いつのころであったか。
たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。
智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。
それは名を喜助と言って、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。
もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ一人ひとりで乗った。
有名な森鴎外の、有名な「高瀬舟」の、有名な名文・美文のところ。
特に、”智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに”、の文章が好きで。(誰でもそうだろうが)
いつのころであったか。
たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。
智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。
桜の季節になると、この文章を思い出し
知恩院の桜、
入相の鐘。
それに
「入相の鐘に散る」や
松平定信でなく「白河楽翁侯」という表現に
うっとりとさせられる。
「日本現代文學全集」森鴎外集 講談社 昭和37年発行
旅行日・2009.4.7
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