ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

レベッカ・マーティン@渋谷タワーレコード

2009-02-28 15:02:00 | SSW
今日は渋谷タワーレコードに、未完の天才SSWと言われるレベッカ・マーティンのインストア・ライウ゛を観に来ています。スペシャルゲストに彼女の夫でありベーシストとのラリー・グレナディエを迎えたデュオ・ライヴです。今、開演待ち。楽しみです。


帰宅後追記:
レベッカ・マーティン、良かったです! 優しく漂うようなメロディー・ラインに身を委ね、清涼感と暖かさ、そして包容力のある歌声にうっとりでした。彼女はジャズ・シンガー的なくくりで語られることが多いですが、元々は90年代半ばにジェシー・ハリスとのデュオ、ワンス・ブルーでデビューしたんですよね~。ソロになって最新作「GROWING SEASON」はもう4枚目。今回はコットンクラブ公演のため来日中で、明日、3月1日が最終日だそうです。ちなみにその日は13:00よりタワレコ新宿店 7Fイベントスペースで、インストア・ライヴも予定されてるようです。

また観に行っちゃおうかな~。ちょうど新宿行くし。実は3月1日はディスク・ユニオン新宿本館5階で15時から、今話題の女性ブルース・シンガー、CHIHANA のインストア・ライヴがあるんです。弱冠20歳でドブロを弾き、ブルースを歌う女性。これはちょっと気になりますよね~。時間的にちょうど良い感じで、インストアのハシゴでもしようかな? そして締めは渋谷でカルロス・ジョンソンのライヴです! これは本当に楽しみです!




レベッカ・マーティン、コットンクラブ公演のフライヤー。




ニューオーリンズ・ストリート・シンガー

2009-02-27 21:49:00 | ソウル、ファンク
SNOOKS EAGLIN / NEW ORLEANS STREET SINGER

先日亡くなられたスヌークス・イーグリン。ニューオーリンズが誇る偉大なギタリストでした。その最初期のレコーディングを集めたアルバムが「NEW ORLEANS STREET SINGER」。ギター・インスト2曲を含む、アコースティック・ギター弾き語りの演奏集。タイトルが示す通り、まるでスヌークスが本当にニューオーリンズの片隅でストリート・シンガーをやっていたかのような雰囲気。でもブルース&ソウル・レコーズ誌NO.6号のスヌークス・イーグリン特集によりますと、実際はそうではなかったようです…。

1936年、ニューオーリンズ生まれ。1歳半の頃に脳の腫瘍手術により失明してしまいます。ギターを始めたきっかけは5歳の時の父親からのプレゼント。それ以来、ラジオから流れてくる音楽に合わせて片っ端からギターを弾いていたのでしょう。後に「人間ジューク・ボックス」と言われる原点の姿が想像出来ますね。その後、教会やタレント・コンテストなどで腕を磨き、10代半ば頃にフラミンゴズというバンドに参加。このバンドは当時まだ10代だったアラン・トゥーサンが作ったバンドで、学園祭やダンス・パーティーを舞台に活動していたとか。ホーン隊も入った大所帯でありながらベーシストが居らず、スヌークスがギターでベース・パートも同時にこなしていたと言う説もあるらしい。さらに酔っぱらったメンバーを車に乗せて盲目のスヌークスが運転して帰ったなんていう信じられない伝説もあったり。

この頃、後のネヴィル・ブラザーズの長兄アート・ネヴィルも自身のバンド,ホーケッツを率いて地元で台頭してきていました。ネヴィル・ブラザーズ自伝の中でアートは当時を振り返り、自ら「ニューオーリンズじゃホーケッツがナンバーワンのバンドだった」と語っていますが、「他に地元で人気のバンドといえば、アラン・トゥーサンがやってたフラミンゴズだ」とも語っています。さらに「アランのとこにはギターのスヌークス・イーグリンがいてな、目は見えないんだが、街じゃ右に出るものがいないぐらいの最高のギターを弾いてた」と。しかもギグの予定日にホーケッツのメンバーが都合つかない時には、ギターにスヌークス・イーグリン、ドラムスにスモーキー・ジョンソンというトリオでステージに上がったこともあったとか。なんとなくこの時代の若き彼らの活動振りが伺えるエピソードですね。

そんなスヌークスの最も初期のレコーディングとして知られるのが、53年、シュガー・ボーイ・クロフオードのバック・メンバーとしてのセッション。あのニューオーリンズ・クラシック「Iko Iko」の原曲となる「Jock-A-Mo」もこのセッションで録音されています。インディアンのチャントを元にした曲ですが、マンボっぽいリズムがニューオーリンズのガンボな地域性を物語るような名曲。バックにはあまり目立たないながらもはっきりとスヌークスのギターの音が聴こえます。

そしてスヌークス・イーグリンとして個人名義の初録音となるのが58年、ハリー・オスター博士によるフィールド・レコーディング。このセッションは61年まで断続的に続けられ、基本的にはアコギ弾き語り、時にウォッシュボードなどを従え計60曲以上が録音されたそうです。て言うか、ハリー・オスター博士って何者?って感じですが、この人、ルイジアナ州立大学の民俗学者で、当時ルイジアナを中心に伝統的な民謡や労働歌を掘り下げ、数々のフィールド・レコーディングを行っていたようです。なかでも最大の功績と言えるのが、アンゴラ刑務所に服役中だったロバート・ピート・ウィリアムスを発見し、レコーディングしたことでしょうか? ロバートのレコーディングは59年から61年頃に行われているようで、スヌークスと被っているのも気になったり。

ま、それはそうと、そんなハリー・オスター博士に“発見”されたスヌークスなのです。この一連のセッションについては、いくつかのアルバムに切り売りされていますが、上写真の「NEW ORLEANS STREET SINGER」もその1つ。58年及び、60年から61年の録音が収録されています。フォーク・ソングの「Alberta」に始まり、プレスリーも歌ったアーサー・ボーイ・クルーダップの「That's Alright」、レイ・チャールズの「I Got A Woman」、ウィリー・メイボーンの「I Don't Know」、ゴスペル曲の「When They Ring Them Golden Bells」に「Remember Me」、ジミー・ロジャース(カントリーの方)の「A Thousand Miles From Home」など、雑多この上ない選曲。さらに極めつけはインスト2曲。1つは12弦ギターで弾く「Malaguena」。フラメンコです! これには流石のハリー・オスターもビックリしたでしょうね。もう1つは「When Shadows Fall」。これはジャズ・スタンダードの「Home(When Shadows Fall)」をインストで演ってるんですけど、このアレンジが粋というか洒落てて良いんですよ!

そして案外直球勝負のブルースが多いことにかえって驚かされたり。「Mean Old World」、「Come Back, Baby」、「Trouble In Mind」、「The Drifter Blues」、「Everyday I Have The Blues」なんていう超有名曲をやっています。スヌークスというとほんわかムードな印象ですが、これらや、ジョン・リー・フッカーがオリジナルという「I Got My Questionaire」あたりはかなりドロリとしており、ライトニン・ホプキンスあたりの影響も伺えて興味深いです。

で、問題は果たしてこれらはこの頃のスヌークス・イーグリンを正しく捉えた録音なのか?ということ。ブルース&ソウル・レコーズ誌では“やらせ”があったのでは?ということですが、どうなんでしょうね~。60年代のフォーク・リヴァイヴァル・ブームの足音は50年代後半から聞えていたはずで、そういったものへの制作者側の憧憬が、“何でも出来てしまう”スヌークスに白羽の矢を立たてたというのは充分に考えられます。しかもこのセッションが終わるか終わらないかのうちに、スヌークスがインペリアルへ吹き込みを開始したのはエレキ・バンド・セットによるR&B路線でした。この変わり身の早さはやはり“やらせ”だったと考えた方が自然に思えたり。

仮に“やらせ”だったとしてこの録音に価値がないかと言われれば否なのです。ブルース&ソウル・レコーズでも、“やらせ”を示唆した上で“スヌークスの本質は変わらない”という趣旨であり、なるほどと思わせられるのです。この多岐にわたる選曲と、その全てを弾きこなし歌いこなすスヌークスの才能と資質。それはハリー・オスターの思惑を遥かに超えていたのでは? それに幼い頃からラジオを聞いて、一人ギターと格闘しながら曲を覚えていたのであろうスヌークスにとって、弾き語りもまた彼の一面であることは間違いないと思うのです。

果たしてスヌークス・イーグリンはストリート・シンガーだったのか? スヌークス本人は「ストリート・ミュージシャンなんぞやった事がない」と語っているとか…。






"SUGAR BOY" CRAWFORD / 1953-1954
シュガー・ボーイ・クロフォードの53年から54年の録音を集めた作品。もちろん「Jock-A-Mo」も収録されています。



ROBERT PETE WILLIAMS / FREE AGAIN
ロバート・ピート・ウィリアムスの弾き語りブルース。ハリー・オスター博士による60年ニューオーリンズ録音。スヌークスとは何の関係もありませんが、ハリー・オスター繋がりで、博士の録音によるスヌークスのアルバム「THAT'S ALL RIGHT」と2in1でリリースされたこともあるようです。

スヌークス・イーグリン逝く

2009-02-21 10:47:35 | ブルース
SNOOKS EAGLIN / SOUL'S EDGE

悲しいです。2月18日、私のフェイヴァリット・アーティストの一人、ニューオーリンズの偉大な盲目のギタリスト、スヌークス・イーグリンが亡くなられたそうです。ブルース銀座さんのブログで知りました。数日前の記事ではスヌークスが前立腺ガンで入院したものの、その後退院し快方に向かっているとのことでしたので、心配半分、安心半分だったのですが、それからこんなに早く亡くなってしまうとは…。

私がスヌークスを知ったのは95年作「ソウル・エッジ」でした。御茶ノ水のディスク・ユニオンで買ったんです。当時、ニューオーリンズ音楽は大好きでしたがスヌークス・イーグリンは知りませんでした。ですが何故かこのジャケットはインパクトがあったんですよね~、私には。何て言うか佇まいですかね?とにかくこの人はただ者ではないと私は直感したのでした。

スヌークスの魅力は、ゴツゴツとしていながらもスピード感と切れ味が抜群なギター・スタイル。そしてそれと対照的などこか飄々とした歌声。この二つが相まって彼にしかないユニークな味わいを醸し出すのです。もちろんかの地ならではの和みと哀愁の深いスロー・ナンバーも味わい深い。さらに「人間ジュークボックス」の異名を取る多彩なレパートリー。それを全て自分の物としてしまう個性。そしてライヴ!

当時、心あるニューオーリンズ音楽ファンの間では「ニューオーリンズに行ったらスヌークスを観ろ!」が合い言葉になっていたとかいないとか。ま、それは冗談ですけど、しかしそんな声が聞えるぐらい、マニアの間でスヌークスのライヴに伝説じみた羨望が沸き上がっていたのです。とにかくスヌークスのライヴが凄いぞ!と。そしてそのスヌークスが95年12月、パークタワー・ブルース・フェスティヴァルで初来日したのです。

もちろん私も観に行きましたよ! 忘れもしない95年12月10日新宿パークタワーホール。ヴァーノン・ギャレット、ロバート・ジュニア・ロックウッド、リトル・サニー、そしてトリとして登場したのがスヌークス・イーグリンでした。座席指定式のイベントでありながら、最後のスヌークスの時には、ファンがステージ前に大勢詰めかけ、私もここぞとばかりに中央向かって左寄りながら最前列かぶりつきで観ることが出来ました。残念ながらどんなライヴだったかはもう記憶の彼方ですが、鋭い切れ込みからスリリングに展開して行くギター・ソロの臨場感や、強力で無骨なカッティングに大興奮したことは覚えています。そして彼をサポートしたジョージ・ポーター・ジュニアも流石のプレイでした。会場が一体となって幸福感たっぷりに盛り上がったあの感じは、一生忘れることはないでしょう。そしてこの日から私のフェイヴァリット・ギタリストはスヌークスになったのでした!

で、この来日公演の盛況が功を奏したのか、彼は翌年にも来日してくれました。8月3日渋谷オン・エアー・ウェスト。この時はど真ん中かぶりつき。目の前でスヌークスの弦捌きをまざまざと観れました。まあ、観れたところで彼の神業的弦捌きは、増々神業に見えるばかりでしたが…。そしてライヴ終了後には握手もしてもらいました。といっても彼は盲目です。ステージ上から手探りで観客に向けて手を差し伸べてくれるのです。私もしっかりと彼の手を握りました。そしておつきの人に促されてステージを去って行くスヌークス、もうどんなに手を伸ばしても届かない位置になっても、観客の声に律儀に手探りで手を伸ばしていたスヌークスの姿がなんだか印象的でした。

私がスヌークスのライヴを観たのはこの2回だけです。でもブルース銀座さんのブログによりますと、スヌークスは地元を離れるのを嫌い、滅多にツアーに出なかったそうです。そんな彼のステージを日本で2度も観れたことは幸せなことだったかもしれません。

スヌークス・イーグリンは自身のソロ作品はもちろん、ニューオーリンズの数々のアーティストのバックでも個性を発揮しています。ワイルド・マグノリアスとか、トミー・リッジリーとか、アール・キングとか。大概、スヌークスのギターが強烈にファンキーさを演出するんですよね。主役を立てながらもいかにもスヌークス!って感じで。偉大なギタリストならではの説得力です。本当に偉大なギタリストでした。

またいつか来日してくれることを楽しみにしていたんですけどね…。

スヌークス・イーグリンさん、安らかに。


フジロック早割

2009-02-06 08:11:22 | フジロック
今年もフジロックが近づいてまいりました。いやいやまだ半年近く先の話しでしょ?いえいえ確実に近づいてきてるのです。何故なら恒例の早割がオフィシャル・サイトにて発表になったのですから!

正式には『期間限定早い割引チケット』だそうです。略して早割。3日通し券が通常価格39,800円のところ、早割なら32,800円で買えるのです。限定10,000枚。多いのか少ないのかは微妙ですが、毎年購入希望者が殺到し、買えずに涙を飲む人が多数出るとか…。まだメンツが1組も発表されていない段階で少なくとも10,000人以上の人がチケットを求めちゃうんですから凄いですよね。恐るべしフジロッカーズ。

ま、10,000人に7,000円引きで売ってしまう主催者も凄いですが、逆にどんなにメンツがしょぼくても10,000人は確保出来るシステムでもあるんですけどね。もちろん10,000枚を売り切るには過去の実績あってのことでしょうし、そのリスクを冒してでもチケットを手に入れたいと思わせるのがフジロックなのです。期待を裏切らないというか、裏切られるのに慣れっこになってるというか…。かくいう私も早割はゲットしておきたいものです。7,000円の差は大きいですよね~。受付は2月14日からだそうです。eプラスにしようか? それとも ぴあ にしようか?

そして同時に冬のイベント『雪の苗場でWeSky a Go-Go!』の開催も発表になりましたね。今年もDJパーティーにはお馴染みの石野卓球さんなどが出演するようですが、私は行ったことがないんですよね~。やっぱりこれにも参加しないと真のフジロッカーとは言えないんですかね?


さ~て、いよいよ本格的にフジの季節が到来してきましたね。チケット、宿、交通手段、メンツ、忙しくなってきます!