THE DIXIE HUMMINGBIRDS / THE DIXIE HUMMINGBIRDS 1939-76
08年6月24日、伝説的ゴスペル・カルテット、ディキシー・ハミングバーズのリード・ヴォーカリスト、アイラ・タッカーが心不全のためフィラデルフィアで亡くなられました。享年83歳。
ディキシー・ハミングバーズは、戦後のゴスペル及びソウル・ミュ-ジックに与えた多大な影響力から、かのサム・クックを擁したソウル・スターラーズと双璧を成す存在と言われています。特に中心人物でありリード・ヴォーカリストであるアイラ・タッカーの荒々しさの中にも黒人の気高さを感じる迫力のヴォーカルが後のソウル・シンガーに与えた影響は計り知れません。
写真のアルバムはそんなハミングバーズとアイラ・タッカーの魅力がたっぷり味わえる日本企画のベスト盤「THE DIXIE HUMMINGBIRDS 1939-76」。このアルバムが発売されたのは98年。実はそれまでハミングバーズは、その実力と評価に反し何故か日本では満足に紹介されてこなかったようで、このCDのリリースは決定版アンソロジーの登場と当時大変話題になりました。代表曲が多少漏れていたりもするようですが、年代順に全盛期の熱い歌声を堪能できる素晴らしいアルバムです。
1925年サウスカロライナ州スパータンバーグ生まれのアイラ・タッカー。彼のハミングバーズへの加入年月については諸説あるようですが、このアルバムの解説ではハミングバーズが1939年9月にデッカへ初録音を行った直後ではないかと言うことです。その時タッカーはまだ10代前半でした。ちなみにハミングバーズ自体はその10年程前、1928年にサウスカロライナ州グリーンズヴィルにある教会の少年コーラス隊が母体になり結成されたそうです。
やはりハミングバーズの全盛期と言えば50年代ですかね。このアルバムでももちろんその時代の名唱を聴くことができます。スローナンバーの「I'll Keep On Living after Die」でのタッカーの太く低い声からシャウト、ファルセットまで自由自在な表現力が素晴らしい。そして何よりその声自体の存在感が堪らない。もちろんカルテットならではのハーモニーも素晴らしい!
また、ソウル・スターラーズやブラインド・オーイズ・オブ・ミシシッピ、ベルズ・オブ・ジョイなど当時のライヴァル達の曲を小気味良く繋げるアップテンポの「Let's Go Out To The Programs - no.1」では、そのショーマンシップから彼等のエンターテイン振りが窺えます。実際、彼等のライヴはジェイムズ・ブラウンに通じるような、派手なアクションで失神者が続出する程の熱狂的なものだったとか。一度そんな映像を見てみたいです…。
さらに悲しみを湛えたスピリチュアルな「Poor Pilgrim Of Sorrow」も感動的。ハワード・キャロルのセンス抜群のギターも素晴らしい。こういった静かな曲をじっくりと聴かせるのも、男性カルテットの魅力ですよね。
そして60年代になるとハミングバーズは、BSR誌29号のゴスペル・カルテット特集曰く『公民権運動の時代を先頭を切って走った』そうです。タッカーの作となる65年の「If Anybody Ask You」は人種差別下での黒人の“自己確認”の歌だそうで、彼の力強い歌声にしびれます。
70年代では、何と言っても73年にグラミー賞『Best Soul Gospel Performance』部門を受賞した「Loves Me Like A Rock」です。この曲はポール・サイモンの曲で、もともとポール・サイモンのアルバム「ひとりごと」にハミングバーズが参加しバック・コーラスを務めたもので、あらためてハミングバーズ自身が録音したヴァージョンが、グラミー受賞しました。
ちなみにポール・サイモンの「ひとりごと」は、マスル・ショールズ録音を含む傑作として知られ、彼の米南部路線にハミングバーズも一役買ったといったところでしょうか。 それにしてもハミングバーズを招いたポール・サイモンは流石ですね。
76年にはタッカーと共にグループの要だったベース・パートのウィリー・ボボが亡くなります。彼の歌声は短い曲ですがアカペラの「Ezekiel Saw The Wheel」で堪能できます。
このアルバムが76年で終わっているように、ウィリー・ボボを失ったことがハミングバーズにとって一つの時代の終焉だったのかもしれませんね。しかしハミングバーズは80年代も、90年代も生き続け、アイラ・タッカーは歌い続けていたのだと思います。残念ながらその間の活動について私は良く知りません。ですが、2003年に、私の大好きなアルバムがリリースされます。
ですが、それについてはまた次回ということで。
08年6月24日、伝説的ゴスペル・カルテット、ディキシー・ハミングバーズのリード・ヴォーカリスト、アイラ・タッカーが心不全のためフィラデルフィアで亡くなられました。享年83歳。
ディキシー・ハミングバーズは、戦後のゴスペル及びソウル・ミュ-ジックに与えた多大な影響力から、かのサム・クックを擁したソウル・スターラーズと双璧を成す存在と言われています。特に中心人物でありリード・ヴォーカリストであるアイラ・タッカーの荒々しさの中にも黒人の気高さを感じる迫力のヴォーカルが後のソウル・シンガーに与えた影響は計り知れません。
写真のアルバムはそんなハミングバーズとアイラ・タッカーの魅力がたっぷり味わえる日本企画のベスト盤「THE DIXIE HUMMINGBIRDS 1939-76」。このアルバムが発売されたのは98年。実はそれまでハミングバーズは、その実力と評価に反し何故か日本では満足に紹介されてこなかったようで、このCDのリリースは決定版アンソロジーの登場と当時大変話題になりました。代表曲が多少漏れていたりもするようですが、年代順に全盛期の熱い歌声を堪能できる素晴らしいアルバムです。
1925年サウスカロライナ州スパータンバーグ生まれのアイラ・タッカー。彼のハミングバーズへの加入年月については諸説あるようですが、このアルバムの解説ではハミングバーズが1939年9月にデッカへ初録音を行った直後ではないかと言うことです。その時タッカーはまだ10代前半でした。ちなみにハミングバーズ自体はその10年程前、1928年にサウスカロライナ州グリーンズヴィルにある教会の少年コーラス隊が母体になり結成されたそうです。
やはりハミングバーズの全盛期と言えば50年代ですかね。このアルバムでももちろんその時代の名唱を聴くことができます。スローナンバーの「I'll Keep On Living after Die」でのタッカーの太く低い声からシャウト、ファルセットまで自由自在な表現力が素晴らしい。そして何よりその声自体の存在感が堪らない。もちろんカルテットならではのハーモニーも素晴らしい!
また、ソウル・スターラーズやブラインド・オーイズ・オブ・ミシシッピ、ベルズ・オブ・ジョイなど当時のライヴァル達の曲を小気味良く繋げるアップテンポの「Let's Go Out To The Programs - no.1」では、そのショーマンシップから彼等のエンターテイン振りが窺えます。実際、彼等のライヴはジェイムズ・ブラウンに通じるような、派手なアクションで失神者が続出する程の熱狂的なものだったとか。一度そんな映像を見てみたいです…。
さらに悲しみを湛えたスピリチュアルな「Poor Pilgrim Of Sorrow」も感動的。ハワード・キャロルのセンス抜群のギターも素晴らしい。こういった静かな曲をじっくりと聴かせるのも、男性カルテットの魅力ですよね。
そして60年代になるとハミングバーズは、BSR誌29号のゴスペル・カルテット特集曰く『公民権運動の時代を先頭を切って走った』そうです。タッカーの作となる65年の「If Anybody Ask You」は人種差別下での黒人の“自己確認”の歌だそうで、彼の力強い歌声にしびれます。
70年代では、何と言っても73年にグラミー賞『Best Soul Gospel Performance』部門を受賞した「Loves Me Like A Rock」です。この曲はポール・サイモンの曲で、もともとポール・サイモンのアルバム「ひとりごと」にハミングバーズが参加しバック・コーラスを務めたもので、あらためてハミングバーズ自身が録音したヴァージョンが、グラミー受賞しました。
ちなみにポール・サイモンの「ひとりごと」は、マスル・ショールズ録音を含む傑作として知られ、彼の米南部路線にハミングバーズも一役買ったといったところでしょうか。 それにしてもハミングバーズを招いたポール・サイモンは流石ですね。
76年にはタッカーと共にグループの要だったベース・パートのウィリー・ボボが亡くなります。彼の歌声は短い曲ですがアカペラの「Ezekiel Saw The Wheel」で堪能できます。
このアルバムが76年で終わっているように、ウィリー・ボボを失ったことがハミングバーズにとって一つの時代の終焉だったのかもしれませんね。しかしハミングバーズは80年代も、90年代も生き続け、アイラ・タッカーは歌い続けていたのだと思います。残念ながらその間の活動について私は良く知りません。ですが、2003年に、私の大好きなアルバムがリリースされます。
ですが、それについてはまた次回ということで。