<過ぎてしまった試合はどんな意味を持っているのか。悔いるためのものなのか、落ち込むためのものなのか。全て成長していくためのものだと思うし、そうしていかないといけない。 >(片山瑛一 0523)
<たくさんのエラーを起こしているので、それを認めて、受け入れて、なんとしても成長する以外にないと思います。> (ミゲル・アンヘル・ロティーナ 0522)
<鹿島戦の負け方は自分たちが怖がっていて、プレーすることに対して恐怖を感じていたシーンがいくつかあった。まず自分たちからしっかり仕掛けて、自分たちの出せるものをしっかり出した上で結果を受け入れる。それができれば負けることがないだろうと話しました。そう信じていた>(マッシモ・フィッカデンティ 0515)
昨日、Instagramに投稿された片山のコメント、一昨日、為す術もなく敗れた札幌戦後のロティーナのコメント、そして先週、内容的にも格的にもゲームプラン的にも完勝した清水戦の後のフィッカデンティ監督(名古屋)のコメント。言っていることは大体同じである。現状を受け入れて、全力でトライし、成長し続けろということだろう。
清水というクラブは長い間ポテンシャルで語られてきた。あのオシムでさえ、健太時代に対戦した時に「清水には良い若い選手がいる、それをコンセプトとして示す事は良い事」というようなことをコメントしていた。もちろんサポーターもそれを良しとしてきた。結果を残し続けるユース、ジュニアユースも含め、清水というクラブには確かなポテンシャルがあるのだから、そこには希望があり、クラブには未来があるだろうと。
清水・静岡は天才サッカー少年が育まれる町で、天才サッカー少年が集まってくる町でもあるのだが、しかしJリーグというプロサッカーリーグは天才サッカー少年たちが集まったリーグで元天才サッカー少年というだけでは生き残れない世界である。毎年のように残留争いに巻き込まれる、史上に残る大量失点を繰り返すうちに清水は小さくまとまったクラブになってしまっていた。
天才サッカー少年は競争し、成長し続けてプロサッカープレーヤーとして生き残らなければならない。
しかし清水は放っておいてもそもそも天才サッカー少年の町なのだから、実に愛情溢れる生温い土地柄ではある。2015年に降格した時、つくづく思ったのは「周囲の大人が悪い」だった。愛情(愛憎)とサッカーをする環境はたっぷりとあるのだが、それは競争し、成長する環境にはなかなかつながらない。札幌戦の後に何人かの清水サポーターが、「彼らも染まってしまった」とツイートしていた。清水を変化させるために加入したのに、清水に染まってしまったというわけだ。これには笑った(笑えない)。
シーズン前の大型補強は単に「補強」というよりもクラブが本気で競争する環境を整えているという印象を強く持ったし、その方向性は間違っていないと思っている。とりあえず今バトンはプレーヤーに渡されているのだから、全力で競走して欲しいと思う。そうでなければロティーナの責任なんて問えるわけがない。元天才サッカー少年で終わるなよ、ということである。
まだまだこれからです。
5月の戦いぶりにもやる気持ちはわかるのだが、今シーズンは上位を狙うシーズンというよりもあくまでも残留、そして本気のチーム作りのためのシーズンであることは間違いがない。史上に残る大量失点クラブを立て直すにはそれぐらいの覚悟は当然だと思うのだ。昨夜のルヴァン・カップ横浜Fマリノス戦の戦いぶりもそれはそれでショッキングな内容だったわけだが、どう見たってメンバーはサブと復帰組のそれで、ベストで臨んだとは誰も思わないだろう。チーム作りというのは選手層を厚くすることでもあるのだから、リーグとカップのシーズンを総力戦で戦いながら所属プレーヤー全体のクオリティを高めていく。そのためにはプレーヤー間の競争が当然必要で、だからこそ何が何でもカップのグループ予選を突破してゲーム(経験)を増やす必要があった。それはリーグ戦出場の当落線上にいるプレーヤーにとっては死活問題であるはずだ。どんな形であろうとも、どんな惨めな結果であろうとも次のステージに進めたのは喜ばしいことなのだ。
いやそれにしては君らそれで本当に大丈夫かと思わざるを得ない内容ではあった。シーズン前の清水の補強にインパクトはチーム内に本気の競争を求めているところにある。その意味では昨夜のゲームは出場した何人かのメンバーには内容も結果も厳しいものになった。脱落してしまうプレーヤーもいるのではないかと思ってしまう。しかしそれは今シーズンの清水が目指していることだろう。チーム内の激しい競争を望んでいるのだから、勝ち残るしかないのだ。
とはいえ、ではリーグでの横浜FC戦、名古屋戦のメンバーは磐石かといえばそれも怪しい。ボールを支配しつつも攻めあぐねた横浜FC戦、序盤からゲームを決めに来た相手に文字通りなす術もなく敗れた名古屋戦。共通しているのはプレースピードの意識の欠如だ。プレッシャーのない局面ではいくらでもパス交換はできるだろう。ペナルティーエリアの手前あたりまでは。しかし緩んだスピードで攻め込んで、ゴール前で急にギアを上げてシュートまで決めるほどのクオリティがあるプレーヤーが何人いるだろうか。
全盛期のジェフのように考えながら全力で走り切れるチームが観られる日は来るのだろうか。今はまだ考えながら走ること自体に四苦八苦しているような印象を受ける。それを克服するのは時間が必要なのだし、やはりゲーム(経験)しかないのだ。生き残るためには勝ち残るしかないのだ。
何と言われようと今は仙台さんありがとうとしか言えない。
何も悪くない。我々はまだ何も得ていないのだから。