の木の間から、五月の空の下に遠くひろがった紺碧の海が見え出したのである。
私はこの時、生れてはじめて海を見た。
大きいのにびっくりした。
私達は声を張り上げて、万歳!万歳!と咽喉のつぶれてしまうまで絶叫した。

 

 

すると、大倉先生はみんなに言ってきかせた。
「この海はな、瀬戸内海と言うて日本で一番小さい海なんじゃ。まあ一口に言や、海の子供じゃ。 太平洋というのや、印度洋というのは、この何千倍何万倍あるか分らん程じゃ」
私達はもう一度びっくりして、先生に思い思いの奇問を発した。
「そんなら先生、その大きな印度洋と富士山とはどっちが大けえですか?」
「日本とはどっちが大けえですか?」
「ロシヤとはどっちが大けえですか?」
「そんならその海には鯨は何万疋おるんですか?」
それで私も知恵をしぼってきいて見た。
「そんなら先生、そんな大けな海は誰のもんなんですか?」

 

城山の頂上まで登りきると、そこの広場で海を見ながら背中の握飯を開いた。

山本医院の春美だけが一人巻鮨を持って来ているのが人目をひいた。

大倉先生は矢張り握飯で、私達と一緒に並んで頬張りはじめた。

・・・

コメント
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