「北海道高等学校変遷表」
駒澤大学附属岩見沢高校が、再来年の平成24(2012)年度から募集停止するという発表があった。岩見沢を含めた空知管内には、通信制本校を除いて私立高校が消えることになる。
高校野球の強豪校としてもおなじみ「駒岩」は、駒澤大学の創立何十周年とかで昭和39(1964)年に開校。岩見沢市内には、岩見沢女子(34年開校、以下同じ))・岩見沢商業(35年)と2校私立高校があったが、同年開校の岩見沢南と合わせて、人口7万人の街に私立高校が4校並んだ。この頃は、空知にも私立高校が続々開校し、三笠大谷(34年、三笠市)・滝川商業(34年、滝川市)・新懇藤学園(33年、月形町)が開校している。
しかし40年代に入ると生徒の数も減少し、私立高校の経営は困難を極めた。岩見沢市内を見ると、岩見沢南は開校7年にして早くも休校→学校法人破産により正式廃校を辿った。岩見沢女子と岩見沢商業は岩見沢市に移管され、商業の校舎を利用して岩見沢緑陵になった。緑陵は普通科と商業科の学校だったが、女子の在校生が通っていた2年間は、家政科があったわけだ。
三笠大谷は45年に三笠に移管され三笠高美へ。道立移管ののち、62年を以って廃校。統合ではなく、募集停止によって自動廃校になる先駆けと言える。滝川商業は48年に滝川市に移管、滝川西として現存。新懇藤学園は44年に休校し、そのまま廃校となった。
そうした中で駒大岩見沢のみ生き残って来たが、去年の1年生は、定員180人に対して80人あまり。今年の入学者も80人を割ったという。同時に開校した“双子”の駒大苫小牧に、経営を集中させる意味合いもあるらしい。ともに高校野球の強豪校で、校歌も同じであるが…。
来年度から美唄高校と美唄工業高校が名目統合して新設される高校名は、「美唄尚栄」に決まった。平成11年開校の美唄高校は、12年の短い歴史を閉じる。
駒澤大学附属岩見沢高校が、再来年の平成24(2012)年度から募集停止するという発表があった。岩見沢を含めた空知管内には、通信制本校を除いて私立高校が消えることになる。
高校野球の強豪校としてもおなじみ「駒岩」は、駒澤大学の創立何十周年とかで昭和39(1964)年に開校。岩見沢市内には、岩見沢女子(34年開校、以下同じ))・岩見沢商業(35年)と2校私立高校があったが、同年開校の岩見沢南と合わせて、人口7万人の街に私立高校が4校並んだ。この頃は、空知にも私立高校が続々開校し、三笠大谷(34年、三笠市)・滝川商業(34年、滝川市)・新懇藤学園(33年、月形町)が開校している。
しかし40年代に入ると生徒の数も減少し、私立高校の経営は困難を極めた。岩見沢市内を見ると、岩見沢南は開校7年にして早くも休校→学校法人破産により正式廃校を辿った。岩見沢女子と岩見沢商業は岩見沢市に移管され、商業の校舎を利用して岩見沢緑陵になった。緑陵は普通科と商業科の学校だったが、女子の在校生が通っていた2年間は、家政科があったわけだ。
三笠大谷は45年に三笠に移管され三笠高美へ。道立移管ののち、62年を以って廃校。統合ではなく、募集停止によって自動廃校になる先駆けと言える。滝川商業は48年に滝川市に移管、滝川西として現存。新懇藤学園は44年に休校し、そのまま廃校となった。
そうした中で駒大岩見沢のみ生き残って来たが、去年の1年生は、定員180人に対して80人あまり。今年の入学者も80人を割ったという。同時に開校した“双子”の駒大苫小牧に、経営を集中させる意味合いもあるらしい。ともに高校野球の強豪校で、校歌も同じであるが…。
来年度から美唄高校と美唄工業高校が名目統合して新設される高校名は、「美唄尚栄」に決まった。平成11年開校の美唄高校は、12年の短い歴史を閉じる。