日本平で「清水対京都」戦。
バスで向かったので昼過ぎには新静岡に到着。珍しくキックオフ2時間前には日本平に着いてしまった。こんなときのために持ってきた…というわけではないけれども、スタンドでビールを飲みながら再始動した書籍企画のゲラを読み直す。オレは高橋直子か。だんだん単なるカラオケショーになってしまっているパルちゃんショーを悲しい思いで(横目で)見ながら、どんどん読み進める。
数日前にゲームをこなした京都と1ヶ月ぶりの公式戦となる清水ではゲームの入り方に差があるのは当然のことで、しかも実際に機能していたのかは別としても、この1年半もの間、最重要プレーヤーのひとりだったフェルの完全離脱後は清水が別のチームになる可能性もある。これは開幕して3ヶ月過ぎたものの、別の意味で<開幕戦>と言ってもいい、非常に位置づけの難しいゲームである。そして、このゲームに勝つか負けるかでは今後の展開も相当変わってくるはずの節目となる勝負のゲームである。
<開幕戦>としては決して悪い入り方ではなく、むしろロジカルに京都DFを崩してゴールに迫る。しかし前半は二度、三度と決定的なチャンスを作りながらも決めきれない。初スタメンになったパウロもスタンドに響くほど声は出ているものの、正直、どこが健太がいう通り「よくなった」のか、さっぱりわからず、案の定前半で兵働と交代させられる。当然である。
そして後半、よりによってフェルナンジーニョが先制点を叩き込み、何の恨みがあるのか、喜びを大爆発させる。あの喜び方は尋常ではない。間違いなく去年秋の日本平でのガンバ戦よりも喜んでいた。リセット男の面目躍如である(画像はゲーム前、チームメイトの陰に隠れるようにストレッチするリセット男)。
すぐさま枝村が同点ゴールを叩き込むが、引き分け程度では払拭できないほどスタンドの空気も不穏なものになる。
今季逆転勝ちなど一度もしたことがないのに、である。
ここでさらに久さんはフェルと柳沢に替えて、田原と林を投入。テクニカルなふたりからより縦への狙いが明確なふたりが投入されたことで恐怖は倍増した。これで負けたらもう健太を庇い切れない…ホントにそう思った。それを予感させるほど怖い交代である。
ま、彼らが久さんの期待通りに決めばの話であるが(結果的に終了間際の超絶チャンスすら決められなかった)。
一方、健太はここで今日も残念だったアウに替えて一樹を投入する。そして後半38分セットプレーから一樹とシジクレイが重なり合い、記念すべき800ゴールとなるオウンゴールでついに逆転。残り時間は10分ほど、スタンドの雰囲気が一変する。
もうしばらく逆転ゴールの歓びなんて忘れていた。
ひとつのゴールが劇的にスタジアムの空気を変える。
それでもネットには健太を批判する輩がいる。勝負事(そしてサッカーというエンタテインメント)というのはシステム論のような数字の並べ替えや補強のような足し算だけでは計れない。もちろんゲームの前提となるシステムやチームコンセプトの核となる補強を否定するものではないが、星一徹のちゃぶ台のように、それが頭っからひっくり返されたのが、現状なのである。しかし、だからといって、この3年間で健太が示した大きなストーリーを忘れてはいけない。
ま、結局はDon't think,Feel!が判らない人はどうしたって判らないってことなんだと思うんだが。
健太「今日の勝利というのはやっぱり……中断期間中にまあ何人か……っていうか中心選手が1人外に出て、まあ自分たちが何とかしなければいけないと。また逆にその選手がいなくても自分たちの力をですね、キチッと示すんだという強い意思というのがですね、今日のゲームに感じられたという風に思ってますし、やっぱそういう思いがチームを一つにしてったんじゃないかなという風には思ってます」(Sの極み 6月28日付)
次は今週水曜日、いよいよナビスコカップ決勝トーナメントに突入。カシマスタジアムで鹿島戦である。次も大事な勝負だ。
静岡でゲラを読み終え、ユーロ決勝に合わせ日曜の夜に帰京。
(追記)
日本の審判はいつになったら「ホームタウンデシジョン」への過剰反応をアウエーチームに反映させ続けるのだろうか。それは当該チーム同士の問題ではなく、主審個人の心の問題である。
そしてこの日の主審を務めた穴沢努は、プレーヤーのシャツのすそが気になって仕方がないと言わんばかりの「教育的指導」を観客に90分もの間見せ続けたのだった。
バスで向かったので昼過ぎには新静岡に到着。珍しくキックオフ2時間前には日本平に着いてしまった。こんなときのために持ってきた…というわけではないけれども、スタンドでビールを飲みながら再始動した書籍企画のゲラを読み直す。オレは高橋直子か。だんだん単なるカラオケショーになってしまっているパルちゃんショーを悲しい思いで(横目で)見ながら、どんどん読み進める。
数日前にゲームをこなした京都と1ヶ月ぶりの公式戦となる清水ではゲームの入り方に差があるのは当然のことで、しかも実際に機能していたのかは別としても、この1年半もの間、最重要プレーヤーのひとりだったフェルの完全離脱後は清水が別のチームになる可能性もある。これは開幕して3ヶ月過ぎたものの、別の意味で<開幕戦>と言ってもいい、非常に位置づけの難しいゲームである。そして、このゲームに勝つか負けるかでは今後の展開も相当変わってくるはずの節目となる勝負のゲームである。
<開幕戦>としては決して悪い入り方ではなく、むしろロジカルに京都DFを崩してゴールに迫る。しかし前半は二度、三度と決定的なチャンスを作りながらも決めきれない。初スタメンになったパウロもスタンドに響くほど声は出ているものの、正直、どこが健太がいう通り「よくなった」のか、さっぱりわからず、案の定前半で兵働と交代させられる。当然である。
そして後半、よりによってフェルナンジーニョが先制点を叩き込み、何の恨みがあるのか、喜びを大爆発させる。あの喜び方は尋常ではない。間違いなく去年秋の日本平でのガンバ戦よりも喜んでいた。リセット男の面目躍如である(画像はゲーム前、チームメイトの陰に隠れるようにストレッチするリセット男)。
すぐさま枝村が同点ゴールを叩き込むが、引き分け程度では払拭できないほどスタンドの空気も不穏なものになる。
今季逆転勝ちなど一度もしたことがないのに、である。
ここでさらに久さんはフェルと柳沢に替えて、田原と林を投入。テクニカルなふたりからより縦への狙いが明確なふたりが投入されたことで恐怖は倍増した。これで負けたらもう健太を庇い切れない…ホントにそう思った。それを予感させるほど怖い交代である。
ま、彼らが久さんの期待通りに決めばの話であるが(結果的に終了間際の超絶チャンスすら決められなかった)。
一方、健太はここで今日も残念だったアウに替えて一樹を投入する。そして後半38分セットプレーから一樹とシジクレイが重なり合い、記念すべき800ゴールとなるオウンゴールでついに逆転。残り時間は10分ほど、スタンドの雰囲気が一変する。
もうしばらく逆転ゴールの歓びなんて忘れていた。
ひとつのゴールが劇的にスタジアムの空気を変える。
それでもネットには健太を批判する輩がいる。勝負事(そしてサッカーというエンタテインメント)というのはシステム論のような数字の並べ替えや補強のような足し算だけでは計れない。もちろんゲームの前提となるシステムやチームコンセプトの核となる補強を否定するものではないが、星一徹のちゃぶ台のように、それが頭っからひっくり返されたのが、現状なのである。しかし、だからといって、この3年間で健太が示した大きなストーリーを忘れてはいけない。
ま、結局はDon't think,Feel!が判らない人はどうしたって判らないってことなんだと思うんだが。
健太「今日の勝利というのはやっぱり……中断期間中にまあ何人か……っていうか中心選手が1人外に出て、まあ自分たちが何とかしなければいけないと。また逆にその選手がいなくても自分たちの力をですね、キチッと示すんだという強い意思というのがですね、今日のゲームに感じられたという風に思ってますし、やっぱそういう思いがチームを一つにしてったんじゃないかなという風には思ってます」(Sの極み 6月28日付)
次は今週水曜日、いよいよナビスコカップ決勝トーナメントに突入。カシマスタジアムで鹿島戦である。次も大事な勝負だ。
静岡でゲラを読み終え、ユーロ決勝に合わせ日曜の夜に帰京。
(追記)
日本の審判はいつになったら「ホームタウンデシジョン」への過剰反応をアウエーチームに反映させ続けるのだろうか。それは当該チーム同士の問題ではなく、主審個人の心の問題である。
そしてこの日の主審を務めた穴沢努は、プレーヤーのシャツのすそが気になって仕方がないと言わんばかりの「教育的指導」を観客に90分もの間見せ続けたのだった。