しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

学校農園・開墾地(金浦国民学校)

2021年12月10日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・岡山県笠岡市吉浜 
訪問日・2006年1月25日  

山陽本線の金浦小学校前は曲線をゆるめ、汽車のスピードを速めた。
それにより廃線跡が、小学校の農園となった。

終戦ごろには、追加して更に校庭も農園化されたものと推測される。


(金浦国民学校の農園=廃線跡)


(金浦国民学校の農園=廃線跡)


(金浦国民学校の農園=廃線跡)


「岡山の女性と暮らし 戦前・戦中の歩み」 岡山女性史研究会編  山陽新聞社 2000発行

学校農園

前年から始まった空地利用の食糧増産は、県下の中等・青年・国民学校700余校の校庭まで及び、学校農園と呼ばれた。
中等学校や青年学校では勤労動員されない、1.2年生の教練・体操用に必要な最低面積を残して、国民学校では初等科一人当たり0.8坪、高等科は一人1坪分を残して、すべて掘り返され畑になった。
岡山師範女子部は米5表、野菜を収穫、今年度は小麦を加える予定。
岡山一女は7反に小麦3表、野菜1.000円分を収穫。
清心高女は3反5畝からジャガイモ80貫、南京豆130貫、野菜を収穫。
市内14国民学校は甘藷・ジャガイモ・芋の栽培。
玉島高女の生徒は作地化するため馬糞拾いに精出した。
学校農園は敗戦後も食糧不足を補うために続けられたが、学校側が生徒に無断で収穫・処分することが多かった。

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