しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「勤倹力行」 (金次郎像その3)

2015年01月30日 | 昭和21年~25年
以下全文、
”岡山県における二宮金次郎像の実態調査 森元辰昭”借用。



陶像の普及

当初は銅像、石像が多かった。
備前焼は紀元2600年ごろから写真をまきセールスしていった。
昭和16年金属回収令以降により銅像が供出された跡に設置する場合も多かった。


「勤倹力行」

斉藤実内閣の誕生(昭和7年)によって「勤倹力行」が叫ばれ、文部大臣鳩山一郎ら12名が賛助会員となって「二宮尊徳先生少年時代之像普及会」が結成され、朝鮮・台湾まで宣伝された。


寄贈者

個人・団体、
成功体験者、戦死者遺族、地元有力者、卒業生(青年団等)、その他(表彰金など)


台座文字

台座には尊徳先生の言葉を書いて児童生徒に啓発しようとした。
わかりやすく、実行可能なものが強調された。
「至誠勤労」
「報徳」
「至誠」
「至誠報徳」
「勤倹力行」
その他
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