しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

靖国神社の北木石の大鳥居

2019年01月07日 | 昭和元年~10年
靖国神社には大鳥居が九段下から何本も建っているが、すの全てが青銅など鋼材で出来ている。
大村益次郎銅像の場所から南側、青山方面の「駐車場入口」に石の鳥居がある。
石の鳥居はここのみなので、さがすのは簡単。

昭和8年、北木島産の石が靖国神社の鳥居になった。
昭和」3 非常時日本 昭和7~9年  平成元年講談社発行より転記
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靖国の大鳥居
高さ11メートル
東京九段の靖国神社に石の大鳥居と狛犬が完成し、4月13日、奉納式が行われた。
これらは、製糸業で知られた片倉合名の片倉一族が奉納したもので、鳥居の高さは約11メートル、狛犬の高さは約2.3メートル。写真は、同神社で組み立て作業が進められる大鳥居。
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活動弁士

2019年01月07日 | 昭和11年~15年
高校の頃、
笠岡の映画館では映画館の経営者(通常、映写機を回していたと思う)の他に
切符売り、自転車の駐輪料の人、看板の絵描き人がいた。
笠岡中央劇場には館内にお菓子売りの他に、焼きソバの店(食堂)もあった。
映画の衰退とともに、その人たちは職場を失った。

父は映画が無声からトーキーに変わると、寂しい思いがしたそうだ。
父が見たのは笠岡や福山の映画館と思う。
その弁士は職を失い、一部の人は紙芝居の弁士になったのだろう。
昭和30年代の紙芝居屋さんの「話し」「手の動き」「顔の表情」
それはそれは、おもしろかった。

「昭和」3 非常時日本 昭和7~9年  平成元年講談社発行より転記

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「職を奪われた弁士たち」
大辻司郎、徳川夢声も転業

昭和7年、東京市内の松竹系列の23館で、弁士・楽士によるストライキがおこった。※楽士は音楽の担当
発端は音声付き映画(トーキー)の出現により、浅草六区の弁士10人に解雇通告をしたことだった。
松竹は退職金支給などで解決したが、今度は日活系で従業員組合が映画館に立てこもり警官隊がかけつけた。
関西でも大阪、京都、神戸へと広がった。

弁士に衝撃を与えたのは6年2月に封切りのアメリカ映画「モロッコ」(マリーネ・デートリッヒ主演)だった。
7年8月には松竹が「マダムと女房」を完成。
以後数年間にわたって、無声映画とトーキー映画は併存した。

10年には、ほとんどの映画がトーキーになった。
弁士は、トーキー映画の整っていない地方の映画館に職を求めたり、紙芝居、チンドン屋などへ転業または廃業を余儀なくされた。


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笠岡~玉島航路、夏目~天神渡し

2019年01月07日 | 暮らし
神島外浦に住んでいた高校の友人が、
「本土に渡る際は、一度だけ利用した航路(笠岡~笠岡諸島、神島~横島渡船の他に)がある。」
と言って、かつて天神から夏目に渡船があったことを話した。
友の記憶は、一度乗ったことがある以上の思い出はなさそうだった。

「大島村略誌」より下記を転記するが、神島に行って何時頃まで運行したのか、他を確認したいと思っている。

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「大島村略誌」黒住清著 昭和11年

瀬溝海峡は笠岡、多度津間の定期航路に当り島嶼からの発動機船の就航するものも多い。
夏目はその乗船地で、また神島の天神への渡し場でもある。
笠岡、玉島間の航路は夏目、正頭、奥ノ浜等に寄港していたが近年廃航した。

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