「金浦要覧」編・増成松平 昭和11年6月発行より転記
xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
明治41年3月設立・・金浦在郷軍人会は在郷軍人の向上発展に寄与せり。当時の会員172名なり。
明治43年11月3日・・「帝国在郷軍人会規約」の発布せらるるや、直ちに其規約による金浦町分会となるに至る。
爾来、勅語 詔書の御主旨を奉戴し軍人精神の鍛練 不撓不屈の身体訓練養護に努力し又は国防思想の普及、過去戦役を記念し戦役陣没者及び公務に起因せる死亡者の祭典を執行し並びに其遺族及戦傷軍人の慰問優遇に力を徹し、青年学校の訓練を幇助し事あるごとに町当局及び諸公共団体と一致協力して事業の遂行、風致の指導浄化に徹す。
満州事変の起こるや率先銃後の任務遂行にあたり尚全力を挙げて軍事思想普及に努力せしものなり。
現在240名の会員を擁し、金浦小学校校庭にある忠魂碑は本会の主唱により大正11年に建設せられたるものなり。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
明治41年3月設立・・金浦在郷軍人会は在郷軍人の向上発展に寄与せり。当時の会員172名なり。
明治43年11月3日・・「帝国在郷軍人会規約」の発布せらるるや、直ちに其規約による金浦町分会となるに至る。
爾来、勅語 詔書の御主旨を奉戴し軍人精神の鍛練 不撓不屈の身体訓練養護に努力し又は国防思想の普及、過去戦役を記念し戦役陣没者及び公務に起因せる死亡者の祭典を執行し並びに其遺族及戦傷軍人の慰問優遇に力を徹し、青年学校の訓練を幇助し事あるごとに町当局及び諸公共団体と一致協力して事業の遂行、風致の指導浄化に徹す。
満州事変の起こるや率先銃後の任務遂行にあたり尚全力を挙げて軍事思想普及に努力せしものなり。
現在240名の会員を擁し、金浦小学校校庭にある忠魂碑は本会の主唱により大正11年に建設せられたるものなり。