しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

松浦隆信

2021年06月16日 | 銅像の人
長崎県平戸市

南蛮貿易を始めた、肥前の戦国武将。




(Wikipedia)

松浦隆信


松浦氏の分家の一つである平戸松浦氏の生まれで

平戸には明の商人や(中国商人を庇護する)中国人の海賊(後期倭寇)が多く住んでいた。
隆信は大友義鎮に報告して、ポルトガル貿易(南蛮貿易)が開始された。

天文19年(1550年)、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが布教を断られた鹿児島から平戸にやってきた。
布教活動を許したので、1553年から1561年までの間、ポルトガル船は毎年来航するようになり、平戸は中心交易地として栄えた。

隆信は鉄砲や大砲などの武器を率先して購入した。
しかし宣教師を厚遇したが、信者の拡大は地域に軋轢を生んだ。
ポルトガル人が殺傷される事件もあり、ポルトガル船は大村純忠の支配する横瀬浦に移ってしまった。
長崎港が本格開港されるに及んで平戸のポルトガル貿易は終焉した。

一方で、貿易による巨万の富を築き上げた隆信は、領内でも鉄砲の製造を命じ、
火薬の備蓄や、鉄砲足軽の訓練に勤しんで、軍備を拡大した。
元亀2年(1571年)、壱岐を支配下に置いた。

天正15年(1587年)には豊臣秀吉の九州平定に参陣。
隆信は、初めて京に上った際には秀吉に茶讌を所望されて、千利休と3人で、それぞれの茶器を披露した。

文禄・慶長の役には当主たる息子が出征。
文禄2年(1594年)、壱岐や五島列島と朝鮮間の兵糧米の輸送の監督を果たした。

享年72。
隆信は、弱小勢力に過ぎなかった平戸松浦氏を戦国大名へと躍進させて、
近世への存続の道を切り抜けさせた名君であり、松浦氏の基礎を築いた。








撮影日・2012年5月11日   

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