昭和30年代は、自衛隊が多くの学校の、校庭の拡張造成工事に従事した。
昭和30年代は、自衛隊が国を護る緊急度が少なかった。
時代は東西冷戦。
日本が国境を接する国で、日本に攻め込む可能性がある国は、せいぜいソ連くらいだったが、
そのソ連ともカニの漁獲量を競う程度の問題しかなかった。
つまり、自衛隊は、国家を護る点では、ヒマだった。
いっぽう学校は、
生徒数も増え、学校も増え、校舎・校庭も拡大・拡張、プールも新設という時代だった。
そこで自衛隊が出動した。
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これは岡山県小田郡美星町の自衛隊の学校工事。
どこの学校とは書かれてないが、同じ美星町で三校が、自衛隊にお世話になった。
2024年4月28日・「芳井歴史民俗資料館」
『美星町&芳井町 写真で振り返る我が町の70年』
自衛隊による学校運動場の拡張工事
昭和37年(1962)7月
自衛隊の協力を得て公共施設の敷地建設を進める動きは、周辺の市町でみられていた。
この年美星町は、美星高等学校・美星中学校・黒忠小学校のグラウンドの拡張工事のため自衛隊の協力を得た。
美星中学校は、 昭和37年4月に 美星・宇戸・日里の3中学校の統合が決定したため、グラウンドを拡張した。
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笠岡市内でも自衛隊が工事をした。
(自分の記憶では)
笠岡高校の校庭拡張工事。
有田・用之江道路新設工事。(現在の県道井原福山港線の一部)
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