IKE TURNER & HIS KINGS OF RHYTHM / IKE'S INSTRUMENTALS
07年もそろそろ暮れようとしている今日この頃、悲しいニュースが届きました。アイク・ターナーが亡くなられたそうです。12月12日、カリフォルニア州の自宅で。76歳だったそうです。死因についてはまだ公表されてないようですね。
アイク・ターナーと言えばティナ・ターナーの元夫であり、60年代から70年代にアイク&ティナ・ターナーとして「River Deep Mountain High」や「Proud Mary」など数々のヒットを飛ばしました。ティナ・ターナーが後にソロで大成功したこともあり、彼女のアグレッシヴ極まりない歌唱スタイルばかりが取りざたされがちなアイク&ティナ・ターナーですが、あれはまさしくアイク・ターナーのバンドなのです。音楽の核となるのはもちろん彼ですし、ティナ・ターナーの才能を見出し開花させたのも彼なのです。さらにティナやダンサーのアイケッツの振り付けや衣装まで彼が手掛けていたと言いますから、まさにアイクのプロデュース能力の結晶なのです。その魅力は先鋭的な黒人レヴューとしてのライブ・パフォーマンスで最も輝きました。いくつかの映像で確認出来ますが、アイク自身はバックに徹するものの、そのトータル的なエグ味と濃ゆさは相当に凄いです! そして70年には来日し「赤坂ムゲン」でライヴを行ったそうです。もう伝説ですね。あ~、行きたかった! でもその時私はまだ2歳…。しょうがないですね。
でもアイク・ターナーはアイク&ティナ・ターナーだけではないのです。むしろそれ以外こそが彼の本当の凄さなのかもしれないのです。
1931年ミシシッピはクラークスデイル生まれ。40年代末、ザ・キングス・オブ・リズムを結成しメンフィスに出ます。そして彼等の初録音と呼ばれるのが51年、ジャッキー・プレストン&ヒズ・デルタ・キャッツ名義の「Rocket 88」。アイク・ターナーの叩きつけるようなピアノと、全体のローリングするようなノリが印象的で、“ロックン・ロールの元祖”と呼ばれたりします。03年のブルース&ソウル・レコーズ誌51号に載ったアイクのインタヴューで彼はこの曲を指し「最初のロックンロールの曲は俺が作ったんだよ」と語っています。さらに「パイントップ・パーキンスが俺にブギウギ・ピアノを教えてくれた。俺はそこに自分なりのフィーリングを付け足したんだ。」と。なるほど~。
でもやっぱり「リズムの王様」を名乗るバンドの本領発揮はやはりインスト物。そこで写真のアルバムは50年代から60年代に掛けてのアイク・ターナー絡みのインスト曲ばかりを集めた編集盤、その名も「IKE'S INSTRUMENTALS」。ロッキンR&Bなゴリゴリなノリを存分に楽しめると同時に、アイクのギタリストとしての魅力が全開なアルバムです。とにかく彼のギターはソリッド且つアグレッシヴ。18番のトレモロ・バーを使ったプレイも随所に飛び出し、独創的なフレーズがトリッキーに駆け巡ります。もちろんリズム・プレイは言わずもがな。だてにキングス・オブ・リズムと名乗ってはいません。また、ラテンな味付けが効いた曲が印象的なのも味噌。
そしてそんな自らのバンド活動と平行して50年代にはモダンやコブラでタレントスカウトやプロデューサー的な裏方仕事に辣腕を振るっていました。その功績は当時のブルース・シーンにおいてしばしウィリー・ディクソンと並び賞されるほどです。と書いたら褒めすぎですかね?
でもハウリン・ウルフをモダン・レコードに紹介したのも彼だそうですし、エルモア・ジェイムスの初モダン録音(52年)でもアイクが重要な役割を果たしたようです。エルモアの代表曲「Please Find My Baby」はこの時録音され、アイクのピアノが重量級のノリに一役買っています。他にも数々の録音でアイクは引っ張りだこだったようです。
そしてコブラでは何と言ってもオーティス・ラッシュでしょう。アイクは彼のコブラでのラスト・レコーディング(58年)に参加しています。この時録音された4曲にはラッシュの代表曲「All Your Love」と「Double Trouble」が含まれます。特に「Double Trouble」はアイクの引きつるようなギターなくしてあの締め付けられるような味わいは成し得なかったであろうと思えるほどの大名演。名曲の影にアイク在りなのです。
その後はもちろんアイク&ティナ・ターナーでの活躍です。しかしここまで順調だったかのように見えたアイクも、ティナとのコンビ解消後は暴力やドラッグというダーティなイメージが定着してしまった感もありました。しかし91年には「ロックの殿堂」入りを果たし、ここ数年は自らがフロントに立ったキングス・オブ・リズムで完全復活を印象付けていました。06年の最新ソロ作「RISIN' WITH THE BLUES」はグラミー賞『Best Traditional Blues Album』を受賞しました。悔やまれるのは03年の来日公演です。私もチケットを買って楽しみにしていたのですが、アイクは入国許可が下りずキャンセル。過去のドラッグ関係が災いしたようですね。結局アイク抜きのキングス・オブ・リズムを観ました。アイクが手塩にかけたバンドだけありなかなか良かったですけどね…。でももう来日が叶わないと思うと今更ながらまたショックです。
アイク・ターナーさんのご冥福をお祈りいたします。
07年もそろそろ暮れようとしている今日この頃、悲しいニュースが届きました。アイク・ターナーが亡くなられたそうです。12月12日、カリフォルニア州の自宅で。76歳だったそうです。死因についてはまだ公表されてないようですね。
アイク・ターナーと言えばティナ・ターナーの元夫であり、60年代から70年代にアイク&ティナ・ターナーとして「River Deep Mountain High」や「Proud Mary」など数々のヒットを飛ばしました。ティナ・ターナーが後にソロで大成功したこともあり、彼女のアグレッシヴ極まりない歌唱スタイルばかりが取りざたされがちなアイク&ティナ・ターナーですが、あれはまさしくアイク・ターナーのバンドなのです。音楽の核となるのはもちろん彼ですし、ティナ・ターナーの才能を見出し開花させたのも彼なのです。さらにティナやダンサーのアイケッツの振り付けや衣装まで彼が手掛けていたと言いますから、まさにアイクのプロデュース能力の結晶なのです。その魅力は先鋭的な黒人レヴューとしてのライブ・パフォーマンスで最も輝きました。いくつかの映像で確認出来ますが、アイク自身はバックに徹するものの、そのトータル的なエグ味と濃ゆさは相当に凄いです! そして70年には来日し「赤坂ムゲン」でライヴを行ったそうです。もう伝説ですね。あ~、行きたかった! でもその時私はまだ2歳…。しょうがないですね。
でもアイク・ターナーはアイク&ティナ・ターナーだけではないのです。むしろそれ以外こそが彼の本当の凄さなのかもしれないのです。
1931年ミシシッピはクラークスデイル生まれ。40年代末、ザ・キングス・オブ・リズムを結成しメンフィスに出ます。そして彼等の初録音と呼ばれるのが51年、ジャッキー・プレストン&ヒズ・デルタ・キャッツ名義の「Rocket 88」。アイク・ターナーの叩きつけるようなピアノと、全体のローリングするようなノリが印象的で、“ロックン・ロールの元祖”と呼ばれたりします。03年のブルース&ソウル・レコーズ誌51号に載ったアイクのインタヴューで彼はこの曲を指し「最初のロックンロールの曲は俺が作ったんだよ」と語っています。さらに「パイントップ・パーキンスが俺にブギウギ・ピアノを教えてくれた。俺はそこに自分なりのフィーリングを付け足したんだ。」と。なるほど~。
でもやっぱり「リズムの王様」を名乗るバンドの本領発揮はやはりインスト物。そこで写真のアルバムは50年代から60年代に掛けてのアイク・ターナー絡みのインスト曲ばかりを集めた編集盤、その名も「IKE'S INSTRUMENTALS」。ロッキンR&Bなゴリゴリなノリを存分に楽しめると同時に、アイクのギタリストとしての魅力が全開なアルバムです。とにかく彼のギターはソリッド且つアグレッシヴ。18番のトレモロ・バーを使ったプレイも随所に飛び出し、独創的なフレーズがトリッキーに駆け巡ります。もちろんリズム・プレイは言わずもがな。だてにキングス・オブ・リズムと名乗ってはいません。また、ラテンな味付けが効いた曲が印象的なのも味噌。
そしてそんな自らのバンド活動と平行して50年代にはモダンやコブラでタレントスカウトやプロデューサー的な裏方仕事に辣腕を振るっていました。その功績は当時のブルース・シーンにおいてしばしウィリー・ディクソンと並び賞されるほどです。と書いたら褒めすぎですかね?
でもハウリン・ウルフをモダン・レコードに紹介したのも彼だそうですし、エルモア・ジェイムスの初モダン録音(52年)でもアイクが重要な役割を果たしたようです。エルモアの代表曲「Please Find My Baby」はこの時録音され、アイクのピアノが重量級のノリに一役買っています。他にも数々の録音でアイクは引っ張りだこだったようです。
そしてコブラでは何と言ってもオーティス・ラッシュでしょう。アイクは彼のコブラでのラスト・レコーディング(58年)に参加しています。この時録音された4曲にはラッシュの代表曲「All Your Love」と「Double Trouble」が含まれます。特に「Double Trouble」はアイクの引きつるようなギターなくしてあの締め付けられるような味わいは成し得なかったであろうと思えるほどの大名演。名曲の影にアイク在りなのです。
その後はもちろんアイク&ティナ・ターナーでの活躍です。しかしここまで順調だったかのように見えたアイクも、ティナとのコンビ解消後は暴力やドラッグというダーティなイメージが定着してしまった感もありました。しかし91年には「ロックの殿堂」入りを果たし、ここ数年は自らがフロントに立ったキングス・オブ・リズムで完全復活を印象付けていました。06年の最新ソロ作「RISIN' WITH THE BLUES」はグラミー賞『Best Traditional Blues Album』を受賞しました。悔やまれるのは03年の来日公演です。私もチケットを買って楽しみにしていたのですが、アイクは入国許可が下りずキャンセル。過去のドラッグ関係が災いしたようですね。結局アイク抜きのキングス・オブ・リズムを観ました。アイクが手塩にかけたバンドだけありなかなか良かったですけどね…。でももう来日が叶わないと思うと今更ながらまたショックです。
アイク・ターナーさんのご冥福をお祈りいたします。