場所・東京湾・富津岬沖の海上
訪問日・2018.3.8
東京湾海堡とは
「戦争遺跡の辞典」柏書房
東京湾要塞は、東京湾に侵入しようとする敵戦艦の通行を阻止し、かつ海上からの敵の攻撃に対し、帝都東京および横須賀軍港を護る目的で建設された。
海堡は、海上に築島して、その上に砲台を築いたものである。
「旧軍史跡」現代に遺された戦争遺産より
海堡とは砲台のために海に造った人口島のことである。
2.5キロ間隔で第一・第二・第三海堡が、当時の最先端の技術で造られた。
第二海堡は明治22年から25年の歳月をかけて完成した。
世界的にも最大級の海上要塞。
戦後米軍の爆砕による割れや、
地盤崩壊や浸食などで倒壊が進み、原形を留めない個所もある。
現在入口のほとんどが塞がれている。
この↓写真は伊豆大島への旅客船から撮った。
激しい雨が降っていたが、それでも海上に浮かぶ第二海堡は迫力満点に見えた。
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「日本の軍事遺跡」 飯田則夫著 河出書房新社 2004年発行
東京湾要塞跡
浦賀水道を固め帝都を守った砲台群
砲艦外交によって開国を余儀なくされた日本にとっては、海防は最重要事項だった。
列強から国土を守るため、明治新政府は全国各地の要所に砲台を設けざるを得ず、近代的な要塞の整備が陸軍築城部によって開始される。
なかでも帝都の玄関口、東京湾の防備が特に急がれた。
東京湾要塞は、湾口がもっとも狭まる富津岬と観音崎を結ぶ防衛ラインに沿って内房と三浦半島。
それに大砲の射程距離をカバーするため海上に三つの東京湾海堡を築いた。
全部合わせると200近い砲が一帯に備えられた。
その後、火砲の性能向上や航空機の時代に変わったことで、莫大な国費と労力をかけた要塞の存在意義は急速に失われていった。
第二・第三海堡は完成後ほどなくして関東大震災で被害を被り、すぐに廃止になってしまった。
ちなみに、
東京湾のただ中に造られた、これら海堡は航行の障害となって多くの海難事故の誘因となり、
第三海堡は近年になって撤去されている。
要塞は一度も実戦で使われることなく短期間で、その生命を終えた。
しかし艦船侵入の抑止力の役割はになったといえよう。
現在は公園化され、第二海堡へは船で渡ることができる。
訪問日・2018.3.8
東京湾海堡とは
「戦争遺跡の辞典」柏書房
東京湾要塞は、東京湾に侵入しようとする敵戦艦の通行を阻止し、かつ海上からの敵の攻撃に対し、帝都東京および横須賀軍港を護る目的で建設された。
海堡は、海上に築島して、その上に砲台を築いたものである。
「旧軍史跡」現代に遺された戦争遺産より
海堡とは砲台のために海に造った人口島のことである。
2.5キロ間隔で第一・第二・第三海堡が、当時の最先端の技術で造られた。
第二海堡は明治22年から25年の歳月をかけて完成した。
世界的にも最大級の海上要塞。
戦後米軍の爆砕による割れや、
地盤崩壊や浸食などで倒壊が進み、原形を留めない個所もある。
現在入口のほとんどが塞がれている。
この↓写真は伊豆大島への旅客船から撮った。
激しい雨が降っていたが、それでも海上に浮かぶ第二海堡は迫力満点に見えた。
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「日本の軍事遺跡」 飯田則夫著 河出書房新社 2004年発行
東京湾要塞跡
浦賀水道を固め帝都を守った砲台群
砲艦外交によって開国を余儀なくされた日本にとっては、海防は最重要事項だった。
列強から国土を守るため、明治新政府は全国各地の要所に砲台を設けざるを得ず、近代的な要塞の整備が陸軍築城部によって開始される。
なかでも帝都の玄関口、東京湾の防備が特に急がれた。
東京湾要塞は、湾口がもっとも狭まる富津岬と観音崎を結ぶ防衛ラインに沿って内房と三浦半島。
それに大砲の射程距離をカバーするため海上に三つの東京湾海堡を築いた。
全部合わせると200近い砲が一帯に備えられた。
その後、火砲の性能向上や航空機の時代に変わったことで、莫大な国費と労力をかけた要塞の存在意義は急速に失われていった。
第二・第三海堡は完成後ほどなくして関東大震災で被害を被り、すぐに廃止になってしまった。
ちなみに、
東京湾のただ中に造られた、これら海堡は航行の障害となって多くの海難事故の誘因となり、
第三海堡は近年になって撤去されている。
要塞は一度も実戦で使われることなく短期間で、その生命を終えた。
しかし艦船侵入の抑止力の役割はになったといえよう。
現在は公園化され、第二海堡へは船で渡ることができる。
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