徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

Be There/映画「STANDARD」公開に向けて その5

2018-02-21 20:26:26 | News
昨日「STANDARD」初上映が無事終了しました。
ツイートでも投稿しましたが、改めて超満員の中、視聴環境もしんどい中で長時間の作品をご覧になって頂いた方々に心より感謝いたします。また野間易通さんをはじめ、出展作家、Galaxy関係者の皆さんもご協力ありがとうございました。ドアを開けた瞬間に湯気が出るような熱い上映会となりました。

「ねえ、これ良いと思わない?」
制作が始まった頃、SNSの会話の中で、いつもの調子で張さん(Akira the Hustler)がリンクを貼り付けたのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「スタンダード」 でした。最初に書いた企画書の表紙には「STANDARD」の文字があります。映画のタイトルはこの2年間、ずっと変わらず「STANDARD」だったのです。ではその後、楽曲について詳しく話し合いが行われたのかといえば、そんな記憶はないのですが(ゴッチさんすいません)、間違いなくきっかけはこの会話でした。
確かに、言葉が示す意味があまりにも大きく、広く、どのようにも受け取れる言葉です。あまりにもポピュラーな言葉であるために、 #TNN_STANDARD のタグがなければスタッフが映画の感想を検索するだけでも大変です。
昨日、私は「昔の日本人にはあったはずのSTANDARDを取り戻す」てなことをグダグタと喋りましたが、その答えはその時々で変わるかもしれません。それは今も揺るぎなくあるものなのか、それは失われたものなのか、それを取り戻すのか、それを作るのか、それを真似るのか、そもそもSTANDARDとは何なのか。作品の中で監督は「STANDARD」について、彼自身の答えを出していますが、個人的には作品を観る人がタイトルをどのように解釈するのも構わないと思っています。とにかく、スタッフはリンクに貼られた「STANDARD」という言葉が指し示すものの中に、これから作る映画の核となるものがあるのではないかと思ったのでしょう。

川崎のN君が感想を書いてくれました。私にとってN君という人は同じ場所にいても、直接のやり取りはほとんどないのですが、実は13年か、15年の官邸前抗議の頃に一度だけ接触がありました。彼は覚えていないでしょうが、彼に向かって、私が「トラメガ のコールが混乱していて、これじゃ駄目だろ(このヤロー)!」などということを言ったところ、「うるせー先頭で調整してるよ(このヤロー)!」と返されて以来、悪印象があるのですが(笑)、今回とてもいい感想をツイートしてくれました。

<多くを語らなくても「いるべき場所」を少しでも多く共有したく思う欲求こそが社会運動だとずっと思っている。「あの抗議の場に行って良かった」「仕事で参加できなくて悔しい」「けれど心は現場に」そんな気持ちは震災後に芽生えた特異な感情のように思う。>

だから彼は超満員で、ドアを開けた瞬間に外のガラスドアが曇るほど、熱気が充満した中で、2時間もの間、立ち見のままでも、<いるべき場所>にいたのだと書きます。最高です。こんなに嬉しい反応は、なかなかないだろうと思いました。

この映画は決して行動のための映画ではありません。行動をしろ、という映画でもありません。そこで起きたことを当事者の目線で描いた作品です。そこにいたこと、そこにいたかったこと、そしてそこを作ること、そんな気持ちに溢れた映画です。この映画も観る人にとって、<そこにいたい><そこにいたかった>と思える作品であって欲しいと思います。



今もなお日本を揺るがし続ける「3.11以後」。全国的に拡大した反原発運動に始まり、反レイシズム、反安倍政権にコミットし、路上で行動し続けてきた「普通の人々」の姿を描く。 監督:平野太一/出演:野間易通、ECDほか/製作:TwitNoNukes Project /120分 #TNN_STANDARD

我々の行動は東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある/映画「STANDARD」公開に向けて その4

2018-02-19 17:57:43 | News
かつて隅田川沿いに存在していた<食糧ビル>の中に「佐賀町エキジビットスペース」というアートスペースがありました。2001年に食糧ビルは取り壊しが決まり、閉鎖することになった佐賀町エキジビットスペースの代表で、クリエイティブディレクターである小池一子さんを取材する機会を得ました。コピーライターでもある小池氏の言葉は実に刺激的だったのですが、この言葉はその中でも今でも心に刻んでいる言葉です。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

これはすべてのインフォメーションがバイリンガルで行われていることについて話していただいたときの言葉なのですが、それ以前に自分の立ち位置を問われているような気がしてとても感銘を受けました。ほとんどの人々の間でネットが常に接続されている現在では当たり前のような感覚かもしれません。
この年に刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』なるメロドラマは数年後に大ブームを起こし、そして2016年から17年にかけて映画『この世界の片隅に』がロングランで上映されました。<世界>と<中心>と<片隅>はこの15年で大きく変化したのでしょうか。ひとまず<さけぶ>か否かは別としても、中心も、また片隅もなくなった世界で「見られている」感覚を忘れてはならないのだと思います(2011年頃はよく「メタ視点」という言葉をよく使っていました)。

「見られている/見せ(てい)る」というデモ参加者の感覚は、映画の中でも特徴的なテーマになっています。
そこから映画にも登場するようなSAYONARA ATOMの「かわいい」横断幕や、国内メディアだけではなく、世界中のメディアやワールドスタンダードを意識したプラカードやTシャツが生まれてきたのだろうと思います。

ウェブの世界では拡散されるためだけの画像が数多く出回っていますが、「言葉を声にする」作業と同じように、何かを訴えるためにシンプルに、ダイレクトにコピーライティングされ、翻訳され、デザインされた画像(プラカード)は行動する人々の手によって掲げられなければ意味がありません。あの頃は沿道からの飛び入り参加を呼び込んでいただけではなく、プラカードの見せ方さえ気にしていたものです。時に暴力的に見えるかもしれない行動でも、見られていることを意識しつつ「伝える」ということについてはとても真摯であり続けたのだと思います。

公開まで24時間。

それにしても、よくよく考えてみると、日本で一番<中心>でいながら<片隅>を感じさせるのはやはり永田町と霞ヶ関なのかもしれません。



映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:20(上映開始)
※上映開始予定時間が変更になりました。
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp


大事なことはすべてTL上で話し合われていた/映画「STANDARD」公開に向けて その3

2018-02-18 00:08:54 | News
制作当初、企画や方向性を決めるために対面やSNSで行ったミーティングで、私はあるツイートのことを話しました。
「大事なことはすべてTL上で話し合われている」。
野間さんが書いていたのか、bc君だったか、それとも別の誰かだったか、見つけ出せませんでしたが、このスタンスはTwitNoNukes以降の行動に通底しているテーマだと思ったのです。
それはシングルイシューです。断固として、シングルイシューです。誰もがその一歩を踏み出すことができる「言葉」を見つけ出し、多くの人が共有できた瞬間、その行動は拡散します。しかし2015年以降、そんな「言葉」を私たちは見つけられずにいるのではないか。個人的にはそんな風に思っています。
でも2017年春から夏にかけて、一瞬だけ、そんな奇跡的な瞬間が訪れました。映画はその瞬間を実に熱く捉えています。

あれから7年が経とうとしていて、Twitterとの向き合い方は人それぞれ変わってしまって、離れしまった人も、使い方が変わってしまった人も、飽きた人も、またはネトウヨになってしまった人もいるかもしれないけれども、やはり、この想いは変わらないでいます。行動する個人が増え、活動の幅を拡げるグループが増えたとしても、それぞれのグループのやり方や仕掛け、演出が表で語られることがなくても問題ではありません。手法の違いなどどうでもいいことです。もっといいやり方を思いついたのならば、思いついた人間がやっちまえばいいのです。
そして、いまでもやはり本当に大事なことはすべてTL上で話し合われていると思うのです。

きっとそのことを思い出すことができる作品になっていると思います。



映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:20(上映開始)
※上映開始予定時間が変更になりました。
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp

声を取り戻す/映画「STANDARD」公開に向けて その2

2018-02-13 22:48:20 | News
言葉は声にされなければならない。
いくら正しい言葉でも、そしてその正しい言葉が文字として残るとしても、今、私たちはそれを声にして現実化、肉体化しなければいけない。そう思います。私たちは「今」に生きているのですから。今、伝える、ということはそういうことです。
今、声を上げなければいつまで経っても、言葉は誰かが書き残したとしても、やはり手遅れです。
以前、特定秘密保護法での闘いのあと、「声が枯れている奴は信用できるぜ」てなことを書いて、少々反発もされたのですが、その気持ちは変わりません。



<3.11以降>というのは、行動する人々にとってはいわば路上で声を上げるトレーニングだったと思っています。
例えばこの作品に登場する建築家の山本匠一郎君が「僕は(この行動を)運動だとは思っていない」と発言する場面があります。それはおそらく登場する人たち全員が思っていることで、実は政治や社会の不正、不公平だけではなく、日常生活の中に蔓延る理不尽や不寛容、そして暴力に対して、そんな場面に遭遇した時にすぐに声を上げることができる、行動することができる反射神経を取り戻す行動でもあったのです。
それは、かつて日本にもあったはずの「スタンダード」を取り戻す闘いだったのだろうと思います。

TwitNoNukesは実に「うるさい」デモでした。ECDさんは初期は「それほどでもなかった」と言っていましたが、参加者一人ひとりが大声を上げるデモだったのです(私自身、ブログで鼓舞していたということもありますが)。それが反レイシズム、反安倍政権の罵声や怒声を含むデカい声の抗議に繋がっていくのは、まあ当然です。
それでもひとりで声を上げるのは心細いですよね。
でも、そんな人にも勇気を与えられる作品になっていると思います。是非観に来て下さい。

映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:00(上映開始予定)
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp

誰もが TwitNoNukesだった/映画「STANDARD」公開に向けて その1

2018-02-10 12:39:45 | News
平野太一君の初監督作品であるドキュメンタリー映画「STANDARD 」の公開まで10日となりました。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第1原発事故をきっかけに、全国的に拡がった反原発、脱原発ムーブメントを担った数多くのグループの中のひとつであるTwitNoNukesを起点に、現在に至る市民による路上の闘争を、その当事者が語る内容になっています。



今回はC.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective 対レイシスト行動集団)主催の<JUSTICE - Art, Sound and Power>の会期中にほぼ連日行われるスペシャルイベントのひとつとして、一回限りの上映となります。この上映をまたひとつの起点として、爆発的に、そして末永く作品の告知を拡げていきたいと思っていますので、上映会にも是非ご参加していただきたいと思います(しかも今回は無料です)。
制作をスタートしたのは2015年、スタッフ内の議論でヴァージョンを重ね、公開版がほぼ固まった中で、急遽決まった上映故に、告知の準備も多少突貫ではありますが、本日、TwitNoNukesの公式Twitterアカウントより今回のイベント用のポスター画像を公開、来週早々には公式サイトもスタートする予定です。なかなか良い感じに仕上がりそうなのでご期待下さい。

制作はTwitNoNukesプロジェクトです。
私、和田がなぜこのプロジェクトに参加しているのか? そしてお前はTwitNoNukesなのかと問われれば、当時言われていた「デモ実行有志」でもなく、参加者の一人でした。と言ってもあの頃はTwitter上の情報交換も今とは比較にならないほど活発でした。顔など知らなくてもダイレクトに実行有志と意見交換もできましたし、何よりも原発事故に対して国民の多くが漠然とではあっても、不安と疑問を抱き、「このままではいけない」「叫ばずにはいられない」切迫した状況ではありました。確かにデモ申請の手続き、プラカードの用意などは「誰か」がやらなければいけないことなのですが、主催と参加者の敷居は実に低かった。またそれまでデモに参加したことが無いような人たちでも、その役割にすぐ手を挙げる人は少なくなかった。誰でも「誰か」になれたわけです(それは今も変わらない)。今回の映画に登場して、語って頂いている方々はそういう人たちです。

所謂、<普通の人々>です。

そんなことを書くと、すぐに<普通とは何か?>などというツッコミが入るものです。実際に当時のTwitter上では激しく討議されていたテーマです。そして実行有志とシンパはそんな連中と連日戦っていました。
この映画で描かれるのは、そんな<普通>との戦いでもあります。映画タイトルの「スタンダード」にはそんな思いも込められています。

続きます。



ひとまず今回の上映まで限られた期間ではありますが、TwitNoNukes公式アカウント、また制作に加わってもらった堕落君のフェイスブック、そして当ブログなどからも続々と情報発信をしていきますので、お付き合い下さい。

ECDは「仕事でロック」したのか

2018-02-01 13:05:05 | News


ECDが亡くなってからTLに彼の画像や動画、そして言葉が途切れることはない。中でもオレが一番共鳴したのはこの言葉だった。

<その仕事をするひとがいなければ世の中が回らない。いやいやでも引き受ければ金銭という報酬を得ることができる。(中略)このことを「つまらない」「悲しい」と嘆く必要はない。なぜならそれがいやいややる仕事であればあるほどそれをいやがってやらないひとを助けることになるからだ。つまりひとの役に立っているのだ。>
<「助け合い」という言葉の響きは美しい。美しすぎて誰にでも簡単にできることとは思えないくらいだ。しかし、仕事をすればそれができる。>
(「仕事はつらいよ」仕事文脈vol.8)



個人がクリエイティブであろうとするためだけに、必ずしもクリエイティブな仕事に就いている必要はない。仕事自体は目的ではなく、手段だ。そしてどれほど赤の他人から見て「つまらない」「悲しい」仕事であっても、クリエイティブな個人によって、その仕事も社会的に開かれた、ポジティブで、クリエイティブなものになる。そしてまた個人は仕事をフィードバックしながらクリエイティブな日常を送る。
これは「仕事でロックする」ということであろう。「ロック」の部分はブルーズでも、パンクでも、ヒップホップでも構わない。
「ラーメン屋でロックする」「パン屋でロックする」ーー「働くことでロックする」は、数多い著作の中で語られるECDの仕事観で使われたフレーズで、青少年時代のエピソードだけれども、松村雄策のバンドであったイターナウの宣伝に記された、岩谷宏の宣言文<あらゆるものがロックであり得る>が元となっている。自称「ロッキングオン信者」であったECDは、この言葉が「人生を変えてしまった」とまで書いていた。

現在、平野太一君やアキラ・ザ・ハスラーさんらと共に製作した「スタンダード」という3.11以降の路上の行動とそれに参加した人々を描いたドキュメンタリー映画が公開間近である。もちろん、その中にECDの姿と言葉か収められている。すでに製作は3年越しで、心ならずも、最晩年の路上での姿までをカメラは捉えることになった。
その取材の中で、「まあ作品には使われないだろうな」と思いつつ(コメントを使うかどうかを決めるのはあくまでも監督は平野君である)、ロッキングオン信者時代の話を聞いた。最後の著作である「他人の始まり、因果の終わり」に至るまで、赤裸々に自分を語り続けてきたECDである。しかしそれほど嫌がる素振りも見せずに答えてくれた。

<自分の中ではロッキングオン、劇団は黒歴史的なもので(笑)。でも最近、山崎春美と話したら「やっぱりあのアジテーションは熱かった」「あれをなかったことにしちゃいけない」って言っていて。それが国会前に立っていることにつながっているんだなと思うと、そんなに捨てたものではないなと。>

特に結婚後のECDが「仕事でロック」を体現したのは間違いがないのだろうと思う。その姿に勇気づけられた若い世代も多いのだろう。そして、この6年ほど、オレは彼の言葉と行動で「いるべき場所」を共有したつもりでいる。
著作では過去を語り続けたECDも、作品では今しか表現しなかったように思う。彼亡き後、彼の今はもうすでに過去のことである。しかしこれからも、彼は今を生きる自分を突き動かすだろう。
そして我々は日々の暮らしのために「仕事」をし続ける。それがロックやヒップホップであればいい。

今日はお通夜、最後のお別れです。

It Isn't Nice

2017-03-05 21:42:33 | Music

Barbara Dane and The Chamber Brothers/It Isn't Nice


中川五郎/カッコよくはないけれど

50年前から日本もアメリカも大して変わってないということで、第4回フォークキャンプコンサートでのアプルパミスの演奏はどうもUPされていないようなので、中川五郎さんの12年のライブから。60年代だし、元がフォークなんだからフォークでいいんだが、やっぱりフォーク(貧乏)が悪い。これはパンクで聴きたい。
しかしバーバラ・デインは顔も、声も本当にかっこいい。

奴らの「ゲーム」に乗らないために

2015-12-16 18:26:54 | Books
<ピストルズ、そしてパンクは、普通の人々に力を与えた。パンクは、人々が音楽をつくる後押しをしただけでなく、自分自身の服をデザインし、ファンジン(同人誌)を始め、ライブを準備し、デモを行い、レコードストアを開店し、レコードレーベルを設立することをも奨励した。ディック・ヘブディジがその著『サブカルチャー――スタイルが意味するもの』で指摘したように、パンクのファンジン『sniffin' glue』には、「おそらくサブカルチャーが生み出したうちで最も見事なプロパガンダ――パンクのDIY哲学の決定的な表現――が含まれている、それは、ギターのネック上におけるスリー・フィンガー・ポジションの図解、そしてそのキャプションにはこうあった」

これがコードの1つ、あと2つ覚えろ。
そして自分のバンドを組め
」>

<「私にとっては、一か所にとどまるのは退屈だ。50過ぎた連中がパンク風のレザージャケットを着てうろうろして、それがなんだっていうんだ。大事なのは、分類不可能なままでいるということだよ。そうすれば、他人がきみを所有するということはない」>(リチャード・ヘル)

(マット・メイソン『海賊のジレンマ ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』フィルムアート社2012年)

バーケンの不在とSの極みの罪と罰/清水降格を受け入れるための覚書その4

2015-10-23 18:10:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
「Sの極み」という清水エスパルスのサポーターに向けた会員制の有料情報サイトがある。
2003年、清水エスパルスの低迷期に今は亡きフリーライター大場健司が立ち上げ、彼が亡くなったあとは盟友の下舘浩久氏がサイトを引き継ぎ、今日まで更新を続けている。
毎日の更新では監督・コーチやプレーヤーのインタビューのみならず、クラブが非公開にしない限りは練習メニューとピッチに立ったプレーヤーがレポートされ、アンチからは対戦相手のスカウンティングに協力していると蛇蝎の如く嫌われるサイトである。確かにファンやサポーターにとっては重宝な情報サイトだ。番記者の取材は毎日のように行われ、事あるごとに記事にはなるとはいえ、情報は番記者が抱えるだけでほとんど公開されることはない。ということで、ここでしか得られない情報は少なくない。
大場健司ことバーケンは、健太体制最終年の2010年3月24日に亡くなり、その直後に行われた川崎戦の等々力競技場の清水ゴール裏では、彼に対してサポーターによる黙祷が捧げられたという、清水サポーターに愛された番記者であった。

アレックス移籍、健太退任、そして今回の降格決定と、清水に関して号泣することは何回かあったのだが、バーケンが亡くなったことを知ったときも相当堪えた。彼は2010年シーズンの健太体制後の崩壊を警告していたし、プレーヤー同士の「仲良しクラブ化」を危惧する記事も書いていた。
彼は熱い清水至上主義者であったと同時に、プレーヤーに対しても厳しい目を持っていた(と思う)。
それだけに2010年のシーズン開幕と同時に亡くなってしまったのはショックだった。「Sの極み」を通して低迷期から健太体制を追い続け、書き続けていた彼にこそ、清水エスパルスと長谷川健太の物語は書かれなければならないと直接メールを送ったこともあった。

しかし「Sの極み」は変わってしまった。オレもあれほど熱く支持し、バーケンの死後も存続を願っていたサイトに失望し、2014年の半ばには購読を止めた。
「Sの極み」の役割はアフシン・ゴトビを更迭させるために彼に不満を持つプレーヤーと一部サポーターをつなぎ、ゴトビ更迭後は大榎体制を盲目的に後方(広報)支援するサイトに変わってしまったのだ。それが誰かの意図だったのかはわからないし、サイト運営をする上でコアなユーザーが望むものに応えてしまったこともあるのだろう。
勿論最初から下舘氏にバーケンのようなジャーナリストとしての視点は望むべくもない。しかし根拠の薄い大榎擁護を続けることで事態の深刻化に加担してきたことは紛れもない事実である。
「Sの極み」は御用サイト、第二公式ホームページとして運営されていくのか。

何よりも、オレがたびたび書いている「周囲の大人が悪い」という言葉の中の「大人」は、まず「Sの極み」をはじめとする番記者を指している。
そして、それは何よりも「バーケンの不在」ということである。

今でもオレは清水エスパルスのことを考えるとき、時折「バーケンだったらどう書くだろう」と想像する。
「メシのタネ」にはなかなか逆らえない気持ちはわからないでもない(勿論「メシのタネ」とは決してクラブだけを指すわけではない)。しかし仲良しクラブを強烈に批判したバーケンは、今のエスパルスを認めてくれるだろうか。
番記者が書く、いまだに降格の直接的な要因と問題の本質をあやふやにした検証記事(つまり前々回に書いた「前提」を無視した内容である)をバーケンは望んでいるだろうか。

失敗は繰り返された/清水降格を受け入れるための覚書その3

2015-10-23 18:02:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
前回、前々回と二度のギャンブルについて書いた。
スポニチの降格検証記事を読んでいて、そのギャンブルの当事者である大榎克己は、やはりもうひとりの当事者、長谷川健太の幻影に振り回されていたのではないかという思いが改めて強くなった。
クラブの設立メンバーというだけでなく、高校時代には清水東高の三羽烏として静岡の高校サッカー黄金時代を築いた生粋の清水オリジナルのふたりである。それは意識しないわけがないだろう。清水での失敗を糧に現在はガンバ大阪でプロ監督としてのキャリアを順調に積んでいる健太と一度たりとも浮上のきっかけをつかむことなく、結果的にクラブを降格させてしまった大榎。
しかし今日の大榎が、勿論健太だった可能性もある。
彼らの起用はギャンブルだったのだから当然だろう。

ふたりのやり方は好対照だった。
ユースの監督を長く務め、トップチームでも積極的にユースのプレーヤーを起用した大榎に対して、健太時代は低迷期の地元中心の路線を改め、静岡にこだわらない選手補強を進めた。これにより久米一正(強化育成本部長)と興津大三(スカウト)の名前が大きくクローズアップされた。有望新人獲得におけるあまりの好成績に興津などは毎年のシーズンオフの話題の中心だった印象さえある。
健太の幸運は、2000年代前半のユース黄金時代を支えていた杉山浩太に加え、枝村、山本真希、山本海人などが大卒、高卒プレーヤーと共に加入してきたことだろう。「静岡からの路線変更」と言いつつ、実際にはユースも厚い選手層に大きく貢献していたのだから、清水に拘る一部サポーターの不平不満も起こるはずがない。
大榎の不幸は、久米も興津も、さらに言えば早川巌もいなかったことにある。勿論監督としての技量の問題もさることながら、彼をサポートすべき強化部を中心とするフロントの問題が大きかったのではないか。それは大榎就任時に遡って検証されるべきで、当時の竹内前社長と原靖強化部長の責任は重大である。

クラブが「レジェンドというギャンブル」を打つとき、2度の「低迷」があり、当然その低迷期に監督に就いていた人物がいる。
石崎信弘(→長谷川健太)とアフシン・ゴトビ(→大榎克己→田坂和昭)である。
共に手腕とマネジメント能力が高く評価される一方で、スタンドの一部サポーターと鋭く対立し、遺恨さえ遺した石崎信弘とアフシン・ゴトビ。そしてその後に、とても「レジェンド」を遇するタイミングとは思えないスクランブルな状況で監督に就任することになる長谷川健太と大榎克己。
健太はそれなりの成績を残しクラブとサポーターに「成功体験」をもたらしたものの、退任時には史上に残るチーム大崩壊をも同時にチームにもたらした。一方の大榎はある意味でプレーヤーに乞われるような形で監督に就任したものの降格の憂き目に遭う。
健太と大榎の「やり方」は好対照で、そして最終的な崩壊は符合している。
このようなスタンドとの対立を繰り返して、そのたびに付け焼刃でレジェンドを使い捨てるやり方を続けて、フロント、そして「一部」サポーターは、このチームに新たな監督が就任できると思うのか。
何を応援し、何のためにサポートしているのか、はっきりと考え直す時期が来ている。

清水エスパルスはこの約10年間で2度、同じような失敗を繰り返している。
クラブが「問題」を把握していないとは思えない。これはやはり事なかれ主義を続けた前フロントと、現場と感情的な対立を繰り返す「一部の」サポーターに問題があるとしか思えない。
3度目の失敗は許されないだろう。

ゴトビ以後/清水降格を受け入れるための覚書その2

2015-10-23 00:05:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
2010年のシーズンオフが清水エスパルスの大転換期だったことは間違いがない。それはその通りだし、崩壊の起点として論じられるのは仕方がない事だと思う。今更と思わないでもないが。
しかしフットボールは続く。

2011年、web上で「新しい旅立ち」を呼びかけたゴトビに対して、サポーターはどんな思いで彼を迎えたのか。
彼の来日、そして静岡駅到着を少なくないサポーターが迎え、在来線のホームではふたりのサポーターから花束が渡されたという。オレはいつもこのエピソードに胸が熱くなる。あの頃、それぐらいサポーターは精神的に追い詰められていたのだ。

東日本大震災が起こった2011年はエクストラなシーズンだった。ゴトビは震災に対して積極的な発言を行い、オランダでチャリティマッチまで実現した。そんなゴトビのチームがホームで神戸相手に5失点を喰らい惨敗しても、サポーターはそれを「チームの成長途上」として拍手で受け入れた。その後ダービーで起こったゴトビ核爆弾弾幕事件ではスタンド全体が下らない差別とも戦っていた。
ゴトビ自身はビジネスマン臭いが、大人の男で、彼が作ろうとしているチームは悪くないチームだと思っていた。
崩壊で負った傷は徐々に癒されようとしていたはずだった。

しかし次の転機は2012年だった。
前半戦を首位で折り返し、若手中心のメンバーでナビスコカップのファイナリストになった2012年である。あのシーズン、そしてゲーム、前半と同じような内容で戦い続けることができていれば、あの年、確実にタイトルを獲ってさえいれば、その後の第二の崩壊は起こらなかったのだと思う。

前回、健太時代を指して「ギャンブルにある程度勝った」と書いたが、実際あの時代はクラブにとっての「成功体験」になっている可能性は高い(最終的には大博打で投資し過ぎて大失敗したわけだが)。
当時の強化部長は健太の清水東時代の同級生で、鈴与の出向社員が務めていたのだが、彼が清水の将来のヴィジョンについてインタビューに答えている。それはこんなものだ。
「数年に一度カップ戦でタイトルを取って、時々優勝争いをする」
あまりの率直なヴィジョンに目眩を起こしそうになった記憶があるが、実際にタイトルは届かなかったものの、それをほとんど実現していたのが健太エスパルスだった。
2012年までのゴトビエスパルスもそれに近いヴィジョンを実現していたと思う。
しかしゴトビにはあまりにも運とサポートがなさ過ぎた。

ゴトビに対して、周囲からそそのかされ反旗を翻したプレーヤーたちはその後、結局自分たちの力を証明することはできなかった。勝つことでしか自分たちを証明することができない世界で、降格とは逆の意味で実力の証明であり、彼らははっきり言って間違っていた。すでにチームを離れてしまった小野伸二が、清水の降格に対して「選手の責任」とコメンントした意味とはそういうことだと思うのだ。
しかしまだ彼らにはゲームが残っている。彼らが残り3ゲームでどう戦い、自分たちを証明するのか、見るべきものに乏しかった「残留争い」のゲーム以上に注目に値する。

しかし、ここまで書いておきながら何なのだが、今回の降格とゴトビはほとんど関係がない。関係があるわけがない。このチームはゴトビのやり方を否定してスタートしたチームなのだから。
それははっきりさせるべきだろう。

他でも散々書いてきたように、今回の降格議論において、まず大榎克己と原靖と竹内前社長の責任を前提としない意見はまったく無意味で、聞く必要がない(何度でも書く)。
田坂監督は昨季以上にスクランブルな状況で、まさに「火中の栗を拾った」人物なわけで、目先の結果に文句はあってもシーズン全体の結果を責める気持ちにはとてもなれない。過去のインタビューやゲーム後のコメントを読む限り、自身の結果責任について、彼は十分理解しているだろう。
また左伴社長に関しても昨季後半の現場の混乱を引き継いだ状態で、自身のミッションである営業面に関しては十分以上の結果を残している以上、過大な結果責任を負わせる必要を感じない。彼に対するイージーな結果責任論はオーナーサイドも許さないのではないか。

取り敢えず原靖強化部長の退任報道が流れている。

レジェンドというギャンブル/清水降格を受け入れるための覚書その1

2015-10-22 18:52:40 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
鈴与の鈴木与平会長は、堀池巧がチームを離れる時、「三羽烏がフロントに入る時、クラブはプロになる」と言ったという。
これは初期のS極のレポートでも書かれている有名な話で、実に正しい清水エスパルスの「物語」である。
この物語はある程度はサポーターの間で共有されていたはずだ。そしてこれは一部のサポーターには問答無用(思考停止)の印籠になった。

しかし日韓ワールドカップ以降のエスパルスは試行錯誤とギャンブルの連続だった。勿論大榎克巳の監督就任もギャンブルだった。
彼は大学で、そしてユースで指導歴を重ねてきたのだから反論がある人もいるだろうが、やはり大榎克巳の監督就任はギャンブルだったと思うのだ。
何よりも状況がスクランブル過ぎた。指導力を吟味することなく、キャリアを度外視して、清水ナショナリストの不平不満を抑えるにはこの選択肢かなかったのだろうと思う。健太時代の夢よもう一度といったところだろうか。

そう、清水は同じようなギャンブルを10年前にもしている。
日韓ワールドカップ以降の低迷期に、長谷川健太というもうひとりのレジェンドをスクランブル的に監督起用したのだ。一年目こそ残留争いしたものの、2年目以降は劇的に飛躍した。
そしてそのギャンブルにある程度勝った。健太時代はサポーターの誰にとっても最高に面白い時代だったのだ。
ベテランのノボリや森岡は世代交代を悟り自らチームを去り、有望な若手が毎年台頭する。越えられないハードルはないと誰もが感じた。そして6年間で清水が優勝してもおかしくないという空気が確かに熟成された。
しかし蜜月は長く続かない。その反動が凄まじかった。健太退任と同時に主力の大半が移籍するというチームの大崩壊はギャンブルの反動としてはあまりにも大き過ぎた。

そしてついに今度のギャンブルには負けしまった。
レジェンド起用は不平不満のガス抜きで、付け焼き刃のギャンブルであったこと、そしてそれに負けたこと。それは認めなければならない。ドリーム・イズ・オーバー。
10年ががりの降格というのはそういうことである。その背景には鈴木与平の言葉と物語がある。
オレはまだその物語が間違っているとは思わない。
それでも失敗は認めなければならない。認めないのは欺瞞であり、クラブの歴史への裏切り行為である。

ネトウヨを抱いて共に地獄へ堕ちる

2015-09-22 09:39:32 | News
ネトウヨ、特に現在の行動保守界隈にしがみついているような、クレイジーを煮染めたようなレイシストと対峙するのはかなり勇気がいる。勿論それまでだってそうだったのだけれども、奴らを相手にするには奴らのレベルに落ちる必要がある。これは余程そのことに対して意識的でいなければ、まともな人間には耐えられないことである。
それはもうミイラ取りの世界だ。
「史上最悪のカウンター」とも言われた昨日の鶯谷での「チン毛コール」などはその最たるもので、笑い話にはなるとはいえ、もはやこれはネトウヨを抱いて一緒に地獄に堕ちるようなものである。

同じレベルと言えば、昨日の警備の中にはレイシストと変わらないような、いじめっ子のような表情や言動でこちらを挑発する者がいた。勿論現場にいる多くの警備はそこまで露骨ではないのだが、まったくあんな喧騒と魑魅魍魎の中にいると警備の中にもネトウヨと共に堕ちる人間がいる。

昨日の銀座での排外デモには年若いレイシストもいた。彼らの同世代の者からカウンターを受ければきっと効き目も違うのだろうが、清廉なイメージを保つなら、シールズはこんな魑魅魍魎には関わらない方がいいよなあ、としみじみ思うのであった。
これは大人の、そしてヨゴレの仕事だ。

(IF YOU WANT IT)/安保法案国会正門前抗議集会(9.18)

2015-09-21 12:26:55 | News

SEALDsは強行採決の数日前から立て続けに、新聞に意見広告を出した。最後の広告が参議院の強行採決の朝ならば最高にかっこよかったのだが、その前日、“最後”の安保法案反対抗議集会の日にその広告は掲載された。
メインコピーは「民主主義は止まらない」。そして「それを望む人たちがいる限り」のサブコピーが添えられている。
言うまでもなくこれは彼らが参加者に提供していたプラカードの文言、「WAR IS OVER(IF YOU WANT IT)」の意訳であろう。
これはベトナム戦争の真っ只中にジョン・レノン、小野洋子とともにポスターや看板の形で世界11都市に貼られ、掲示された意見広告で、アート作品である。このインパクトが強い言葉とデザインは多くの社会運動のメッセージやプラカードのビジュアルとしてインスパイアを与え続けている。当然3.11以降の反原発運動でもこの言葉を活用したプラカードは数多く見られた。
英語とはいえ、日本人の誰にでもわかりやすく、伝わりやすい言葉である。
この作品が発表された69年、70年前後はとても「WAR IS OVER(戦争は終わった)」といえる状況ではない。だからこそメッセージは「IF YOU WANT IT(君が望むのならば)」と続く。その言葉がなければメッセージは勿論成立しない。
ここでは「WAR」となってはいるが、主語を置き換えることでこのメッセージは人々の希望や願い、怒りの表明する普遍的なフォーマットになっている。
大事なことは「望むこと(IF YOU WANT IT)」で、オレたちは「それ」を望み、求め続けなければならない。

20時を過ぎ、SEALDsがリードする抗議集会が行われている中、ふと周囲を見ていると BRAHMANのTOSHI-LOWの後ろ姿が見えた。間もなくイースタンユースの吉野寿が現れ、TOSHI-LOWとツーショットで写真を撮っていた。吉野はいつもの変顔だ。彼らは表立ってプロテストを表明するミュージシャンが少ない日本の音楽業界の中ではっきりと意思表示を続ける本物のロッカーズである。
勿論3.11以降の様々な場面で出会ったきた人たちがその場に集まっていた。

30分ほど過ぎ、集会のリードグループが入れ替わるために、国会正門前の先頭付近には一瞬の静寂に包まれる。怒りのドラムデモで、昨年の特定秘密保護法反対運動をオーガナイズした中心人物のひとりである井手実が、平野太一に声をかける。平野もまたtwitnonukesや初期の反原発首都圏連合などで3.11以降の社会運動を現場でリードしてきた男だ。
SEALDsは確かに若者だが、3.11以降のキャリアがあるとはいえ、彼らだってまだ若い、希望のある青年たちだ。

「入れ替わりの合間だし、やってもいいんじゃないか?」
井手が平野にコールのリードを促す。
そして平野はトラメガの位置を確認してマイクを握り直すと、あのいつものエモーショナルで切迫した声でコールを始めた。周囲は一気にレスポンスで沸騰する、
リードする平野の声を聞いていて、2011年の春を思い出し、少し感傷的になり胸が熱くなった。やはり“オレたち”はこの声から始まってここまでやってきたのだ。

しばらくコールが続いた後、オレはコールの直前に平野から預かっていたビデオカメラをC.R.A.C. の人間に託すと、後方へ動き始めた中核派の幟旗を追いかけた。
感傷的になるのは一瞬だけでいい。

それから4時間後、安保法案は参議院で強行採決された。民主党の福山哲郎は採決前の反対討論で一世一代とでも言うべき、実に熱く、怒りに満ちた、そして人間味に溢れる演説を行った。与党や賛成野党によって都合良く15分に縛られた討論時間は当たり前のように破られた。奴らは勝つためにルールを作り変え、悪用し、オレたちは負けないためにルールの隙を突き、突破していく。
それは来るべき参院選、そして安倍政権打倒に向けた狼煙であることは間違いがない。

シルバーウィークに入り、全国各地で安保法案反対のデモや抗議集会がさらに拡大し続けている。「民主主義は止まらない」というのはきっとそういうことだろう。
昨日、国会正門前の抗議でついた靴の泥を洗い流し、オレは六本木へ向かった。
オレはオレが何を求めているのか知っている。

奴らを止めるために/新横浜「安保関連法案地方公聴会」抗議行動

2015-09-18 03:45:47 | News


水曜日は新横浜で「安保関連法案に関する地方公聴会」の抗議行動に参加した。12時30分頃に新横浜プリンスホテル周辺に到着すると、正面玄関を中心に抗議の集団が固まり声を上げている。新横浜歩道橋にもびっしりと抗議のプラカードを持つ人たちが立ち並んでいた。
勿論ホテル内に出入りすることは可能だったそうだが、「中」の様子はTLなどで流れてくる以上のものはわからない。

ただ、もうこの公聴会抗議では、最初から「やるべきことがわかっている連中」の目的は決まっていた。歩きながら、また何人かで固まりながら言葉を交わして状況を探る。
公聴会の開始時点で抗議の中心になっている正面玄関ではない、プロテスターの集中ポイントは容易に共有された。
大型トラックが頻繁に出入りする搬入口の横にあるホテルの駐車場出口周辺(から正面付近)。それがプロテスターの集中ポイントだ。
公聴会の終了予定時間である15時前後から位置を確認するプロテスターの動きも慌ただしくなる。

それから30分ほど過ぎた頃、まずホテルの駐車場から猛スピードで黒塗りの車両が2台飛び出し、2車線の道路を直進していった。少々危険なスピードだ。
そして続く“黒塗り”が姿を現した瞬間に雪崩を打つようにプロテスターが車道に飛び出しシットインを始める。
警備に排除されても場所を移動しながらひたすらシットインを続ける。

ホテルの正面玄関前の6車線が今回のシットインの中心になった。
プロテスターが乗る一台の軽車両が議員が乗る車両の進路を遮るように、道路に対して垂直に止められ、その先には数十人のシットインの塊が形成されている。
そして一台の“黒塗り”が完全にシットインで行く手を阻まれた。
「あの車は蓮舫らしい」
そんな話を聞きながら、「強行採決絶対反対」を叫び、道路から引き剥がされるプロテスターの隙間を埋めるように座り込み、寝転んでいく。“蓮舫の車”ならば反対を叫ぶこともないのだろうが、仮に蓮舫ならば、尚更彼女に伝える必要がある。

そもそもこの新横浜での公聴会抗議がおそらくプロテスターによる直接抗議としては最後のチャンスになるだろうと思っていた。ぎりぎりのタイミングで設定されたアリバイ作りの公聴会が終わってしまえば、戦いの舞台は国会の「中」に移る。オレたちの代わりに戦わなければならないのは反対を表明する野党議員だ。
聞く耳を持っているとはとても思えない与党や偽装野党のボンクラ議員の奴ら以上に、彼らにこそ、オレたちが真剣に反対しているということを伝えなければならない。

断続的なコールと警備の怒号、そして止められてしまった一般車両のクラクションでホテル前の道路は騒然としか言いようのない状況になった。正面玄関前の歩道で整然と抗議を続けていた人たちも車道に飛び出し、シットインに加わる人も数多く現れた。
じりじりと押されながらシットインと警官と報道陣の塊は新横浜歩道橋をくぐり抜け、国道の交差点に飛び出していく。
オレを腕をねじり上げた私服の警官が叫ぶ。
「これぐらい遅れても全然影響ねえよ!」
オレも叫び返す。
「少しでも時間稼ぎたいからやってんだよ!」
警官に突き飛ばされたオレにぶつかったカメラマンは「危ねえな」と吐き捨てるように呟いた。最近オレのTLでは評判の良くない共同通信のカメラマンだった。
シットインは警備と揉み合いながら一時間ほど続いた。

民主党はオレたちの本気を目の当たりにして、以前よりは少し(もっと)真剣になったらしい。そして特別委員会の凶悪としかいいようのない強行採決は一日だけ引き延ばされた。

“黒塗り”が走り去った後、数百人のプロテスターは道路に広がり、「¡No pasarán !(ノー・パサラン=奴らを通すな)」をコールしながら、整然とホテル前に戻って行った。
昨年12月の特定秘密保護法案への抗議行動で、国会正門前に横断幕で掲げられたこの言葉が人々の口から叫ばれたわけである。
この数年の抗議行動が確実に連動し、経験と“言葉”が積み重ねられて、「普通」のデモクラシーの作法が浸透していることを実感した。この新横浜での抵抗はそれを実証できたと思うのだ。
それは海外ニュースの光景のようでもあり、まるでドラマのワンシーンのようでもあった。またそれは自分たちを鼓舞するような叫びであっただろう。ほんの少しの間だけの高揚感だから許して欲しい。
その場所から多くの人がまだシリアスな抗議が続く国会正門前へ向かった。

国会は今日一日緊迫化し、最大の山場を迎える。そして正門前では「中」の人をサポートすべく最大の抗議行動が行われる。状況は行動の転換が行われるかもしれない重大な局面に入った。
国会正門前の最前線に張られる規制線と悪戯に揉み合うよりもやるべきことがある。一人ひとりがひとつのことを考え、また「次のこと」を考え行動する時だ。