しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

クラーク博士

2021年04月20日 | 銅像の人
場所・北海道札幌市 羊ヶ丘展望台
建立・1976年(昭和51年)


クラーク博士の銅像で有名な羊ヶ丘展望台に行ったが、
博士の銅像以外には、コレといった見るほどのもはなかった。
まあ、北海道らしさはいくらか感じることが出来た。






ウイリアム・スミス・クラーク博士


明治9年札幌農学校が開校した。
日本最初の官立農学校である。開港にあたって、アメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学長ウイリアム=クラーク博士が、教頭として一年の約束で赴任した。

敬虔なピューリタン、クラークの方針にしたがった札幌農学校はユニークな存在であった。
着任早々、こまかな規則をみせられたクラークは、憤然とそれを否定し、
『ビィ・ジェントルマン!』だけで十分だといった。
黒田の反対を押し切って、キリスト教による道徳教育を実行した。

札幌農学校の学科編成は、せまい意味の農学専門家養成ではなく、
ひろい視野と教養を持つ人間を養成するよう配慮されている。
南北戦争の経験から青年の精神教育上有効なものと考え、4年間練兵という学科があった。
そのため、陸軍将校が配置された。

農場で実習した生徒には、労賃が支払われた。
正当な労働価値にたいする正当な報酬、近代社会のしくみに目をひらかせる機会となった。

翌10年4月、クラークは帰国の途につくが、島松駅頭での別れのひとこと、
”ボーイズ・ビイ・アンビシャス!”は、
長く青年の胸にのこったのである。


「北海道の歴史」 榎本・谷共著  山川出版社 昭和44年発行








撮影日・2017年8月3日



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