小学校からの帰り道、いつものように4~5人で遊びながらの道だった。
丸山を過ぎて視界が広がるところ、そこで「火の見櫓」が見えた。
「わぁぁぁっ!」と声をあげながら、火の見櫓まで走っていった。
銀色に輝く火の見櫓はまぶしすぎる程、輝き、そして誇しかった。
以前、その場所の近くには半鐘が付いた、丸太の警鐘台があった。
その頃、東京には「東京タワー」が建設工事中だった。
東京タワーに似た構造物が茂平に出来て、(大人は知らないが)子供たちは毎日のように火の見やぐらを見上げて満足感を感じた。
火の見櫓には、遊びで何度も登った。
いちばん上の展望台に立つと、風が無くても揺れていた。
こわいので、登ったら早急に降りていた。
それを何度もして遊んだ。
岡山県のもっとも西南の僻地、茂平にも火の見櫓が建った。
丸山を過ぎて視界が広がるところ、そこで「火の見櫓」が見えた。
「わぁぁぁっ!」と声をあげながら、火の見櫓まで走っていった。
銀色に輝く火の見櫓はまぶしすぎる程、輝き、そして誇しかった。
以前、その場所の近くには半鐘が付いた、丸太の警鐘台があった。
その頃、東京には「東京タワー」が建設工事中だった。
東京タワーに似た構造物が茂平に出来て、(大人は知らないが)子供たちは毎日のように火の見やぐらを見上げて満足感を感じた。
火の見櫓には、遊びで何度も登った。
いちばん上の展望台に立つと、風が無くても揺れていた。
こわいので、登ったら早急に降りていた。
それを何度もして遊んだ。
岡山県のもっとも西南の僻地、茂平にも火の見櫓が建った。