FIVE BLIND BOYS OF ALABAMA / HIGHER GROUND
ゴスペル・カルテットの最高峰、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマの創設メンバーであり、長きに渡って中心人物としてグループを牽引したクラレンス・ファウンテンが亡くなられたそうです。88歳。残念でなりません。
アラバマ州の盲学校生徒達によりその前身グループが結成されたのは1939年。当初はハッピーランド・シンガーズと名乗っていたそうですが、48年頃にファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマと名を改めます。50年代にはライヴァルだったファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピをはじめ、ソウル・スターラーズ、ピルグラム・トラヴェラーズ、ディキシー・ハミングバーズ等と共に、ゴスペル・クァルテットの黄金時代を彩りました。この50年代こそ彼らの全盛期となるのでしょうが、その後もメンバー・チェンジを繰り返しながら、数十年という長きに渡って活動を続けてきました。クラレンス・ファウンテンも数年前まで、リーダーとして素晴らしい歌声を聴かせてくれていました。
さて、私がこのグループを知ったのは93年にWOWOWか何かで彼らがその年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演した際の映像を見た時でした。ある意味カルチャー・ショックでしたね。その歌声の素晴らしさはもちろんですが、得体の知れない濃密なエネルギーにやられました。この頃はクラレンス・ファウンテンと共にもう一人のオリジナル・メンバーであるジョージ・スコットも健在で、2人は椅子に座って歌ってるんですが、歌が盛り上がってくると立ち上がって踊りだしちゃうんですよ。するとお付の人が「まあまあ、」みたいな感じで椅子に座らせて。でもクラレンス・ファウンテンが座ると今度はジョージ・スコットが立ち上がる。彼を座らせると、またクラレンス・ファウンテンが立ち上がる。それの繰り返しっていう。あともう一人、ジミー・カーターっていうやんちゃなおじちゃんがおりまして、彼は客席をシャウトしながら延々と練り歩くんです。そして観客を目の前にして「イエーイ!」だの「ヘーイ!」だのやたら煽りまくる。そうこうしているうちに音楽はどんどん高揚していくっていう。いやはや、ゴスペルって凄いな!!って思いましたよ。
そんな彼らは何度か来日していますが、私が彼らを初めて見たのは95年。渋谷「ON AIR」でした。ゴスペルのライヴを見に行くのはこれが初めてだったので、「キリスト教徒じゃないけど大丈夫なのか?」とか、本気で心配しながら行きました…。もちろんそんな心配は必要ありませんでしたけどね。残念ながら曲目等詳しいことは殆ど覚えていませんが、その感動は初のゴスペル体験として深く私の胸に刻まれています。もちろんリード・シンガーとしてクラレンス・ファウンテンの歌声は格別の存在感でした。
あと、04年にフジロック・フェスティヴァルに出演したのも印象的でしたね。フジロックの長い歴史の中でゴスペル・グループが出演したのはこのアラバマだけではないでしょうか? グリーン・ステージとオレンジ・コートで観ましたけど、特にオレンジ・コートは印象的でしたね。フジ最奥地で聴く本物のゴスペル・カルテット、夜の山々に響く黒いハーモニーの神々しさは未だに脳裏に焼き付いています。当時一緒にコラボ作を作っていたベン・ハーパーが飛び入りしたりも。もちろんクラレンス・ファウンテンも元気でした。彼のゴスペルらしい、噛んで含めるような、含蓄の深い歌声は感動的でした。しかもこれがクラレンス・ファウンテンを中心にしたアラバマの最後の来日となってしまったと思うと感慨もひとしおです。
この時、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマがフジロックに出演したのは、現役で活躍するゴスペル・レジェンドとして貴重な存在だったことはもちろん、ロック、特にジャム・バンド界隈からリスペクトされていたことが大きかったでしょうね。正直、フジロックに先立つ02年、ジャム・バンドの祭典「ボナルー・フェスティヴァル」にアラバマが参加していると知った時はビックリしましたけど、その前後の彼らの作品を紐解けばそれも納得。ジョン・ハモンドやデヴィッド・リンドレーが参加した01年の「SPIRIT OF THE CENTURY」、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドをバックに従えた02年の「HIGHER GROUND」。豪華ゲストを向かえ、ジョン・メデスキーが全面バックアップした03年の「GO TO TELL IT ON THE MOUNTAIN」。そして極めつけはベン・ハーパーとの共演アルバム「THERE WILL BE A LIGHT」(04年)。どれも伝統を大切にしながらも、新たな冒険心を感じさせてくれる力作でした。しかもこの4作で、4年連続グラミー賞「Best Traditional Soul Gospel Album」部門を受賞しています。グラミー賞で同じ部門を4年連続で受賞しているアーティストなんてそうそういないんじゃないでしょうか?まさに第2の全盛期でした。
その後、残念ながらクラレンス・ファウンテンはグループと別れてしまいますが、昨年発表の最新作「ALMOST HOME」にはまた参加していたようですね。このアルバム、恥ずかしながら私はまだ未聴なので、近く手に入れて聴いてみたいと思います。
1950年代のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマを生で体験することは出来ませんでしたが、彼らの晩年の輝きを見ることが出来たのは、本当に幸せでした。クラレンス・ファウンテンの歌声、一生忘れません。
クラレンス・ファウンテンさん、安らかに。
写真のアルバムは02年の「HIGHER GROUND」。一番左がクラレンス・ファウンテン。中央奥がジミー・カーター。右手前がジョージ・スコット。
ゴスペル・カルテットの最高峰、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマの創設メンバーであり、長きに渡って中心人物としてグループを牽引したクラレンス・ファウンテンが亡くなられたそうです。88歳。残念でなりません。
アラバマ州の盲学校生徒達によりその前身グループが結成されたのは1939年。当初はハッピーランド・シンガーズと名乗っていたそうですが、48年頃にファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマと名を改めます。50年代にはライヴァルだったファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピをはじめ、ソウル・スターラーズ、ピルグラム・トラヴェラーズ、ディキシー・ハミングバーズ等と共に、ゴスペル・クァルテットの黄金時代を彩りました。この50年代こそ彼らの全盛期となるのでしょうが、その後もメンバー・チェンジを繰り返しながら、数十年という長きに渡って活動を続けてきました。クラレンス・ファウンテンも数年前まで、リーダーとして素晴らしい歌声を聴かせてくれていました。
さて、私がこのグループを知ったのは93年にWOWOWか何かで彼らがその年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演した際の映像を見た時でした。ある意味カルチャー・ショックでしたね。その歌声の素晴らしさはもちろんですが、得体の知れない濃密なエネルギーにやられました。この頃はクラレンス・ファウンテンと共にもう一人のオリジナル・メンバーであるジョージ・スコットも健在で、2人は椅子に座って歌ってるんですが、歌が盛り上がってくると立ち上がって踊りだしちゃうんですよ。するとお付の人が「まあまあ、」みたいな感じで椅子に座らせて。でもクラレンス・ファウンテンが座ると今度はジョージ・スコットが立ち上がる。彼を座らせると、またクラレンス・ファウンテンが立ち上がる。それの繰り返しっていう。あともう一人、ジミー・カーターっていうやんちゃなおじちゃんがおりまして、彼は客席をシャウトしながら延々と練り歩くんです。そして観客を目の前にして「イエーイ!」だの「ヘーイ!」だのやたら煽りまくる。そうこうしているうちに音楽はどんどん高揚していくっていう。いやはや、ゴスペルって凄いな!!って思いましたよ。
そんな彼らは何度か来日していますが、私が彼らを初めて見たのは95年。渋谷「ON AIR」でした。ゴスペルのライヴを見に行くのはこれが初めてだったので、「キリスト教徒じゃないけど大丈夫なのか?」とか、本気で心配しながら行きました…。もちろんそんな心配は必要ありませんでしたけどね。残念ながら曲目等詳しいことは殆ど覚えていませんが、その感動は初のゴスペル体験として深く私の胸に刻まれています。もちろんリード・シンガーとしてクラレンス・ファウンテンの歌声は格別の存在感でした。
あと、04年にフジロック・フェスティヴァルに出演したのも印象的でしたね。フジロックの長い歴史の中でゴスペル・グループが出演したのはこのアラバマだけではないでしょうか? グリーン・ステージとオレンジ・コートで観ましたけど、特にオレンジ・コートは印象的でしたね。フジ最奥地で聴く本物のゴスペル・カルテット、夜の山々に響く黒いハーモニーの神々しさは未だに脳裏に焼き付いています。当時一緒にコラボ作を作っていたベン・ハーパーが飛び入りしたりも。もちろんクラレンス・ファウンテンも元気でした。彼のゴスペルらしい、噛んで含めるような、含蓄の深い歌声は感動的でした。しかもこれがクラレンス・ファウンテンを中心にしたアラバマの最後の来日となってしまったと思うと感慨もひとしおです。
この時、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマがフジロックに出演したのは、現役で活躍するゴスペル・レジェンドとして貴重な存在だったことはもちろん、ロック、特にジャム・バンド界隈からリスペクトされていたことが大きかったでしょうね。正直、フジロックに先立つ02年、ジャム・バンドの祭典「ボナルー・フェスティヴァル」にアラバマが参加していると知った時はビックリしましたけど、その前後の彼らの作品を紐解けばそれも納得。ジョン・ハモンドやデヴィッド・リンドレーが参加した01年の「SPIRIT OF THE CENTURY」、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドをバックに従えた02年の「HIGHER GROUND」。豪華ゲストを向かえ、ジョン・メデスキーが全面バックアップした03年の「GO TO TELL IT ON THE MOUNTAIN」。そして極めつけはベン・ハーパーとの共演アルバム「THERE WILL BE A LIGHT」(04年)。どれも伝統を大切にしながらも、新たな冒険心を感じさせてくれる力作でした。しかもこの4作で、4年連続グラミー賞「Best Traditional Soul Gospel Album」部門を受賞しています。グラミー賞で同じ部門を4年連続で受賞しているアーティストなんてそうそういないんじゃないでしょうか?まさに第2の全盛期でした。
その後、残念ながらクラレンス・ファウンテンはグループと別れてしまいますが、昨年発表の最新作「ALMOST HOME」にはまた参加していたようですね。このアルバム、恥ずかしながら私はまだ未聴なので、近く手に入れて聴いてみたいと思います。
1950年代のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマを生で体験することは出来ませんでしたが、彼らの晩年の輝きを見ることが出来たのは、本当に幸せでした。クラレンス・ファウンテンの歌声、一生忘れません。
クラレンス・ファウンテンさん、安らかに。
写真のアルバムは02年の「HIGHER GROUND」。一番左がクラレンス・ファウンテン。中央奥がジミー・カーター。右手前がジョージ・スコット。