有名な”台湾沖航空戦”。
昭和19年10月12日~21日、大本営は大戦果を発表し、国民は勝利に湧きかえり、天皇から勅語もあった。
その大戦果にともない、フィリピンの戦いは「ルソン島」で守る、
ことから「レイテ島」で米軍殲滅へと戦場場所を作戦変更した。
結果は、殲滅したのは米軍でなく日本軍となった。
戦後になって、台湾沖で戦果はなかったことが発表された。
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「ジャパニーズ・エア・パワー」 大谷内一夫訳 光人社 1996年発行
昭和19年10月、台湾沖航空戦
空母機による予備攻撃
1944年10月中旬、アメリカ空母部隊は琉球、台湾、ルソン島をあいついで攻撃し、
レイテ島上陸作戦の企図を隠蔽した。
空母部隊を支援して、中国からのB29超重爆撃機(複数)が、フィリピン、台湾、日本本土をむすぶフェリー・ルート上にある主要修理デポや航空基地を爆撃して、
日本からの新造機補給の流れを遮断した。
九州の海軍航空部隊は、最初は不意をつかれたが、10月12日に行動を開始し、夜間に魚雷攻撃と急降下爆撃をかけた。
攻撃から帰還したパイロットたちは、正規空母5隻を撃沈と報告した。
このあと、すべての他の作戦はとりやめとなり、出撃可能機のすべてが、アメリカ艦隊撃滅をめざして出撃した。
10月12日から16日まで、のべ700機が出撃し、連合軍艦船30隻撃沈の大勝利が日本の大衆に発表された。
実際には、1隻も沈没せず、巡洋艦2隻が損傷しただけであった。
一方、日本側はすくなくとも飛行機400機と、そのパイロットを喪失した。
連合軍の標準からみればきわめて未熟といえるが、これらのパイロットたちは、
おそらく日本海軍航空隊にのこっていた最良のパイロットたちだった。
かれらの損失は、海軍航空隊の質をさらに低下させた。
台湾沖航空戦について、大本営は6回発表を出したが、それによる戦果はあまりにも誇大だった。
10月19日18時発表の総合戦果によると、
轟撃沈、
空母11隻、
戦艦2隻、
巡洋艦3隻、
巡洋艦もしくは駆逐艦1隻となり、
撃沈合計17隻。
撃破したもの
空母8隻、
戦艦2隻、
巡洋艦4隻、
巡洋艦もしくは駆逐艦、
艦種不詳13隻、そのほか大火災を認めたるもの12をくだらずとあり、撃破合計は27隻にたっする。
飛行機については、
撃墜112機〈実際はゼロ)、
日本側損失312機 (地上での損失をふくむ〉と発表された。
ひさしぶりの大戦果に、10月21日には 勅語も下賜された。
その後、戦果が過大評価されていたことが判明したものの、勅語を大本営は訂正するわけにはいかなかった
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