しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

少年雑誌(漫画雑誌)を買いに

2020年06月11日 | 城見小・他校
少年雑誌(漫画雑誌)を買いに

年に2~3度、少年雑誌を買いにいくことがあった。
行先は大門駅前の商店街(という程ではないが)の小さな雑貨店だった。
行くのは3人くらい。
自転車に1人、その前を走る人、その後ろを走る人。家で待機が1~2人。
3人で出発。
まず坂里峠を目指す。
峠からの坂道は山賊が出るという場所があるので、特にスピードで坂を下る。
野々浜の山際の道を大門駅へと向かう。
お寺の踏切を渡ると、来たなあという感じになる。
駅前の小さな店のガラス戸を開けて、少年雑誌を選ぶ。
行く前から決めているが、小さな店なので売り切れて無いこともあった。
買ったら、同じ道を帰る。
坂里峠を越えると茂平。
家まで帰ると、買った人が本を読む。付き添いと、待機していた人は付録の本を読む。
そうして、全員が本と付録をすべて読み終わると、
「本を買いに行く」ことが終わったことになった。

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宮ノ端の三角ベースボール

宮ノ端は茂平の少年の草野球場だった。
内野と外野の間に道が通り、内野は岩凹もあり斜面にもなっていた。
いちばん惨めが、キャッチャーが後逸すると葦の沼に入って球を拾う必要があった。
それでも貧しい昭和の茂平の少年には楽しい場所だった。
両チーム併せてもグローブを持っている子は1~2名。
バットも1~2本。
ボールも1~2個。
バットやグローブを親に買ってもらうということは、遊びの時は全員の共有物になっていた。
低学年の時は、バットは山の木を削ったものを使っていた。
手の器用な少年が作ったバットだが、円形ではあるが、不自然そのものの形をしていた。
グローブは簡単だった。肥料や飼料の空袋を折ればいい。折り方も簡単だった。
上級生は素手が基本だった。
松の大木がホーム近くにあり、
暇人が「なんと申しましょうか・・・」と松の木に登って、一人で高いところからラジオ中継をしていた。

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運動会は秋に三度あった


運動会は、城見小学校の校庭で三回あった。
小学校の運動会。
地区の運動会。
青年団の運動会。
祭りと並ぶ、秋の大きな楽しみの行事だった。

小学校の運動会は、小学校と保育所が合同。子供専用。
地区の運動会は、城見公民館が主催。子と親と祖父母の三世代。
青年団の運動会は、城見青年団が主催。青年団の専用。
運動会はどれも盛大だった。
子供にとっては、
小学校は出番が多い。
地区は出番が少なく、娯楽として楽しめる。
青年団は出番がないが、主催者が若者で勢いがあって、見て楽しかった。

青年団のプログラムの最後はマラソンで(校庭を10周くらい)、いつも”浜のKちゃん”が優勝していた。
特にラスト一周はすごかった。
そうゆう”浜のKちゃん”でも、笠岡の大きな大会に出ると優勝はできないという噂だった。
”浜のKちゃん”は好漢、絵に描いたような善人だったが、労働災害のため、40才位の時に亡くなられた。


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