3月末に始まった官邸前抗議もこの日で半年を迎えた。
まあ、個人的には去年の夏の行動も相当濃かった印象があるが、今年の夏も熱かった。抗議という行動の性格上、場所を固定して戦うというのは非常に粘り強く我慢の要るものだったと思う。人はどうしたって“飽きてしまう”ものなのだから。それでも街を移動し続けるデモ(ンストレーション)ならばそうした“ストレス”も多少は緩和されるものの、ただひたすら建物に向かって、変わらない風景の中でコールとスピーチを繰り返すしかない抗議行動は、どうしたってルーチンになりかねない。
それでも状況が変わるまで、オレたちはひとつのコールをひたすら我慢強く、繰り返して叫んできた。
一方で変わらない状況に我慢できない人たちは何だか頓珍漢な企画を考え出してしまう。
正門前のスピーチエリアで行われた「第九」というの企画は一体何だったのだろう。スピーチエリアは明らかに人が減っていて、「第九」が始まろうとしたとき、列を抜けていく(移動していく)人たちは正直少なくなかったと思う。
わざわざそんなことをしなくてもオレたちは「その場」をクリエイトしていけるはずだ。
この日は久しぶりに国会議事堂前駅で降りて、まず官邸前の最後列付近でひたすら声をあげた。
そしてまたもやトラメガにも文句をつけた(参加者と警備と誘導スタッフのトラメガ)。最後列付近はただでさえメインのトラメガから遠いし、出ている声もまず小さいのだから、別のトラメガが叫び始めるとそんな小さな声は簡単にかき消されてしまう。申し訳ないとは思ったけれども、抗議に来た人たちに抗議をしている実感を持って貰う方が大事なのだから(つまりは自分から声を出す、声をあげるということ)、レスポンスにトラメガを被せるような行動はちょっと黙っていられない。人が必死にあげている声をかき消すようなトラメガやホイッスルに対してはうるさいです、オレは。まあこれがデモならば、トラメガが自分に合わなければ移動すればいいだけの話なのだけれども。
そして国会正門前へ移動。まずスピーチエリアは前述の通り、ますます難しいエリアになっていると思う。頓珍漢な企画もそうだけれども、何であそこのコールリーダーやスピーカーは「変わったこと」を言いたがる人たちが多いのだろうか。たぶん、それは以前も書いたようにシングルイシューやシンプルなコールを“我慢できない人たち”なのだと思う。
むしろ“ウグイスエリア”の方が、彼女以外にも実に気合いの入った、上手な男性のコールリーダーが何人か登壇していてちょっと見直してしまった。ウグイス嬢の、相変らずの美声はともかく、やっていること自体は官邸前と同じようにシンプルだから、前回よりも人が集まっていたような気もするし、そんな人材も登場する。まあ勿論それはオレが見ていなかっただけで、実際、彼らは前からいたのだろうけれども。
例えばプログラムピクチャーの時代に東映任侠路線が「総長賭博」や「網走番外地 望郷篇」「仁義なき戦い」「仁義の墓場」のような名作を生み出したように、オレたちはたとえルーチンであろうとも、自分たちが定めた場所で、同じようなコールをシンプルに繰り返す中で状況をクリエイトはしていけるはずだと、改めて思う。変な企画を考え出さなくとも、である。