ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

アラン・トゥーサンのトーク&サイン会

2009-05-30 13:36:11 | フェス、イベント
渋谷タワーレコードに来ています。今日はアラン・トゥーサンのトーク&サイン会。昨日の来日公演の興奮冷めやらぬ今日なので楽しみです。

その前に、先程BLITZ&SQUASH BRASS BAND という関西から登場のニューオーリンズ・ブラス・バンドのインストア・ライウ゛を観ました。間近から迫り来るホーンの大迫力と押し寄せる熱きリズム!初めて観るバンドでしたが、かなり良かったです。

で、この後アラン・トゥーサンのサイン会。


帰宅後追記:
アラン・トゥーサンのトーク&サイン会は、かなりの人が集まり大盛況でしたね。しかもオープニングにはBLITZ&SQUASH BRASS BANDの演奏があったり。そのファンキーな演奏に導かれアランが登場し、彼らのサイン入りCDを客席に自慢げに見せて笑いを取っていました。トーク・ショーは文屋章さんが司会を務めまして、15分という短い時間でしたが、和気あいあいとした雰囲気の中、なかなか興味深いお話を聞くことができました。例えば「もし作曲とレコーディングに充分な時間があったらどんな作品を作りたいですか?」という質問には、それまでの穏やかな表情が一変して強ばった真剣な眼差しで悩んでしまい、その急変ぶりに思わず客席から笑いが漏れると、急に笑顔に戻り「それよりハワイに行きたい」と答えて更なる笑いを誘っていました。また「日本にも伝統的な音楽があると知ったので、それを自分なりのアレンジでやってみたい」といった感じのことも語っていました。そして「過去に一緒に仕事をした中で印象的なシンガーは?」という感じの質問にはまっさきに「リー・ドーシー」の名を挙げていました。さらに「彼の声には笑顔がある」と。あとはアーロン・ネヴィル、アーマ・トーマス、アーニー・ケー・ドウ、パティ・ラベルなどの名も出てきました。他には新作の話やカトリーナ被災復旧の話など、15分んなんてあっという間でした。それにしてもアラン・トゥーサンの話す声は、低く柔らかい良い声でした。また紳士的でちょっぴりお茶目な雰囲気も印象的でした。その後はサイン会に長蛇の列が出きながらも、一人一人に丁寧にサインしていました。もちろん私もサインを頂きました。

*トーク・ショーの質問とその答えにつきましては、私の曖昧な記憶を頼りに概ねのところで記していますので、内容うんぬんより、雰囲気を感じとっていただければ幸いです。なんかいいかげんですいません。



メリッサ・ラヴォー@渋谷タワレコ

2009-05-29 19:00:12 | SSW
今日はメリッサ・ラウ゛ォーのインストア・ライウ゛を観に渋谷タワーレコードに来ています。今、リハが終わりました。インストアにしては念入りにリハをしてまして、結構お得でした。それと一人で弾き語るのかと思いきや、ウッドベースとのデュオでした。これも嬉しい。生で聴く彼女の歌声は予想以上にユニーク且つエモーショナルで、キレのあるリズミカルなギターの指弾きも含め、生ならではの臨場感が音に宿っていました。その独特な空気感は、リハでありながら既に曲が終わるたびに拍手が沸き上がる程。本番が楽しみです!

で、その後はビルボードでアラン・トゥーサンです。こちらも超楽しみです。


帰宅後追記:
メリッサ・ラヴォー、良かったです! 思いのほか演奏自体は荒っぽいと言うか、アグレッシヴな部分もあり、やっぱりスモーキーながら声そのものの持つ迫力は説得力があります。そしてギターの弦を叩くようにキープするリズムも力強く、グイグイと引き込まれました。やっぱり「Needle in the hay」は格好良い!そして曲中の緊張感とは裏腹に終わった後の拍手に対し照れくさそうな笑みを浮かべて「アリガトウ」と言っていたのが可愛らしかったです。CDで聴くのとはまた違う魅力がありましたね。ライヴ終了後にサインも頂きました。この日はこの後、モリアーティ、ラグバーズとインストア・ライヴが続いたのですが、後ろ髪惹かれる思いで六本木へ移動。ビルボード・ライブ東京でアラン・トゥーサンです。 私が観たのは2ndショーでしたが、最高でした。ベスト選曲になるかと思ったのですが、意外と新作からの曲も演ってましたね。詳しくはまた後日レポを書きます。大粒のアサリが入ったボンゴレも美味しかったです!




アラン・トゥーサンとミーターズ

2009-05-28 19:55:26 | ソウル、ファンク
ALLEN TOUSSAINT / LIFE, LOVE AND FAITH

アラン・トゥーサンのビルボード・ライヴ東京公演が間近に迫ってきました。そして2ヶ月後にはファンキー・ミーターズがやってきます。わずか2ヶ月の間にトゥーサンとミーターズが観れるなんて夢のような話ではありませんか!!

プロデューサー/コンポーザーとして60年代初頭から、ジェシー・ヒル、アーロン・ネヴィル、アーマ・トーマス、アーニー・ケイ・ドウ、ベニー・スペルマン、リー・ドーシーなど、モッチャリとしたニューオーリンズR&Bでヒットを連発し破竹の勢いだったアラン・トゥーサンは、65年にマーシャル・シホーンと共同でサンスー・プロダクションを立ち上げます。そして新たなニューオーリンズのサウンドを模索しはじめます。それはミュージック・マガジン誌05年12月号のニューオーリンズ特集に曰く「R&Bシーンの当時の主流だったスタックス/ヴォルト・サウンドをヒントに、なんとかニューオーリンズ流儀で表現できないか」というものだったそうです。そこでミーターズと出会います。

ミーターズの中心人物アート・ネヴィルも自伝本「ネヴィル・ブラザーズ自伝」の中で、ミーターズ結成前からブッカーT&ザ・MGズの最小限のリズム・セクションによる隙間を活かしたファンキーなサウンドに注目していたと語っています。そしてMGズは自分たちでもヒットを出し、スタックスのサウンド全体の基盤も作っていたと絶賛しています。そんなアートが率いるミーターズ、しかもMGズと同じ編成のインスト・バンドですから、ニューオーリンズ版のスタックスを目指すトゥーサンにとっては願ってもないバンドだった訳です。

ミーターズはサンスーと契約し69年にデビューします。実はそれまではミーターズという名前ではなく、アート・ネヴィル&ザ・ネヴィル・サウンズと名乗っていたそうですが、デビューに際して改名したようです。そして自身の録音と平行して、トゥーサンのセッションへも頻繁に駆り出されます。特にリー・ドーシー、ドクター・ジョン、そしてトゥーサン自身のソロ作などは、ニューオーリンズR&Bを確実に1ステップ上げた名演傑作揃い。MGズにポリリズミックな“タメ”と“跳ね”を注入したかのようなミーターズ流濃密ファンクは、バンド単体よりトゥーサンの息が掛かっている分、より人懐っこく丸みを帯びたファンクネスを呈し、トゥーサンもここぞとばかりに名曲を連発して生み出しました。

74年にはトゥーサンがシーセイント・スタジオを立て、新しいニューオーリンズR&Bブランドは量産体制を整えます。この頃にはトゥーサンのサウンドはニューオーリンズの外まで響き、数々のアーティストがそれを求めてニューオーリンズまでやってきました。後に“トゥーサン詣で”と呼ばれる現象です。もちろんそのセッションの多くでミーターズもしくはそのメンバー達が起用されます。

最大のヒットはパティ・ラベルを擁するラベルの「レディー・マーマレード」。さらにジェス・ローデン、キング・ビスケット・ボーイ、ブロウニング・ブライアント、ZZ・ヒル、アルバート・キングなど。そして“トゥーサン詣で”最大の大物といえばポール・マッカートニー。ウィングスの「Venus And Mars」をシー・セイント・スタジオで録音しています。残念ながらトゥーサンがプロデュースしたり、ミーターズがバックを務めたりというディープな邂逅はなかったようですが、トゥーサンは「Rock Show」でピアノを弾き、アルバム完成船上パーティにミーターズが招かれ、その模様はライヴ盤になっています。

ニューオーリンズに新しい時代をもたらしたトゥーサンとミーターズの出会いはまさに運命的なものでしたが、逆に両者の確執もよく語られるところ。原因はトゥーサンが音楽的に全く関わっていないいくつかのミーターズ関連の作品にもプロデューサーとしてトゥーサンの名がクレジットされてしまうこと。そのことに対し自伝本の中でアートは「今でもそいつが気に食わない」と語ってたり。でもアラン・トゥーサンって凄く優しそうで紳士的なイメージがあるんですけどね…。実際何かのインタビューで、トゥーサンはミーターズのレコーディングについて自分の仕事は彼らをスタジオに入れるだけで、後は彼らが勝手にやる。見たいな事を言って認めてたような。クレジットの件はトゥーサンの意思というより、何かビジネス的な理由だったのかもしれませんね。

でもミーターズは最後のアルバム「NEW DIRECTION」でワーナーに移籍し、やっとトゥーサンの呪縛から離れられたのに、何故かトゥーサン作の「I'm Gone」を取り上げていたり。この辺もよく分かりません…。実際、本当にミーターズとトゥーサンの間に確執があったのか?そして仲直りはしてないのか? その辺は私にはよく分かりません。ちなみにカトリーナ被災のベネフィット・コンサートの模様を収めたライヴ盤「HIGHER GROUND」ではアートとアーロンのネヴィル兄弟とアラン・トゥーサンが仲良く「Go To The Mardi Gras」を演っています。

いつかアラン・トゥーサンがファンキー・ミーターズと一緒にアルバムを作るなんて事は無いでしょうかね~? とりあえずは両者の来日公演を観て、それぞれの今の魅力を堪能しながら、古き良き70年代に思いを馳せたいと思います。


さて、まずはアラン・トゥーサンです。ビルボードライヴ東京。私は29日金曜に行きます。ジャズの古典に焦点を当てた新作「THE BRIGHT MISSISSIPPI」発表直後の来日ということですが、この作品を反映したライヴになるのでしょうか? それともいつも通りヒット曲&名曲連発のベスト選曲でくるのか? 個人的にはどちらでもOKですが、発表メンバーを見る限り、おそらく後者なのでは。

レナード・ポーチェ/Renard Poche(Guitar)
ハーマン・ルボー/Herman LeBeaux(Drums)
ローランド・ゲリン/Roland Guerin(Bass)
ブライアン‘ブリーズ’カヨリ/Brian’Breeze'Cayolle(Tenor Sax)

前回はギター・レスでしたが今回はレナード・ポーチェが参加。近年ではファッツ・ドミノのトリビュート・アルバムで、ミーターズのジガブー・モデリステとジョージ・ポーター・ジュニアと共にハービー・ハンコックのバックでファンキーなギターを弾いてた人ですね。これは前回よりファンキーなステージが期待できるかも。そしてベーシストがチェンジしてますが、ドラムスとサックスは前回と同じ顔ぶれですね。きっとタイトな演奏を聴かせてくれることでしょう。楽しみです!


*上写真は72年のアラン・トゥーサンのソロアルバム「LIFE, LOVE AND FAITH」。トゥーサン&ミーターズを代表するアルバムの一つ。メロウ&ファンキー、そして洗練と泥臭さが同居したあの時代のニューオーリンズならではの怪しさが光ります。



LEE DORSEY / YES WE CAN...AND THEN SOME
こちらはリー・ドーシーが70年に発表した名盤にボーナストラック9曲を加えたリイシュー盤。トゥーサン製作による新生ニューオーリンズR&Bの規範とも言える傑作アルバム。もちろんミーターズも参加。


DR.JOHN / IN THE RIGHT PLACE
ドクター・ジョンの長いキャリアの中でも名作の1枚に数えられる「IN THE RIGHT PLACE」。ドクターのスワンピーな感性とミーターズの泥臭さが溶け合う極上のニューオーリンズ・ファンク。73年の作品。


LABELLE / NIGHTBIRDS
商業的な意味ではトゥーサン関連で最も成功した作品。ジガブーは不参加だそうですが、そこには若干ニューオーリンズ色を薄めにという意図があったのでしょうか?トゥーサンの絶妙な按配が光ります。そしてジョージ・ポーター・ジュニアの間を取りながら蛇行するベースラインは相当腰に来ます。


ALBERT KING / NEW ORLEANS HEAT
ブルース界の大御所によるニューオーリンズ録音。78年作。ミーターズからはジョージとレオが参加。スタックスで名作を残した偉人によるシー・セイント・スタジオ録音というのも、今考えるとなかなか興味深いですね。


アラン・トゥーサンの最新作。こちらについてはまた後日。



~関連過去ブログ~
 09.04.23 フジ予習:ファンキー・ミーターズ part 1
 09.05.21 フジ予習:ファンキー・ミーターズ part 2

 07.10.25 アラン・トゥーサン@Billboard Live TOKYO その1(07年の来日公演)
 07.10.26 アラン・トゥーサン@Billboard Live TOKYO その2(07年の来日公演)
 06. 6. 2 アラン・トゥーサン・ライブ!(06年6月、原宿BLUE JAY WAYでのライブ) 

フジ予習:ファンキー・ミーターズ part 2

2009-05-21 18:25:49 | フジロック
FUNKY METERS / LIVE FROM THE NEW ORLEANS JAZZ & HERITAGE FESTIVAL (DVD)

フジロック予習特集、ファンキー・ミーターズのつづきです。

オリジナルのミーターズが解散したのが77年。解散理由は何だったのでしょう?レコード会社との確執、評価とは裏腹に芳しくないセールス状況など、ビジネス面での疲弊が溜まっていたことは事実でしょう。そして意外だったのは数年前に出版された「ネヴィル・ブラザーズ自伝」でアート・ネヴィルが語る、彼と残り3人の間に生まれた深い溝です。アートと他の3人とは10歳ほどの年齢差があるのですが、これが災いしたのかもしれませんね。後期ミーターズはメンバーどうしのエゴによるトラブルが多発していたようです。

そんな頃、アート・ネヴィルを母アメリアが車に撥ねられ亡くなるという、ショッキングな事件が襲います。そして叔父ジョージ・ランドリーが率いるマルディグラ・インディアン・チーム“ワイルド・チョピトゥラス”のアルバム作成(リズム・セクションはミーターズ)を契機に、アートは自分達のルーツと兄弟の絆を再確認し、その結果ミーターズを解散させネヴィル・ブラザーズ結成へと向かったのです。


さて、私がミーターズを知ったのはおそらく90年代の初頭だと思います。ネヴィル・ブラザーズを初めて観たのが91年なので、その少し前でしょうね。その頃既にミーターズは伝説のバンドとしてほとんど神格化されていました。しかも最高傑作といわれる「REJUVENATION」を含むリプリーズ時代の作品はCD化されておらず、聴きたくても聴けない状態。95年にライノからその時代を含む2枚組みベスト盤が発売されたときの感動は今も忘れません。初めて聴く「Hey Pocky A-way」や「People Say」のオリジナル・ヴァージョン!

私がネヴィルズを知った90年代初頭前後は、ネヴィルズにとって「YELLOW MOON」、「BROTHER'S KEEPER」と立て続けに傑作を発表した頃で、まさに黄金期でした。そして我らがミーターズもその頃再結成を果たしています。89年だそうです。メンバーは、アート・ネヴィル、ジョージ・ポーター・ジュニア、レオ・ノッセンテリに、新加入のラッセル・バティステ・ジュニア。残念ながらジギー・モデリステはこの再結成には加わりませんでした。

さらに93年にはこの4人で奇跡の初来日。私も渋谷オン・エアーに観に行きましたよ! 昔のまんまのミーターズを期待した方々には、ドラムスが違うとか、レオがギターを弾きすぎてるとか、不満もあったかもしれませんが、私は感無量でしたね。初めて生で体感する本物のミーターズ・ファンクにどっぷりでした。とは言え昔の話なので内容などは覚えてないんですけどね…。

この再結成から現在のファンキー・ミーターズまでドラムスを務めるラッセル・バティステ・ジュニアは、ニューオーリンズ屈指の音楽ファミリー出身で、今やありとあらゆるセッションをこなす、かの地を代表するファンキー・ドラマーです。特にジョージ・ポーター・ジュニアの信頼は厚く、彼が率いるランニング・パードナーズや、ポーター・バティステ・ストルツでも鉄壁のコンビを組んでいます。またバティステ自身もTHE ORCHESTRA FROM DA HOODを率いてアルバムを残していますし、近年ではジョー・クラウンとウォルター・ウルフマン・ワシントンとのトリオで製作した「LIVE AT THE MAPLE LEAF」が評判でしたね。

さて、ミーターズに話しを戻しますと、来日後にレオ・ノッセンテリが脱退し、元ネヴィル・ブラザーズのブライアン・ストルツが加入します。さすがに違和感を感じたのか、この頃バンド名をファンキー・ミーターズと改めたようです。ですが、この改名にはもう一つ大きな理由があったようです。それは待ちに待ったオリジナル・メンバーによるミーターズのリユニオン。

私の記憶では、それは05年のニューオーリンズ・ジャズ・フェスティヴァルで実現したはずです。ですが、これが最初の再結成だったのかはよく分かりません。日本で大きく取り上げられなかっただけで、現地では前にもあったのかもしれません。もちろん私の記憶違いの可能性も有りますし…。なにはともあれ、この05年の再結成はここ日本でも結構騒がれたのです。05年6月号のベース・マガジン誌ではミーターズを表紙にニューオーリンズ・ファンク特集を組み、ジャズ・フェスでのオリジナル・ミーターズ・リユニオンのレポートやジョージ・ポーター・ジュニアのインタビューも載っていました。私も現地に飛んで行きたい気分でしたが、そうも行かず…。後にこの模様がCD化されたときは狂気狂乱でしたね。この後、オリジナル・ミーターズは継続的な活動こそしていないものの、ちょいちょい再結成はしているようですね。

一方のファンキー・ミーターズはギタリストがブライアン・ストルツからアートの息子イアン・ネヴィルに変わります。このイアン・ネヴィルは、ニューオーリンズ・ファンクの第2世代として、アーロン・ネヴィルの息子アイヴァンと共に、今後のニューオーリンズを背負って立つ存在になることでしょう。既にネヴィル・ブラザーズや、アイヴァンのバンド、DUMPSTAPHUNKでもギターを弾き、その濃密ファンクに一役買っています。また、ギタリストとしてニューオーリンズのファンク・スタイルを築き上げたレオ・ノッセンテリからも、その将来性を嘱望されています。最近、ニューオーリンズ・レジェンドの訃報が相次いでいますが、イアンのような若い才能が育っていることは本当に嬉しい限りです。

もちろんオリジナル・メンバーのジョージとアートも元気です。二人は昨年それぞれニューオーリンズ・オールスターズ、ネヴィル・ブラザーズで来日しました。ジョージの円熟した歌心溢れるベース・ラインは最高でしたよね。一方ネヴィルズでのアートは足か腰が不自由なようでかなり心配にもなりましたが、それでも元気な鍵盤捌きと喉を披露してくれ、ネヴィルズにアート有り!って感じでしたね。


さて、いよいよ16年振りの来日となるファンキー・ミーターズ。メンバーはラッセル・バティステ・ジュニア(ds)、イアン・ネヴィル(g)に、オリジナル・メンバーのアート・ネヴィル(kbd)とジョージ・ポーター・ジュニア(b)の4人。ニューオーリンズ・ファンクの元祖であり、その歴史と未来をも見せてくれるであろう奇跡の4人。東京単独公演も決まったことですし、盛り上がりましょう!


*上写真はファンキー・ミーターズの00年ジャズ・フェスにおけるライヴ映像を収めたDVD。ギターはブライアン・ストルツ。昼間の野外という開放感あるシチュエーションがいい感じ。




FUNKY METERS / FIYO AT THE FILMORE, VOL.1
こちらは01年のライヴ盤。おそらく再結成後のファンキー・ミーターズとしては唯一のオフィシャル作。こちらもギターはブライアン・ストルツ。1曲だけですが、イアン・ネヴィルも参加。


RUSSELL BATISTE JR. ORKESTRA FROM DA HOOD / THE CLINIC
ラッセル・バティステが自身のバンドTHE ORCHESTRA FROM DA HOODを率いての03年作。ジョージ・ポーター・ジュニア、レオ・ノッセンテリ、ブライアン・ストルツ、イアン・ネヴィル、といったミーターズ人脈はもちろん、山岸潤史、ジョン・グロス、ジェイムス・アンドリュース、ドナルド・ハリソン・ジュニア、アイヴァン・ネヴィルなど錚々たる面子がゲストで参加。また、THE ORCHESTRA FROM DA HOODには現ネヴィルズのギタリスト、福田真国氏を含む3名の日本人ミュージシャンがクレジットされています。


THE NEVILLE BROTHERS / WALKIN' IN THE SHADOW OF LIFE
ネヴィル・ブラザーズの現在最新アルバムで04年の作品。イアン・ネヴィルが参加。アーロンの息子アイヴァン・ネヴィルとともに、ネヴィルズのファンク化に貢献。もちろん一家の長アートの声とハモンドも健在! 若い血に期待する一方で、やっぱりネヴィル流ファンクにはアートの存在が必要不可欠なのです!


THE METERS / JAZZ FEST LIVE 2005
05年ニューオーリンズ・ジャズ・フェスにて、オリジナル・ミーターズ再結成の実況録音盤。モデリステ復活はファンの夢でした。やっぱりオリジナル・メンバーは凄かった!この4人が居たからこそ現在のニューオーリンズ・サウンドがあり、ファンキー・ミーターズもあるのです。一度は生で観たいけど、とりあえず2枚組CDでたっぷり堪能。


GEORGE PORTER JR. / IT'S LIFE
ジョージの07年のソロ作。豪華ゲストが多数参加している中、ラッセル・バティステが約半分の曲でドラムスを叩いています。ジョージらしい丸みを帯びたファンクももちろん良いですけど、意外と渋いメロウ・チューンが秀逸だったり。素朴な歌声がまた良いんです!


PORTER BATISTE STOLTZ FEATURING PAGE McCONNELL / MOODOO
アートの居ないファンキー・ミーターズ?なんて言われそうなポーター・バティステ・ストルツ。彼らが元フィッシュの鍵盤奏者ペイジ・マッコーネルを迎えた08年のライヴ盤。ミーターズがジャム・バンドにも影響を与え、リスペクトされていることが伺える激熱なライヴ!



~関連過去ブログ~ 

 08.08.18 ジョージ・ポーター・ジュニア(ニューオーリンズ・オールスターズのライヴ・レポ)

 09.04.23 フジ予習:ファンキー・ミーターズ part 1

サマソニのステージ割り

2009-05-18 23:51:31 | フェス、イベント
サマーソニックの公式サイトで追加アーティストとステージ割りが発表されました。既に数日前のテレビ特番でおおむね発表されていましたけどね。

で、そのステージ割り、個人的にはかなりいい感じです。

まず初日7日。この日は行きません…。でもかなり観たいアーティストが一人。それはジェニー・ルイス。ビーチ・ステージですね。ビーチということは、チケがなくても遠目からちらっと観れっちゃったりするんですかね? 同じビーチ出演では、まだ10代の新人SSW、ネヴァー・シャウト・ネヴァーも気になります。

そして中日8日。個人的に大好きなCSSが軸。マウンテンのレンカ~パオロ・ヌティー二~マンドゥ・ディアオ、そしてソニックのティン・ティンズ~CSS と観て、最後はマウンテンでスペシャルズ。かなり充実した並び。ビーチのマティスヤフ(特番ではナッティもアナウンスされてましたが、公式サイトにはありませんね~)も気になりますが、この日はメッセから一歩も出ません!!

そして最終日9日。なんと言ってもビヨンセ。この日は邦楽勢も含めてマリンが案外私好みなので、一日マリンに居っぱなしでも良いぐらい。ですが、VVブラウンとソランジュが観たいのでまずはメッセからですね。ビヨンセを前の方で観るためは、ビーチのWARは諦めざるを得ないかな~、残念。


観たいアーティストがなかなかいい具合に散り、移動も最小限で済みそうな感じですが、サマソニの場合、この時点でのサイトの並びが当日の出演順とは限らないので、タイムスケジュールが発表されるまでは、安心できません。

それにしても、パオロ・ヌティーニ、CSS、スペシャルズ、VVブラウン、そしてビヨンセ! 楽しみです。



フジ予習:ファンキー・ミーターズ part 1

2009-05-16 12:35:11 | フジロック
THE METERS / LOOK-KA PY PY

フジロック予習特集第2弾、ファンキー・ミーターズです。

ファンキー・ミーターズについて語るには、一度解散し、メンバーも変わっているとはいえ、やはりオリジナルのミーターズまで遡らなければいけません。JB’Sと並び称されるインスト・ファンクのイコンであり、現在も配合と進化を続ける世界中の“ファンク”と名のつく音楽に量り知れない影響を与えたであろうニューオーリンズが生んだ奇跡の4人。アート・ネヴィル(kbd)、レオ・ノッセンテリ(g)、ジョージ・ポーター・ジュニア(b)、ジギー・モデリステ(ds)。

その前身、ネヴィル・サウンズが結成されたのが67年頃。メンバーは後にミーターズとなる4人と、アート・ネヴィルの弟アーロンにシリル、そしてゲイリー・ブラウン(sax)の7人編成。このメンバーで一年ほど地元をブイブイ言わした後、彼らに転機が訪れます。それはバーボン・ストリートの「アイヴァンホー」というクラブへのレギュラー出演。ですがそこの狭いステージには4人しか上がれない。そこでアートが下した決断は、本来なら旨味となる肉の部分をカットし、骨だけになること。つまり歌とホーンを外し、ドラムス、ベース、ギター、鍵盤という必要最小限のベーシックな編成になる。ミーターズの誕生です。

つまり、苦肉の策でメンバーを減らした結果、思いのほか上手く行ってしまった…、みたいな感じでしょうか? しかしアートは元々、ブッカーT&ザ・MG’Sのような、“間”を生かしたインストバンドをやりたいという願望を持っていたようで、MG’Sと同じ編成のバンドを率いることは必然的なことだったのかもしれません。

そしてアート曰く、「タイトで、間があって、悪魔のようにファンキーなサウンド」を鳴らしたミーターズはアイヴァンホーを熱狂させたました。時はアラン・トゥーサンが新しいニューオーリンズ・サウンドを模索している最中で、彼はアイヴァンホーでのミーターズの評判を知り彼らに接近します。そして両者の結びつきが、ニューオーリンズをこれまでのR&Bから、本格的なファンクの時代へ導いたのです。

そのニューオーリンズ・ファンクの牽引車となったミーターズのその後の活躍についてはもう有名なのであらためて書きませんが、とにかく彼らは陽に陰に新しいニューオーリンズ・サウンドの体現者となり、それはセカンドライン・ファンクと呼ばれ、ありとあらゆる土地に飛び火し、現代まで影響を与え続けているのです。

彼らのサウンドのユニークさは初期の作品に顕著です。必要最小限まで音を削り取り、ニューオーリンズ特有の“ビート感”と“間”を存分に活かしたそのファンクネスは、あまりにもシンプル&ルーズ故に、即効性こそ薄いものの、しかしジワジワと、恐るべき浸透率で蝕んでいきます。そのジワジワ感たるや、私などは初期ミーターズのファンクが分かるまでに数年かかりましたから! とにかくJBやスライなどの派手なファンクを聴きまくり、ネヴィル・ブラザーズから遡ってミーターズにたどりついた私にとって、彼らの泥臭く隙間だらけの緩~いファンクは圧倒的に物足りなかったのです。ですがその“緩さ”がいつしか“粘り”に変わり、粘着性を増した“泥臭さ”が五感に絡みつき、気が付けば“隙間”と言うスウィート・スポットにどっぷりと浸かっていたのでした。

そんなミーターズ流ファンクをまとめるのはもちろん最年長アート・ネヴィル。ご存知ネヴィル・ブラザーズの長兄です。彼のパーカッシヴなオルガンがミーターズのグルーヴに果たした役割は量り知れませんが、ミーターズがユニークだったのはむしろ残りの若き3人の個性によるものかもしれません。アート・ネヴィルが「MG’Sのスタイルをニューオーリンズ流儀で」という確信犯的なアイデアをどこまで具体的に描いていたかは分かりませんが、今になって思えば、そのアイデアを具現化するのにこれ以上ありえない運命的な3人が揃ったと言えるでしょうね。音楽界には稀にこういったマジカルな引力が発生するんですよね。

そんな奇跡的な磁場が起こすグルーヴの要は何と言ってもドラムスのジギー・モデリステ。強烈にシンコペイションしながら絶妙のタメで空間を切り刻むかのごとくスネアを打ち込んでいく、彼こそセカンドライン・ファンクの申し子。現在ニューオーリンズで活躍するファンク系のドラマーは、全て何らかの形でモデリステの影響下にあるといっても過言ではないでしょう。もちろん、ファンキー・ミーターズの現ドラマーであるラッセル・バティステ・ジュニアもその一人。

そしてミーターズを評するのに忘れてならないのが“もっちゃり”という言葉。そのもっちゃり感を一手に引き受けているのがベーシストのジョージ・ポーター・ジュニア。彼の弾く、決してソリッドではない団子っぽいベース・ラインがミーターズのファンクを、泥臭く、骨太で、もっちゃりとしたものに仕立て上げています。この“もっちゃり”ってどういう感じですか?と聞かれても、言葉では上手く説明でません。“もっちゃり”としか言いようがないんです…。感じてもらうしかありません。

そして最後に登場していただくのがギタリストのレオ・ノッセンテリ。この人のギター・カッティングも特徴的。決して譜面では現せない独特のビート感があり、ファンキーなんですけど、やっぱり“もっちゃり”してるんですよね。ニューオーリンズのギタリストというと、ブルース系には秀でた人が過去に沢山おりましたが、ファンキー系でメジャーな存在となるとレオが最初であり、その後続がなかなかみつからない印象です。もちろんファンキーなギタリストは沢山居ますよ。例えば元ネヴィル・ブラザーズのギタリストであり、レオの後釜としてファンキー・ミーターズに加入したブライアン・ストルツ(現在は既に脱退)もその代表格です。私も大好きなギタリストですが、やっぱり個性や存在感に物足りなさを感じてしまうのも事実。ニューオーリンズ・ファンクの世界で真にオリジナリティを持った存在はレオ・ノッセンテリ唯一人なのかもしれません。

でもそろそろニューオーリンズに新しいギター・ヒーローが現れても良いのでは?と思ったりもします。ギター・マガジン誌05年1月号掲載のレオのインタビューで、「最近注目しているギタリストはいますか?」という質問に対し、レオはこう答えています。「ニューオーリンズに限って言えば、私に似たプレイをする人が多すぎるが、ただひとり、すごく可能性を持ったギタリストがいる。イアン・ネヴィル。アートの息子だよ。彼はニューオーリンズのフレーバーを持ったギタリストのプレイを、違うレベルに持っていく力があると思う」と。

そのイアン・ネヴィルこそ、現在、ファンキー・ミーターズのギタリストなのです。

つづく。



THE METERS / THE METERS
69年の記念すべきデビュー・アルバム。まるでモデリステのドラムスを聴かせる為にあるような「Cissy Strut」から始まる全曲インスト・アルバム。ギターとベースがユニゾンでリフを引くスタイルも斬新。セカンドライン・ファンクの原点。


THE METERS / REJUVENATION
74年の5作目。初期のシンプルなサウンドから徐々にハードさを増した演奏と、インディアン・フレイヴァーや聴き易い歌物志向が奇跡的に結実した大傑作。「People Say」、「Just Kissed My Baby」、「Jungle Man」、「Hey Pocky A-way」、「Africa」など、ほとんど古典と言ってよい代表曲を多く収録。セカンドライン・ファンクの到達点。


THE METERS / UPTOWN RULERS! LIVE ON THE QUEEN MARY
5人目のメンバー、シリル・ネヴィル参加後の75年のライヴを収めた発掘盤。この頃ローリング・ストーンズのオープニング・アクトに起用された事実からも分かるとおり、彼らのライヴは相当な評判を呼んでいたらしい。このライヴ盤はポール&リンダ・マッカートニーがクイーン・メアリー号で行ったパーティーに招かれた際に録音されたもの。音質は良いとは言えないものの、強烈なモデリステのドラミングをはじめ、骨太なジョージのベース・ラインも含め、腰にきまくりのセカンドライン・グルーヴに圧倒されます。フロアではあのマイケル・ジャクソンが踊りまくっていたとか…。


THE METERS / NEW DIRECTIONS
オリジナル・ミーターズのラスト・アルバム。77年作。バンドとしての疲弊の中、ニューオーリンズ・ファンクの王者としての底力を感じさせる佳作。しかしいわゆるミーターズらしさは薄め。その原因は?ミーターズ自信がセカンドライン・ファンクをよりキャッチーなものに押し上げたのか?それともニューオーリンズ・ファンクが“商業的”なるものに飲み込まれたのか?この年、ミーターズを解散させ、ネヴィル・ブラザーズ結成へと歩を進めるアートですが、そのネヴィルズも結局“商業的”なるものに苦しめられることになる…。


フジロック第5弾!

2009-05-15 16:37:35 | フジロック
SQUEEZE / PLAY

フジロック・フェスティヴァル出演者第5段が公式サイトで発表になりましたね。今回はほんの少し、4組だけでした。

DOVES (7/24)
ASA-CHANG & 巡礼 (7/24)
BRAHMAN (7/26)
DJ TIM HEALEY (7/26)

個人的にUKロックのダヴズは嬉しいですけど、「ルーツな日記」的には今回は中休みな感じですかね…。そして既発表組にメンバーの変更が一組ありました。スティーヴ・ナイーヴと一緒に来るはずだったスティングの息子さん、ジョー・サムナーがキャンセルとなったそうです。で、その代わりにスティーヴさんはスクイーズのグレン・ティルブルックを連れてきてくれるとか。これはこれでちょっと嬉しいかも。日曜は今のところ観たいアーティストが少ないですし。欲を言えばスクイーズで出て欲しかったですけどね。

そして次回はいよいよステージ割り発表だそうです。今年は確実に観たいアーティストが被ってくるでしょうから、これからの約2ヶ月間、悩ましい日々が続きそうです。しかもまだ未発表の超大物が控えている噂もあるとか。ま、そこはあまり期待しないほうが良いかな…。

被りといえば、予想だにしない被りが発生しました。それはフジ土曜に出演予定のファンキー・ミーターズの東京単独公演。まさかミーターズのワンマンが発表されるとは思ってませんでした。全く持って嬉しい限りですが、これがフジ前夜祭と被ってる! どうしてこういうテンションの下がることするかな~。前夜祭の前の晩にしてくれれば、ミーターズをじっくり楽しんで、翌日意気揚々と苗場へ向かい前夜祭から楽しめるのに~。さて、東京でミーターズの単独を観て、翌日は苗場でネヴィルズ、さらに次の日にまたミーターズという、ネヴィルズ・フルコースを取るか? それとも前夜祭からのフジロック満喫コースを選ぶか? これは悩みます。


それとORG.ではボードウォークキャンプの募集もしていましたね。体力に全く自信のない私はもちろん参加できませんが、今年は「木道亭バイパス」を作るようですので、あそこの渋滞が解消されることはもちろん、何よりも新しいコースを歩けるのが楽しみです。でもホント歩くだけですいません…。

あと、最近のORG.ではTwitterがマメに更新されてて、それを読むのが結構楽しみだったりするんですけど、直近の記事で浅草の三社祭が紹介されてて、“江戸の祭りは神田祭だ!”と信じて疑わない私にとっては、ムムム…みたいな。ま、どうでもいい話しですね。って言うか神田祭が先週末に終わって、今は抜け殻のようになってますから…。


さて、フジロックが着実に出演者発表をこなしている一方で、サマソニも小出しながら、ちょこちょこと出演者を追加しています。最近の発表で心を動かされたのはジェニー・ルイス。でも金曜日。残念ながら私は行かない日なんですよね~。あ~、フジに来て欲しかった。


*写真はグレン・ティルブルックがシンガー/ギタリストを務めるスクイーズの91年作「PLAY」。UK屈指のソングライター・チームによるポップな楽曲もさることながら、グレン・ティルブルックの爽やか且つソウルフルな歌声にも引き込まれます。中期ビートルズの香りがする「HOUSE OF LOVE」は特に好きです。脱退した鍵盤奏者ジュールズ・ホーランドの代わりにキーボードを任された数人の中に、スティーヴ・ナイーヴの名もクレジットされています。



愛し合ってるかい?

2009-05-03 14:28:18 | ソウル、ファンク
私が清志郎さんを初めって知ったのは、たぶん坂本龍一さんとの「い・け・な・いルージュマジック」だと思います。その前にRCサクセションの曲を聴いていたかもしれませんけど、清志郎さんという個人をはっきり意識したのは、間違いなくルージュマジックです。リリースは82年2月ですか。だとすると私は中学1年の終わり頃ですかね。ちょうど洋楽に目覚め、ハードロックを聴き始めた頃かな…。だからかもしれませんけど、曲自体にはそれほど魅力を感じなかったんですよね。YMOも好きじゃありませんでしたし…。でも清志郎さんの歌い方といい、ケバい見てくれといい、子供心になんか得体の知れない凄い人だなとゾクゾクしたのを覚えています。

そして私が初めて生の清志郎さんを観たのは、おそらく80年代中頃。武道館で行われたギャッツビー主催のライヴ・イベントでした。他にはBOOWY、ARB、シーナ&ザ.ロケッツなんかが出てました。清志郎さんは確かソロ名義だったと思いますが、バックにはギターでチャーが参加していたと思います。今思うとかなり豪華なイベントだったんですよね。そんな中でもやっぱり清志郎さんの存在感は抜きん出てました。やっぱりあの声ですよ。そして招待客ばかりで盛り上がらない客席に冗談半分な毒を吐いていたような記憶もあります。清志郎さんらしいなと。

ですが私は、忌野清志郎というシンガーに凄く魅力を感じてはいたものの、洋楽を聴くのに精一杯でしたし、TVでの露出もそこそこ有ったので、敢て清志郎さんをレコードで聴こうとはなかなか思いませんでした。そんな私が初めて彼のLPをまともに聴いたのは、RCサクセションの「COVERS」でした。理由は当時私が大好きだったジョニー・サンダースが参加していたから。まあ、言ってしまえばジョニー・サンダースが目当てで聴いたと言う、清志郎さん及びRCファンの方々には怒られそうな話ですが、でもこのアルバムに入っている「サマータイム・ブルース」や「サン・トワ・マ・ミー」は今でも大好きです。何が良いって、やっぱり清志郎さんの歌が良いですよね。あと「イマジン」も! もちろんジョニーがギターを弾いた「明日なき世界」も大好きです。

ジョニー・サンダースの最後の来日公演(91年)では清志郎さんがアンコールで飛び入り出演したそうですね。私もこの時は2公演観に行ったはずですが、清志郎さんが出て来た記憶は無いので、違う日だったんでしょうね…。その後すぐにジョニーが亡くなり、その追悼コンサートがクラブ・チッタで行われ、そこでは清志郎さんを観ました。たしかトップ・バッターで出て来たんですよね。色々なアーティストが次々に出てくるコンサートでしたが、誰が出て来たのか? 正直、清志郎と山口富士夫しか覚えていません…。

そして翌年にリリースされたBOOKER.T&THE MG'Sとのライヴ盤「HAVE MERCY」もよく聴きましたね。ちょうど私も黒人音楽にどっぷりと嵌まっている頃だったんですけど、清志郎さんのことをちゃんと知っていなかった私にとって、清志郎さんの深さを思い知らされた感じでしたね。昨年BOOKER.T&THE MG'Sが来日した際、また共演したそうですね。そのブルーノート公演は、私も行こうかどうしようか迷いました。でも結局見送っちゃったんですよね。あれは一生悔やまれますね…。

でもロックン・ロールとソウル・ミュージックが好きって、素敵なことですよね。あと清志郎さんにはユーモアがありました。過激でパンクな精神を持ちながらも、常に愛嬌がある。色々な意味でファンキーな方でした。まだまだ、もっともっとあの強いロック魂を見せて欲しかった! あ~、そう言えば私は一度もRCサクセションとしてのライヴを観ていない…。


清志郎さん、安らかに

2009-05-03 01:37:39 | ソウル、ファンク
清志郎さんが亡くなられたなんて信じられません。昨年11月にBOOKER T. & THE MG'sの来日公演へ飛び入り出演したと聞いて以来、いつの日かの復活を信じて疑っていませんでした。そして今も確実に快方への道を歩んでいるものと勝手に思っていました。なので清志郎さんの訃報は、病気が病気なのでなんとなくその覚悟は持っていたものの、私にとっては寝耳に水と言うか、突然訪れた感じで、衝撃以外の何物でもありませんでした。この数年、大変な闘病生活だったことでしょう…。

私は正直な話、特別に清志郎さんのファンという訳ではありません。ライヴも80年代中頃に初めて観て以来、フジロックをはじめとするイベントで何度か観ただけですし…。それでもやっぱり彼の存在自体は私の中でも非常に大きなものでした。音楽ファン、ロック・ファン、そしてソウル・ファンにとって、清志郎さんは日本の誇りでしたよね。結局、私にとって最後の清志郎体験になってしまった06年のサム・ムーアのブルーノート公演。終盤に飛び入りし、病気をおして「I Thank You」を歌ってくれました。あの時は心配と同時に、清志郎さんの姿に勇気づけられたものです。ライヴ後にフロアで清志郎さんに握手してもらったことは、おそらく一生忘れないと思います。

あなたが日本に照らしたロックの光はけっして消えることはないでしょう。

清志郎さん、安らかにお眠りください。


~関連過去ブログ~ 

 06.11.20 清志郎と握手!