「笠岡史談第14号」昭和50年 木下タイプ発行 より転記

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
米騒動余聞
笠岡の米騒動では篠井米店襲撃が知られているが、それより前、騒ぎ立てる民衆は、仁王堂・遍照寺の大師堂の前に何百人となく集合していた。
米屋の暴利をつき、あそこへ行け!の野次の中で、土岐其らが演説していた。
それ行け、という声で出陣、
まず篠井店に行き、閉めていた入口を大八車で勢いをつけてやぶった。
それから駅前の寺岡米問屋へ行ったが、米が無かったので、駅前・陸橋近くの内海米店へ向かった。
ここで割り木を投げて入り込み、米をばらまいた。
次に真入川筋の村上店に行ったが、うどん・米少々しかなく、話がついてあばれず、安売りですんだ。
西浜の仲仕は笠岡町東の店々が得意先なので、大したことはしなかった。
(芝勢氏談)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます