しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

芸予要塞・大久野島砲台

2021年02月01日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・広島県竹原市忠海町
訪問日・2006年9月26日  


エデンの丘から「エデンの海」を見る。
正面が愛媛県大三島、その手前・東洋一の大鉄塔が建つのが広島県大久野島。
その大久野島に行く。







大久野島には周回する歩道が整備されている。

その歩道の脇に砲台が遺る。

明治時代~大正時代に芸予要塞・大久野島砲台。
そのうち北部砲台跡。








これが東洋一の大鉄塔付近から見る芸予諸島と瀬戸内海。瀬戸には渦が巻いている。





島の南部に南部砲台跡。




他に中部砲台もあった。

なお芸予砲台自体は大久野島・小島・来島の三島と忠海を合わせ編成されていた。





「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行
芸予要塞・大久野島砲台

のちに毒ガスの製造を行った大久野島に、3ヶ所の砲台が築かれたのは1901年であった。
島の北端の海岸に近い北部砲台には26口径24cmカノン砲4門とクルップ式25口径12cmカノン砲を併設。
中部砲台は島の中央から南寄りに28cm榴弾砲6門を据えた。
南部砲台は北部と同じ備砲であるが、別にスカ式9cm速射カノン砲4門も据え付けた。

1904年開戦の日露戦争で、旅順のロシア軍要塞攻撃のため、この島の巨砲を運んで使った。






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