小学校六年生になると、
♪菜の花畠に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし 春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて におい淡し ・・の、
「朧月夜」を習っていた。
自分も早く六年生になって「朧月夜」を歌いたい、と思っていた。
先生の説明では、菜の花は「菜種油」にするという話だった。
茂平では一部の田んぼに菜の花を植えていた。
田んぼの裏作で麦はなく、半年寝かす田が多かった。
菜の花とレンゲが咲く田んぼは、子ども心にも田舎の田園風景を彩っていた。
今思うと、菜の花はレンゲと同じように肥料にしていたのだろう。
家の料理に油を使ったものは珍しくはなかったが、
それはキンピラゴボウのように、油を使うというよりも垂らす、
程度の使用量だった。
田舎の農家では、自給自作が基本なので、
お金を出して買う物は、少しずつ、もったいなく、使っていたのだろう。
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「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行
油
普段はめったに使うことはなかった。
祭りのサツマイモの天ぷらなどを作る際には購入していた。
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「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
食用油
菜種は自給用に栽培し、油屋で絞ってもらった。
ゴマ油は購入したり、ゴマと交換した。
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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫 昭和52年発行
食用油
昭和20年代までは、庶民は1~2合、油を買ってきて、
ごく少しずつ大事に使ったものである。
ナスビとかタマネギに一滴か二滴落として食べたものである。
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「岡山県史・民族Ⅰ」 昭和58年 山陽新聞社出版
菜種
明治末期ごろが最盛期で、以後漸減し昭和50年ごろ消滅した。
笠岡市尾坂道万の水車集落は、備中ソウメンの一産地であるが、水車を利用して菜種の搾油をしているものもあった。
菜種油をとった糟(かす)は肥料にしたり飼料にもなった。
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