ドキュメンタリー~The REAL~「サッカー ヒルズボロの悲劇」
<1989年、ヒルズボロスタジアムで開催されたFAカップ「リヴァプール×ノッティンガム・フォレスト」。両チームの熱狂的なサポーターが集うテラス席で96人が犠牲になった痛ましい事件は起こった。>
(Jsports ドキュメンタリー~The REAL~)
※「ヒルズボロの悲劇」の事件の詳細。
フィルムに登場する証言者――その多くは被害者家族や関係者だが、その一人ひとりが「真実」という言葉を繰り返す。
作品の中でも言及されるのだが、大衆紙の『ザ・サン』は「The Truth(真実)」と題した記事の中でリバプールサポーターが「警官に向かって排尿した」「救助中の警官を暴行した」と書いたのだ。
時代はプレミアリーグ前夜で、80年代で、フーリガニズムが燻っていた。
作品の前編ではヒルズボロを管轄する南ヨークシャー警察の経験豊富な警備担当者がなぜセミファイナルのゲーム直前に退任することになったのか(これが実に下らない理由だったりする)、新任の現場責任者がいかにサッカーに無知で、スタジアム警備に経験不足であったのかが再現フィルムを交えながら描かれる。
事故直後にまとめられた「テイラー・レポート」では、フーリガニズムの影響を排除し、適切な誘導やスタンドでの危機管理を講じなかった警備体制の問題が指摘された。この時点で「The Truth(真実)」は否定されていたのだが、警察は『ザ・サン』のように「真実」を歪めて、もうひとつのストーリーを作り上げようとする。被害者の血中アルコール濃度、過去の犯罪歴を調べ、まるでチケットを持たず、酒に酔ったリバプールサポーターが入場ゲートを破壊し、狭いテラス席に殺到し、圧死者が続出したかのようなストーリーを展開する(メディアにリークもする)。
挙句の果てにピッチ内外で犠牲者の救助に奔走していた現場の警官たちの証言も都合よく改ざんしていく。
犠牲者とその家族、関係者は20年以上にわたって幻想のフーリガニズムの犠牲者(もしくは当事者)として傷つけられる。被害者、そして関係者でありながら悪者にされた者たちと共に、証言を改ざんされたことを知った現場の警官たちも同じように苦悶し続けた。
そしてフィルムにクライマックスが訪れる。
2009年4月15日、ホームスタジアムであるアンフィールドで、3万1000人のリバプールサポーターが集まり行われた20年目のヒルズボロ追悼式典。文化・メディア・スポーツ省のアンディ・バーナム大臣がブラウン首相のメッセージを読み上げ始める。
その時、誰かが叫ぶ。
「正義を!justice!」
スタンドから拍手が湧き、被害者家族を支援し続けたサポーターの大合唱が巻き起こる。
「96人に正義を!」
そして再び拍手。
リバプールのサポーターだってきっと傷つけられ続けていたのだ。「悪者」として。
それまでフィルムの中で嘆き、悲しみ、怒りをぶちまけていた被害者関係者は口々に「あの時から変わった」という。
スタンドの光景を呆然と見ていたバーナムらによって、公開文書の調査と分析を行うヒルズボロ独立委員会が設立されたのは翌2010年のことだった。96人の犠牲を「事故死」としていた判決は破棄され、警察上層部によって改ざんされた現場の警察官たちの証言は、改ざんの証拠と共に、「元通り」に改めてオンラインで公開された。事態は急速に動き始める。
20年という月日が経ったから動き始めたという老獪な政治家のような言い方もできるのだろうが、いくら時間が経っても「忘れない」ことがやっぱり大事なのだ。
「正義」という言葉だけで拒絶反応を示してしまう人は少なくない。しかし何が正義なのかはともかく、不正義は誰にでも理解できるはずだ。
最初に正義を叫び、不正義を告発するひとりになるのには勇気がいるのかもしれない。でも誰だってスタンドで正義を求める大合唱ぐらいはできるだろう。
スタンドの執念深さと勇気に胸が熱くなった。執念深さってのはいい意味で、だよ。
ESPN 30 for 30: Hillsborough Disaster
<1989年、ヒルズボロスタジアムで開催されたFAカップ「リヴァプール×ノッティンガム・フォレスト」。両チームの熱狂的なサポーターが集うテラス席で96人が犠牲になった痛ましい事件は起こった。>
(Jsports ドキュメンタリー~The REAL~)
※「ヒルズボロの悲劇」の事件の詳細。
フィルムに登場する証言者――その多くは被害者家族や関係者だが、その一人ひとりが「真実」という言葉を繰り返す。
作品の中でも言及されるのだが、大衆紙の『ザ・サン』は「The Truth(真実)」と題した記事の中でリバプールサポーターが「警官に向かって排尿した」「救助中の警官を暴行した」と書いたのだ。
時代はプレミアリーグ前夜で、80年代で、フーリガニズムが燻っていた。
作品の前編ではヒルズボロを管轄する南ヨークシャー警察の経験豊富な警備担当者がなぜセミファイナルのゲーム直前に退任することになったのか(これが実に下らない理由だったりする)、新任の現場責任者がいかにサッカーに無知で、スタジアム警備に経験不足であったのかが再現フィルムを交えながら描かれる。
事故直後にまとめられた「テイラー・レポート」では、フーリガニズムの影響を排除し、適切な誘導やスタンドでの危機管理を講じなかった警備体制の問題が指摘された。この時点で「The Truth(真実)」は否定されていたのだが、警察は『ザ・サン』のように「真実」を歪めて、もうひとつのストーリーを作り上げようとする。被害者の血中アルコール濃度、過去の犯罪歴を調べ、まるでチケットを持たず、酒に酔ったリバプールサポーターが入場ゲートを破壊し、狭いテラス席に殺到し、圧死者が続出したかのようなストーリーを展開する(メディアにリークもする)。
挙句の果てにピッチ内外で犠牲者の救助に奔走していた現場の警官たちの証言も都合よく改ざんしていく。
犠牲者とその家族、関係者は20年以上にわたって幻想のフーリガニズムの犠牲者(もしくは当事者)として傷つけられる。被害者、そして関係者でありながら悪者にされた者たちと共に、証言を改ざんされたことを知った現場の警官たちも同じように苦悶し続けた。
そしてフィルムにクライマックスが訪れる。
2009年4月15日、ホームスタジアムであるアンフィールドで、3万1000人のリバプールサポーターが集まり行われた20年目のヒルズボロ追悼式典。文化・メディア・スポーツ省のアンディ・バーナム大臣がブラウン首相のメッセージを読み上げ始める。
その時、誰かが叫ぶ。
「正義を!justice!」
スタンドから拍手が湧き、被害者家族を支援し続けたサポーターの大合唱が巻き起こる。
「96人に正義を!」
そして再び拍手。
リバプールのサポーターだってきっと傷つけられ続けていたのだ。「悪者」として。
それまでフィルムの中で嘆き、悲しみ、怒りをぶちまけていた被害者関係者は口々に「あの時から変わった」という。
スタンドの光景を呆然と見ていたバーナムらによって、公開文書の調査と分析を行うヒルズボロ独立委員会が設立されたのは翌2010年のことだった。96人の犠牲を「事故死」としていた判決は破棄され、警察上層部によって改ざんされた現場の警察官たちの証言は、改ざんの証拠と共に、「元通り」に改めてオンラインで公開された。事態は急速に動き始める。
20年という月日が経ったから動き始めたという老獪な政治家のような言い方もできるのだろうが、いくら時間が経っても「忘れない」ことがやっぱり大事なのだ。
「正義」という言葉だけで拒絶反応を示してしまう人は少なくない。しかし何が正義なのかはともかく、不正義は誰にでも理解できるはずだ。
最初に正義を叫び、不正義を告発するひとりになるのには勇気がいるのかもしれない。でも誰だってスタンドで正義を求める大合唱ぐらいはできるだろう。
スタンドの執念深さと勇気に胸が熱くなった。執念深さってのはいい意味で、だよ。
ESPN 30 for 30: Hillsborough Disaster