しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

板垣退助  (高知)

2021年04月22日 | 銅像の人
場所・場所・高知県高知市丸ノ内








板垣死すとも

土佐の藩兵を率い、戊辰戦争の優秀な指揮官だったです。
すぐれた軍人とも言えるだろうと思います。


薩長土肥の雄藩連合で徳川幕府を倒したが、政府の中枢は薩長だけがうまいところをさらった。
むしろ薩長藩閥を倒すため、おれたちは自由民権運動にいくんだというところもある。

板垣が傷を受けたのは明治15年で、明治14年には大隈重信が追われて肥前がなくなった。
明治の元勲というものは、みな薩長だけが占めてしまう体制が確立するのです。

板垣は非常に清貧です。
清貧で長生きしました。
ヒゲなんかが、また特徴のあるヒゲですね。
百円札なり、お礼に使用されるのにはいい人物ですね。
相撲が好きで、太刀山を富山から連れてきて相撲取りにした。
晩年は、相撲協会の理事長みたいなことをしていました。


彼の本領は、やはり一代華族論ですね。
ほかの連中が、華族になれば非常な特権ですから、なかなか恋々として、これをうけついでゆく考えでした。
子孫は親父さんの意志を継いで爵位を辞した。気持ちがいいですね。
戦後、華族がなくなってみると、いよいよ彼の主張はすぐれていると私は思うのです。


高知では、ちゃんと銅像も新しく立てられたり、戦前には板垣会館まであったのです。
残念なのは、大学を作っておけばよかったのですよ。
板垣大学とか自由大学とか。惜しかったですね。


「歴史よもやま話」  池島進平  文春文庫  1982年発行















撮影日・2018年3月24日



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