しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

後月郡芳井町の或る山村の生活

2019年02月21日 | 暮らし
義母(昭和5年12月生まれ)の話し 談・2019年2月17日

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皇紀2600年の祝い(尋常4年・分校)
記憶にない。

青年学校
国民学校と同じ敷地にあった。

国民学校の校庭
校庭に芋を植えていた。

実業学校
実業2年(昭和19年)の時、山を開墾した。
出征兵士の家に稲刈りの手伝いに行った。

毎朝の奉安殿への記憶
奉安殿があったことすら記憶にない。

終戦(実業3年)で学校が何が一番変わったか? 
急に英語がはいった。英語の塾に行く人もいたほど。
珠算が増えた。

とりこ・とりよめ
幼児で養子をし、成人して結婚するのが多いが
ウチでは結婚と同時にとりこ・とりよめで家にはいった。

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