日曜日は名古屋戦のような歓喜があった一方で、静岡で悲しい出来事もあった。
前々から気になっていたのだけれども、スタジアムに行く前に七間町に寄ってみたら、何とこの日が静活が運営する七間町の映画館4館の最終日だった(もちろん閉鎖になるというニュースは読んでいたのだけれども)。
何というデスティニー。
もう20年以上前に静岡から離れた人間ではあるのだけれども、70年代から80年代にかけて静岡の映画少年だった人間としては、こんなに悲しいことはない(もちろん映画街の全盛期は50年代から60年代…ということはオレの親世代だが)。勉強もせずに映画館行って、ポスター屋と輸入盤屋に寄るというパターンで小中時代を過ごした。80年代の半ばになると一時期映画も面白くなくなったこともあって、その頃には興味の中心が音楽に傾いて行ったけれども、それでも七間町の映画街というのは、間違いなく現在の自分を作った重要な記憶ではある。
ひと通り映画街を歩いたあと、青葉公園で煙草を吸っていたら猛烈な焦燥感に襲われた。もはや何もできないことに対して、そして守るために何もしなかったことに対する後悔に居ても立ってもいられない、ということである。
もちろんこのご時勢に、そして静岡の街の中心が変わろうとしている現在、繁華街の外れになってしまった七間町の映画街が、新しい街の中心にシネコンとして再起を図ろうとするのは、仕方がないが理解できる。
しかし日本平(アウスタ)というスタジアムが清水エスパルスとサポーターの記憶をいつまでも留めていくのと同じように、七間町の映画館という劇場は観る者の記憶を貯める場所である。
しかも劇場というものは一度壊したら、おそらく、二度と、建たない。特に静岡オリオン座というクラスの劇場の再建は、地方の場合ほとんど無理だろう。
「場」がなくなるというのは記憶をリセットしてしまう悲しさが伴う。
それはある意味「死」と同じである。
もはや何の劇場で、どの作品が、ということはないんだが、個人的に静岡の記憶がなくなっていくのは悲しい。
街の財産として、失われたものは小さくはない。
しかし、「七間町で映画を観る会」とかカテゴリーを作りながら結局1回しか行ってないことに後悔している。
アウスタから静岡駅に戻ってから酒を呑んだ。しかしおでん街あたりで酒を呑むとセンチメンタルになりそうだったので駅南で呑んだ。マジ泣きしそうだったからなァ…。