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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

金浦漁港から販売される魚

2019年01月23日 | 昭和11年~15年
昭和10年頃の金浦町の様子。
漁港には問屋があり、小田郡内の魚は金浦に出荷し、
金浦+近海+九州+山陰+朝鮮の魚が小田郡、後月郡の他に、成羽や高山市方面に販売されたようだ。
金浦でのセリ(市)や、近海以外からの移入魚の鮮度をどうしていたのか不明である。
金浦地区の漁獲高の「黒鯛」と「ちぬ」は、どう違うのかも不明。


「金浦要覧」編・増成松平 昭和11年6月発行より転記

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金浦委託魚問屋の移入魚類販売調査(昭和9年度末調べ)

タイ 近海6.000円 九州3.500円 山陰2.200円 朝鮮3.600円
サハラ  85.000  3.700   1.450     4.500
チヌ   3.700   1.250   1.350     1.530
ハモ   2.300   1.220    -      2.300
以下
サバ、イワシ、ヒラ、イカ、タチ、其の外     


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金浦町の水産

水産業者
本業 男309 女149
副業 男96 女65

漁船
動力を有せざるもの 107
発動機を有するもの 53

漁獲高
黒鯛 9.486円
ちぬ 8.865円
いな 2.080円
以下、せい・あみ・めばる


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主なる工業
人造真珠 85.000円
醤油 62.268円
造船 22艘 13.450円
帽子  17.395円
麦稈真田 25.286円


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金浦町の名勝地

2019年01月23日 | 暮らし
「金浦要覧」編・増成松平 昭和11年6月発行より転記

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金の浦
吉浜郷は寛文年間吉浜堤を築き東西2個の水門を設け、
海海化して沃野になれり。
其れ以前は海水深く潟入し、風光明媚いわゆる金の浦の勝地たりし所なり。
後冷泉院の永承元年藤原朝臣家経の歌に
 おきつ波風たつへくも 吹かぬ夜に 金の浦より出つる釣舟

小生浜

海岸に一老松あり俗に一本松という。
日露戦役勇士の石碑三基あり、往時は製塩の地たりしなり。

陶山岡
羊腸たる経路を登れば山頂今は全く畑と化せるも、陶山氏の居城たりし西浜城の跡。
特に西丸行者山には石垣の残塁今尚存せり。
ここの風光殊に美しく、山紫水明風光無比と称するも過言にあらざる。
城址の一部に村社八幡宮の神域あり

他に3件あり、下記。
魚渚郷
天神山
カブトガニ

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金浦病院・金浦青年団・国防義会金浦支部・金浦青年学校等

2019年01月23日 | 昭和元年~10年
「金浦要覧」編・増成松平 昭和11年6月発行より転記
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金浦病院
本県社会課の構想により町長は気運の促進を図る。
町財政を考慮し小規模の施設となし、意見もあった。
幾多の障壁を辿り、昭和8年1月開院式を挙行せり。
町民の利用は勿論、隣接各町村の診察を求むるもの増し、健全なる発達を遂げつつ今日に至れり。


金浦消防組
明治32年、団員154名。明治44年341名。昭和2年394名。

金浦町青年団
本町在住の15歳以上25歳以下の学籍にあらざる青年を以って組織す。
現在団員総数三百余名に達せり。
本団の創立は昭和4年、各にあったものを大日本連合青年団の一町一青年団の方針に則り、統一せられり。
弁論会、体育会は近県青年の大会を挙行し、且つ「若人」を発刊して地方文化に貢献し傍ら社会奉仕の作業に懸命に努力をしつつあり。

金浦町婦人会
昭和6年に至り、従来の主婦部、処女部を分割し主婦部のみを以って金浦町婦人会を組織し現在会員243名。
婦人の資質向上、賢母良妻家庭婦人の修養となるべき講習会講演会の開催、農繁期の託児所、敬老会を開く。

金浦町女子青年団
本町在住の満12歳より満25歳までの未婚女子を正団員とし現在団員総数67名。

岡山県国防義会金浦支部
昭和8年1月29日現在会員、1487名に達し、本町の補助金を受け設立以来在郷軍人分会、青年団、婦人会等と連絡を保持し左記事業を実施しつつあり。
1・皇室の尊崇忠君愛国心の振起を図るため、祝祭日には率先祝意を表し努めて拝賀式参列す。
2・国防に関する普及を期する。有識者より聴取す。
3・戦時事変の際に於ける町民の訓練。

金浦小学校
明治32年高等科を設置し金浦尋常高等学校と改編、
同年5月裁縫専修科を附設す、34年廃して裁縫専修学校を附設す。
大正4年,実家学校を附設す。
大正9年実科補習学校を附設す。
児童数は尋常科927名、高等科198名。

金浦青年学校
大正9年小学校に附設農商補修学校として開校、その後水産課を加えた。
昭和6年金浦実業学校へと改称す。
昭和10年勅令により、
金浦実業学校、金浦青年訓練所を廃して、金浦町立金浦青年学校を設立す。
生徒数は110名、
本科の教授及び訓練期間は、普通科2年、本科は第一第二とも5年、研究科1年である。
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