徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ポスト健太

2007-12-31 11:36:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
「まあたぶん大丈夫でしょ(笑)。5年は大丈夫だと思いますよ」(久米一正・元清水エスパルス強化部長 Sの極み 12月29日付)

来季より名古屋グランパスへ移籍する久米一正・前強化部長のインタビューが3日間にわたってSの極みで掲載された。非常に興味深い内容だった。久米氏と川渕キャプテンのやり取りなどは政治色の濃いもので、好意的に読めばJ全体の底上げを狙ったものだろうが、クラブ単位で見れば脅威でしかない。非常に怖い話だ。

一方で、久米氏個人の多大な功績と政治力は認めざるを得ないけれども、清水の場合、それは静岡であり、クラブの設立者のひとりでもある健太が監督を務めたからこそ成功した面は否めない(健太が初年度に、プレーヤーに対して「清水愛」を求め、サポーターにメッセージしたのは非常に大きい意味を持つ)。結果的に柏ではどうだったのか、名古屋でも同じように成功を収めることができるのかは正直言って疑問だ。

むしろポスト久米の重要性は理解しつつ、数年後に訪れるであろうポスト健太の時代に危機感を覚えるような内容だった。プレーヤーは「チャレンジャー」でも仕方がないが、オレたちは応援するクラブを移籍できるわけではない。地元出身の平岡が札幌、ユース出身の太田、浩太が柏へ移籍したのは、3年ぶりの大きな転機が訪れていることを象徴している。
来年、再来年、そしてその先、「5年」どころではなく本物の優勝候補になるために、まずは来季タイトルを獲り、サポーターにとっても、プレーヤーにとっても魅力的なクラブにならなければいけない。
ま、人間、ある程度の危機感は必要だけれどね。

1ヶ月経てば読めるものだけれども、このインタビューは必読です。

晦日

2007-12-30 17:27:46 | 素日記
目が醒めたらどうしても晴智と手島を買いたくなったので、KEIRINグランプリ。
立川に行こうかとも思ったけれども、久しぶりにラ・ピスタ新橋に行き、改めて会員手続き(何年も行ってなかったのでさすがに失効していた)。
マスコミ大本命の山崎は精神安定剤程度に軽く押さえ。で、小嶋、晴智、伏見、手島のボックス。何とかプラスで今年は終了。来年は五輪だし、代表の伏見が勝ったのは日本自転車振興会としては何とも理想的な結果だった。それにしても38歳であの剛脚を見せる小嶋は本当にバケモノ。尊敬に値する。
晴智も手島も車券には絡んでいないけれども、勝ったのでよしとする。

滑り込みで次号のアポも取れた。いい晦日になったなァ…(高原のレッズ加入濃厚報道は除く)。

リセットの季節

2007-12-29 02:46:46 | Works
渋谷で打ち合わせ。一応前向きに考えることにする。外向きには今年最後の仕事、終了。

アポは不発、んあー。想定外で年越えてしまう。しかし28日の夕方にもなると、もうどう足掻こうが、どうにもこうにもヨノナカは動かないのが確定する。と、腹を括ると気分的にはすっきりする。そして、街は(今年の)終わりの準備を始める。
終わるってことは何て魅力的なんだろう。年末は足掻く人間を強制的にリセットさせる。子どもたちのリセット願望はネガティブな感情かもしれないけれども、人間はリセットなしには生きて行けない(もちろんオレにとって、これはキープオンすることの大事さの裏返しだけれども)。

だから年末というのは大好きだ。子どもの頃の台風の夜のように、もはや年末のために生きているという気さえしてくる。やっぱり人間てのは終わりに向かって生きているんだな。年末年始といっても、晦日、大晦日で心地よい焦燥感とリセット感を味わいつつ、毎年毎年、元旦の、天皇杯の決勝が終わった途端に現実に引き戻されている気がする。毎日が年末だったらいいのにと思う。

例年通り御徒町の吉池で今年の酒と肴を買ってから帰宅。明日こそ腹を括って年賀状書きと残りの大掃除をする。

変革の旅/THEATRE BROOK2007 変革旅行

2007-12-28 13:32:14 | Music
リキッドルームでシアターブルック「THEATRE BROOK2007 変革旅行」。まず2003~2005年のライブからプリンス、サンタナ、ピンクフロイドのカヴァーを収録した“オフィシャルブートレッグ”CD-Rを購入。
「TEPID RAIN」「ノックしつづける男」「捨てちまえ」の三連発でスタートし、休憩を挟んで23時過ぎまで、約3時間。いつも通りのシアターブルック。いや、本当はいつも通りのライブではないのだが。本編(1回目のアンコール)最後の曲は「まばたき」だった。聴き慣れた曲が、この日のライブでは非常に意味深く響く。

<さぁ 今ここを旅立つのは 勇気がいるぞ ドアを開け 空気をいっぱいに吸って さぁ 今ここを旅立つため 心を決めろ ドアを開け 一歩踏み出せ>

シアターブルックも2年間の旅に出る。「自分にとってあり得ない決断」ということで、この日のライブを最後に2009年冬までバンドは活動休止し、それぞれソロ、サンパウロでの活動に移る。ツアータイトル(といっても東名阪だけだけど)の「変革旅行」という言葉も、日本が誇るナチュラルボーン・ロッカーであるタイジなりに、変革の時代のエナジーを感じ取り、深~い思いがあってのメッセージということらしい。おまえが変われ。ひとりひとりが変われ。そういう時代だ。無茶苦茶で、意味がない(ように聴こえる)、でも言葉には無闇に勢いだけがある。
オレもオッサンになってしまったけれども、タイジは、本当に、今でも憧れの野蛮人だ。

もちろん年明けのシェルターのチケットは買った。
ということで変革の旅に出るタイジを来年も観て行く。



ニッコ

2007-12-27 00:30:16 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
杉本フィジコ「だから昨日言ってたんですよ……関係者が。『西澤変わったなー』って、『もう別人じゃん』みたいな(笑)。今年いろんなことがあったんでね……(中略)要するに才能だけでやってきて、でもう才能があるからあそこまでやれたんですけど、だからある意味ホントに……何て言うんですかねぇ……(中略)伸びしろはありますよー!」(Sの極み 12月26日付)

今季、少なからず風当たりが強かった西澤。一部の人間のように目先の結果だけに反応していれば「西澤コノヤロ」的な反応も理解できなくはないが、オレは一度たりとも西澤の存在を軽んじたことはない。それは西澤の存在そのものが健太のメッセージだからだ(ということは何回も書いた)。
でも、やはり、来季こそ西澤にはキャリアに相応しい結果出してもらいたい、なァ。

来年1月26日は必勝祈願だけでサポサンなしの模様(6月開催予定)。合わせて静岡へ行こうと思ったのだけれども予定が狂った。祈願イベント(おそらく青葉公園)だけでも行くか…行くよ。

いろいろ年末

2007-12-26 23:56:46 | Works
昨夜、電話で嫌なニュースを聞く。ん~…どうしたものか。

仕事部屋の整理は今日でほぼ終了。来年も今年みたいなペースでモノが増えるかと思うと恐ろしくなる。

何件かアポ取り。年内に決めときたいが、どうなるか…。あと2日が勝負。

2+2

2007-12-25 15:06:57 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
ひとまず2007年シーズンの総括。

2007年のエスパルスを考えると何もかも中途半端だったような印象を受ける。
もちろんそれまでの成長が素晴らしかったことを考えると一気に突き抜けてしまうのではないかというような期待さえ抱かせた。結果はほぼ昨年並みの内容でフィニッシュした。しかしこの“中途半端さ”は、成長途上には仕方がないことなのかもしれないと思うのだ。

例えば健太はディフェンスの構築と熟成に2年を費やした。そして今季から新たにフェルを中心に中盤をダイヤ型にしたマイナーチェンジを施し、オフェンスの構築に移行していると考えれば、おそらく来季もこの状況は続く。そして“20点FW”次第ではあるが、ディフェンス同様、2008年シーズン中にエスパルスのオフェンスの形もある程度完成するはずだ。
2+2、そして健太体制5年目からは収穫期に入る。

今季を最後に、健太と共にエスパルス復活に尽力した久米強化部長が名古屋へ移籍するとの報道があった。これもまた成長途上の経過にはあり得ることだ。

またエスパルスは生まれ変ろうとしている。そんな2007年シーズンだった。天皇杯決勝で終えられなかったのは非常に残念ではあるが、それは来年に取っておこう。

最後に今季のベストゲーム。
①30節ガンバ大阪戦(日本平)
②9節磐田戦(日本平)
③ナビスコカップ予選6節大宮戦(日本平)
④21節川崎戦(日本平)
⑤19節柏戦(日立台)

ちなみにワーストゲーム。
①14節FC東京戦(日本平)
②ナビスコカップ予選2節横浜マリノス戦(三ツ沢)
③ナビスコカップ予選1節柏戦(日立台)

MVPは難しいけれども、やっぱりフェルかなァ。

2005年4月24日

2007-12-24 18:55:14 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
大掃除第一弾で資料をばっさばさ捨てていたら、健太初年度の新聞が出てきた。それにしても、これ以来、全国面でこれほど大きく扱われたことはあっただろうか…。

<日本代表としても活躍した現役時代には、これほど「勝利」が遠いと感じたことはなかった。今季J1最年少監督としてようやく1勝に届いたが、その相手は同最高齢63歳のオシム監督で、年齢差は24。「リーグ戦で勝つことが、そんな簡単なものではないと先輩方が教えてくれた。プレッシャーの中で、どうやって勝つか。勝つことの難しさをあらためて思い知らされた」。勝ち気で負けず嫌いな監督が、しみじみ言った。>

<会見でオシム監督は「気持ちというのはすごく大事です」と切り出した。「清水はメンタル的に何かを成し遂げようという準備がきちんとできていた。反面、うちは全くできておらず、実力を発揮できなかった。(中略)試合後のミーティングも約30分と長引き「今日のような戦いぶりではいつか下位に低迷する」と警鐘を鳴らした」(以上日刊スポーツ 2005年4月24日付)

恒例行事

2007-12-24 14:55:39 | 素日記
日曜日。
有馬記念の馬券を買ってから浅草寺参拝。ヨシカミで遅い昼食。松坂屋裏の焼鳥屋であまり聞きたくない有馬記念の結果を聞きながら飲んだあと、「浩二」さんでM-1を観ながら煮込み。サンドウイッチマンのグランプリは内容的に順当。

個人的に恒例の年末行事。もう15年ぐらい学生でも、会社員でもないので、23日に浅草へ行くことで気分も年末になる。

オーダーしておいた年賀状も届き、今日から宛名書き。
年末だねえ。

2007年最終戦 そして次のステージへ

2007-12-23 01:41:31 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
健太「ホントにこの大会はタイトルを取るということを言ってですね、臨んだ大会であったという風に思います(ので)、非常に悔しいし残念です」

西澤「今監督も言ってたけどやっぱタイトルをね、拘るっていうことを言ってたんで、まあこういうゲームも拾ってかなきゃいけないだろうし、そういう意味ではまあ来季に向けて良い課題になったと思います」

原「もうホントメチャメチャ悔しいし、まあ先に俺が決めてればそれで終わった試合だったし、そう思うとホント悔やみ切れないなと思いますね」

岩下「ホントこういう良い相手と良い経験ができたことは、まあホント健太さんも言った通り来年にね、つながるゲームをしようっていうのは言われてたんで、まあホントにしっかりまた来年も準備してやりたいなと思います」(以上Sの極み 12月22日付け)

BSで天皇杯準々決勝ガンバ大阪戦。
移籍濃厚のJJに加え、フェルも早々と離日してしまい国産だけのベーシックなスタメンだったが、ガンバ相手に一歩も引くことなく戦い切った印象が強い。四つに組みやすいガンバ戦だけにポジティブな意味で我慢比べになってしまうのは予想できたが、それでも焦れずに“普通”に戦えたことは今季の成長をある程度証明できたと言える。ほとんどホームの長居開催で、藤ヶ谷(磐田東出身)の大当たりがあって、ガンバゴールにポスト神が降臨して、審判があれほどアドバンテージを取った中で、である。ディテールにこだわれば不満もあるが、起こってしまったものは仕方がない。仕方がないと思えるのはガンバ相手だからだ。これが愛媛やホンダ相手ならばこうはいかない。

一方、鹿島相手に延長まで粘りきったホンダの戦いは賞賛に値するが、しかし今後天皇杯はACL出場権を賭けて戦うのならば、“中立地”のファイナルは別として、セミファイナルまでホーム&アウエイの戦いを視野に入れるべきなんじゃないだろうか。“アマ”の“ジャイアント・キリング”はNHK的には面白いのかもしれないけれども、その賭けの代償としてのACL出場権は重過ぎる。

和道の怪我による途中交代で入った岩下の冷静なプレーぶりには、最終戦とは言えちょっと驚き、そして嬉しかった。同世代のライバルであった平岡の札幌へのレンタル移籍が彼にも影響しているのだろうか。今季最も成長したひとりだといえる。
そして不遇の時代に希望の星であり続けた浩太もまたレンタル移籍でひとまずチームを去る。彼は清水ではその希望の片鱗を覗かせただけに止まってしまったけれども、きっと柏で成長して戻ってくることをオレは願っている。

<堀池は「健太にだけは失敗させられない」と先行きを懸念したという>(元川悦子「“SHIZUOKA”の逆襲 サッカー王国“静岡”、その歴史と未来に迫る」/『J'sサッカー vol.1』より)

こうして人は去り、人は成長し健太エスパルスの「REVIVE(復活)」の3年間は終わる。もともと3年契約だった健太にとって、果たしてこの3年間は計画通りだったのだろうか。もちろん彼も3年で「RESPECT(尊敬)」までたどり着くとは思っていなかっただろうが、幸いにも堀池が危惧したような失敗には見舞われず、健太エスパルスはチームとして概ね順調に成長してきた。確かに観ているだけでも、非常に濃厚な3年間だった。どこかのクラブのように、リスキーで強力な“外国人FWドーピング”の真似はせず、彼はひとつひとつ積み上げるようにチームを作り、そのたびにサポーター、ファンにメッセージしてきた。
次は誰がどう見たって「REJOICE(歓喜)」のステージに移るべきだ。
それでももちろん健太はまた積み上げ続け、プレーヤーは成長し続けるだろう。

まったく何の不安もない。揺らぐことはない。
まさにTo be a rock and not to rollなのである。

で、20点FWマダー?

それぞれの節目/ゴーグルエース・エリクリ最後の3DAYS

2007-12-22 02:17:53 | Music
昨日入江から連絡があり初めて知ったのだが、ゴーグルエースエリクリ“引退”してバンドを辞めるのだという。10月ごろまではちょくちょくサイトを見に行ってたりしたのだけれどもここのところ、“何故か”ご無沙汰だったので(この辺は大人の事情)、ちょっと驚いた。

ということで、新宿jamでゴーグルエースのエリクリ最後の3DAYS、東京ラストライブ。エリクリの素晴らしいところは、パワフルなドラムはもちろん、腹の底からシャウトができるヴォーカリストであるところだ。ロックンロールやロックは聴く人間をワイルドに高揚させなければならないけれども(だからシャウトは必須科目)、エリクリのヴォーカルというのは、まさに女だてらにそういう人を高揚させる力のあるものだったと思う。

いや、それにしても熱かった。暑かった。結局最後まで約3時間、久々に立ちっ放しだった。そして、改めていいバンドだなと思った。残ったカマチさんとU-1エース氏はこのままバンドを存続させる意向だそうだ。それもまた素晴らしい判断だと思う。生き残ってしまったロックバンドは、何が何でも続けることだけに意味がある。今回の件はバンドの本質に関わるような、あまりにも大きな転機にならざるを得ないと思うけれども、今後のゴーグルの展開にも期待したいものだ。

オーラスのアンコールでエリクリが歌ったのはやはり“あの曲”だった。オレもあの曲だけは聴いておきたかったんだ。

今年の春、サザナミ本の取材でお世話になった東芝の河田さんが、最後にエリクリに花束を渡して、ステージに上がってメンバーを抱擁していた。その後、握手した河田さんの手は涙で濡れていた。河田さんはぽろぽろ泣いていた。何を言っていいかわからなくなってしまったけれども、仕方がなくて何回も握り直した。エリクリのエピソードも出てくる予定のサザナミ本は、やっぱり作らなきゃ駄目だね。改めてそう思った。

前哨戦の新宿が終わって、明日からラスト2日間はゴーグルのホームタウン長野。いまだに本当に“引退”なのかわからないけれども、エリクリさん、ひとまずお疲れ様でした。
いろんな意味で、最後に観る事ができてよかったよ。

年末だねえ。



企画の後始末

2007-12-21 01:42:24 | Works
池袋で知野二郎さんと会う。毎月メールのやり取りはあるとは言え、お会いするのはほぼ1年ぶり。すっかり寝かしたままになってしまっている企画があるので、それを改めてどうするか。いや、その他にも同様の企画はいくつかあったりするのだけれども、それも含めて来年の話と世間話。来年はいよいよ、期するものがないとマズいお年頃なの…。

知野さんが制作協力しているキングの『片腕ドラゴン』を頂く。<オリジナルキャスト再起用による新録日本語完全吹き替え>が最大の売りとのこと。最近は深夜テレビで放送される映画も字幕だったりして味わいがないもんね。田中信夫さんも小林清志さんも叫び声を挙げて熱演しているそうだ。

ということで2005年に知野さんと作った『龍熱大全』はまだまだ発売中。

世に出てしまった本はあまり読み返さないのだけれども、改めて読むと、これがなかなか充実した良い本になっている(もう細かいところを気にしなくても、冷静に読めるようになっているからだろうけれども)。

ついでに知野さんと初めて仕事をしたのが、2002年に作った『少林サッカー読本』。これも我ながら、わりとよくまとまっている。映画本なのにクンフーとサッカーの企画ばっかりで一部映画ファン、香港映画ファンにはあまり評判がよろしくなかったみたいだったけれども、そもそも“読本”ってそういうもんじゃね? と思いながら編集したのだから仕方ないです(黙って見守ってくれたOさんには感謝です)。そしてオレが関わった唯一の“サッカー本”なのであります。倉敷さんや吉沢さんともこの仕事で知り合えた。まあサッカーについては趣味と愛の範疇で関わりたいのでこんなもんでいいのである。


いやただ、来年はサッカー系の企画も作りたいなァとは思っている。来年だからこそできる企画だと思う(非五輪)。オレが作りたいものと言ったら、それはまァ決まってるけれど。

ハタハタ

2007-12-20 21:47:17 | LB中洲通信2004~2010
水曜日。
1月号でお世話になった十条の「田や」さんで北野さんと呑む。さすがに忘年会シーズンだけあって店内はちょっと混み合っていた。女将さんにお礼をいい、ハタハタの唐揚げ、しょっつる鍋。初めて食べたのだけれども美味いね、ハタハタ。

中村さん

2007-12-19 13:42:56 | LB中洲通信2004~2010
火曜日。今年最後の原稿を午前中に入れてから新宿へ向かう。

ニューヨーク在住のベーシスト、ジャズ・プロデューサーの中村照夫さんの取材。場所は中村さんの東京事務所。中村さんは13年前から私財を投げ打ってエイズに対するアウェアネス(認識)を広めるコンサートを続けている。64年にニューヨークへ行き、以来、音楽と社会問題の関係を体感してきた上での行動だ。現在のプロジェクトの名称はレッドシューズ・ファウンデーション。つまり“赤い靴”。今年も11月から12月にかけて都内でコンサートと講演が行なわれた。
エイズに対して楽観的な見方(認識)が拡がっているからこそ(そもそも日本人はあんまし興味ないみたいだし)、中村さんの活動と発言は大事なことだ。そしてそれを“続けている”というだけで、とても尊敬してしまう。
3月号で掲載予定。

神楽坂の事務所に行って2月号校了。これで気分的には今年の仕事はほぼ終了。袴田さんと久しぶりに酒。ホッピーを飲んでいたら、グラスが空になるたびに酒場のお姉ちゃんが頼んでもいない(いや、最終的には頼むのだけれども)“中身”を注ぎまくるので飲み過ぎた…。