ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

偉大なりJB

2006-12-29 16:53:19 | ソウル、ファンク
JAMES BROWN / SEX MACHINE

ジェイムス・ブラウンがどれほど偉大なアーティストだったか、いまさらながら考えています。彼が後の音楽界に与えた影響力、いったいどれほどのものでしょうか?


彼はファンクを作ったと言われています。今でこそ当たり前のようにソウルやジャズ、ブルース、そしてロックに根付いているファンクは、彼が作ったのです。後にファンクと名のつくものは、全てJBの影響下に有ると言っても良いのです。

さて、このファンクの始まりはJBが64年に録音した「Out Of Site」だといわれています。以降、「I Got You (I Feel Good) 」「Papa's Got A Brand New Bag」「Cold Sweat」「I Can't Stand Myself (When You Touch Me)」「Licking Stick-Licking Stick」「Say It Loud (I'm Black and I'm Proud) 」といった今ではファンク・クラシックと呼ばれる名曲を次々に発表していきました。60年代後半のことです。

ちょうど、デトロイトのモータウン、メンフィスのスタックスが猛威を振るっていた頃です。この時代が、我々黒人音楽ファンにとっていかにエキサイティングな時代だったか。そんな時代にJBが、ファンクという新たな扉を開けたのです。

で、この64年に芽生えたファンクという音楽、もちろんダンス・ミュージックな訳ですが、それまでのジャンプ・ナンバーやノーザン・ビートと違う点は中毒性だと思います。この中毒性を演出したのはクールで隙間だらけの音と繰り返されるホーンリフ。もちろん絶妙のハネとネチッこさを実現するドラムとベース、そしてギターのカッティングがあってこそ。しかもこれらが奇跡的なズレを持って、JB流のファンクが完成されています。

「Cold Sweat」あたりまでの初期ファンク・ナンバーにはまだコード進行と言いますか、展開がありますが、「I Can't Stand Myself (When You Touch Me)」や「Licking Stick-Licking Stick」あたりからは、ひたすらワンコードを貫くことによりさらに中毒性を増していきます。

この中毒性というものは、人間の根源的に求めて止まない性のようなものですが、こと音楽に限っては、その起源としてアフリカの打楽器を思い出さずにはいられません。そういう意味では、JBのファンクは新しくもあり、黒人のルーツ回帰でもあるのです。そして面白いことに、このJBのファンクは再び先祖帰りし、フェラ・クティのアフロビートにも多大な影響を与えました。

さらにこの中毒性、特に催眠的に繰り替えされるギターのカッティングはマイルス・デイヴィスの電化にも影響を与えたとも言われています。

また、JBの歌唱も変化していきます。それまでの「コード進行にメロディーを乗せる」から「リズムに言葉を乗せる」ようになります。この辺りがラップやヒップホップの祖と言われる所以かもしれません。

そしてこのワンコードによるファンクは大傑作「Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine」で頂点を極めます。「ゲロッパ」で有名なJBの代表曲です。私にはそれまでク-ルな中にも泥臭さが有ったJBファンクが、この曲を境にアーバン化されていく印象が有ります。ある意味機械的にすら感じる同じリズムと同じリフの繰り替えしによる覚醒作用は、後のテクノ系ダンス・ミュージックに多大な影響を与えたことでしょう。

この後ファンクは多種多様な発展と交配を繰り返し、開発者であるJBを追い抜いていくことになります。しかしいつしかJBは黒人音楽のゴット・ファーザーもしくは帝王と呼ばれるようになります。それはヒット曲の数や過去の栄光からではないでしょう。その後のムーヴメントとなった音楽の影にJBの存在が有ったからです。

ヒップホップのネタとして数え切れないほどサンプリングされていることもJBの偉大さを物語っていますね。







嗚呼、JB

2006-12-27 18:58:21 | ソウル、ファンク
ジェイムス・ブラウンについて思いを馳せています。私が始めてJBを知ったのはブルース・ブラザーズの映画だったかもしれません。神父の役で登場したJBがど派手なパフォーマンスを決める場面は、同映画の名シーンでもあります。この映画を初めて見た時、私はまだ黒人音楽に興味を持っていない頃でしたが、JBのシーンはガツ~ン!ときましたね。

その後NHKBSかなにかで彼の特集番組を見て、若いころのパフォーマンスに完璧にノックアウトされました。ひとつは「Please Please Please」でのマントショー。

曲の後半、感極まったように膝から崩れ落ちるJBに、お付の人が派手なマントを被せます。ゆっくりと立ち上がり、ステージを去りかけるJB、そのJBを慰めるように肩をさする付き人。すると突然何かに目覚めたかのようにマントを振り払い、マイクスタンドに駆け寄りシャウトするJB。そしてまた感極まったかのように膝から崩れ落ち、お付の人がマントを…。これを永遠、何度も何度も繰り返すのです。え?まだやるの?また?みたいな感じで。

このパフォーマンスを見て、その濃さと意味不明さに衝撃を受けました。黒人って凄いなと。それともう一つ、何度見ても興奮させられるのが彼の足技。

若きJBがファンキーな曲で見せる独特の足技はホント最高でした。激しくクネクネと小刻みに震わすように、どうしてそんなに速く動くんだー!って感じ。さらにその足技は前後左右に滑るようにJBを移動させるんです。なんでアレで動くんだー!って感じに。かのミック・ジャガーも若いころしきりに似たような足技を披露してました。私はJBの真似だと思っているのですがどうでしょう?


さて、日本には何度も来日しているJBですが、残念ながら私は彼のライブを2回しか見たことがありません。一度は92年の代々木体育館、2度目は98年の赤坂BLITZです。初めて生のJBを体験した代々木も印象的でしたが、何と言ってもBLITZでしょう!

あのJBをライブハウスで見れた幸せは一生忘れないと思います。オールスタンディングの熱気溢れる中、ソウルレヴュー的な展開で進むステージ、目の前で次々にバンドやコーラス隊を指揮していくJB、そして世界遺産レベルのシャウトとアクション! もちろん若い頃に比べれば劣ろえは隠しきれないかもしれません。ですがステージから発散されるエネルギーとオーラは唯一無比のものであり、JBという帝王のみが成し得たブラックミュージックの最も濃厚なエキス。それは猥雑でありながら至高の味わい。本当に神がかったライブでした。そして私はただただ放心するばかり…。

そして何故かこの後度々来日しているJBを全て見逃している私なのです。それはおそらくこの日の興奮が忘れられず、ホールではなくライブハウスで観たいと言う気持ちが強くなってしまったからだと思います。今は後悔しています…。

そう言えば、2000年にロック・フェスであるサマーソニーックにも出演してるんですよね。その時はトリ前に登場し予定時間を遥かに超える熱演だったとか。おかげでトリのジョン・スペンサーの演奏時間ががかなり短くなってしまったり。これもJBらしいエピソードですね。押しとアクの強さも流石は帝王でした。あっぱれです!

ジェイムス・ブラウン死去

2006-12-26 08:15:14 | ソウル、ファンク
ジェイムス・ブラウンが死んでしまいました。享年73歳。寝耳に水の話しに言葉になりません。ヤフーのニュースによりますと、

『アトランタのEmory Crawford Long Hospitalで現地時間の25日月曜日、早朝1時45分ごろに死亡したと、彼の代理人であるFrank Copsidas氏が発表した。24日、肺炎で入院を余儀なくされたJBだが、正確な死因はまだ不明とのこと。』

だそうです。ファンクの創始者であり帝王であったジェイムス・ブラウン。今年の3月に来日したばかりでした。最後の来日公演になるのではと言われていましたが、本当にそうなってしまいましたね。私はその最後の来日公演を見逃しているのでそれが悔やまれてなりません。

クリスマスという日に亡くなったジェイムス・ブラウン。安らかにお眠りください。