
日曜日はアウスタで仙台戦。
40分以上、10人になった川崎を攻めあぐねたように、どんなに前半が眠気(と怒号)を誘う展開であったとしても一発のゴールで雰囲気は一変する。残り10分(後半36分)の時点で決勝点を叩き込まれた川崎戦では、インジュリータイムが掲示される前に帰りのシャトルバスを気にして席を立つような人が少なくなかった。
スタンドを一気にヒートアップさせたアレックスの先制ゴールから、残り10分(またしてもゴールは後半36分)から仙台が見せた怒涛の攻めで、終了のホイッスルが鳴るまでスタンドを立つ人はほとんどいなかったと思う。仮にいたとしたらおっちょこちょいのアホである。
約2週間で5連戦というキチガイじみたスケジュールの最終戦、スタンドで野次を飛ばす人間が思う以上にプレーヤーは疲弊している。だからこそウノセロという展開は痺れるのだ。スペクタクルばかりがサッカーではない。サッカーはファンタジスタの自己表現である以前に「ゲーム」なのだ。ウノセロというキリギリの局面にこそゲームの醍醐味が味わえる。
アフシンは川崎戦のゲーム後にこんなコメントを残している。
「私が非常に悔しく思っていることは、試合の結果ではなくて、我々が後半の終盤、しっかりとゲームを管理できなかったことです。3-2で負けていましたが、まだ時間はあった中、サッカーをするのではなく、ボールを放り込みだしてしまいました。もしかしたら、選手たちの疲労やフラストレーションの部分から蹴ってしまったのかもしれません」(J'sGOAL 6月22日付)
オレはあの川崎戦の打つ手なしの展開・状況でのパワープレーは当然だと思った。結果というリアルを追求するのならば、時間のない状況で「放り込む」のは仕方のない手段である。しかしアフシンは「ゲームをしろ」とメッセージした。
そんな意味で仙台戦の前半から後半の序盤にかけての展開は実に川崎戦に似ていた。仙台はカウンターでゲームを支配していた。だからピッチ上ではなくスタンドに「フラストレーション」が広がった。ボールを呼び込む動きの少ない辻尾(それにまた岩下が激怒していたのだが)や消極的なパスを繰り返す平岡、真希…まさに川崎戦(の後半)アゲインな展開であった。しかし「放り込み」は少なかったと思う。結局ゲームを決めたのは執拗にチェックされようとも粘り強くサイドで勝負を続け、ゲームを作った宏介のクロスを永井が仙台DFを引きつけスルー、背後にいたアレックスが足元に合わせた美しいゴールだった。
前節から中3日ということもあるけれども、このゲームは前節の川崎戦から地続きにある。
このチームが川崎戦と同じような状況で辛抱強く、「放り込む」ことなく跳ね返したことが素晴らしい。成長というのは、新しい「何か」を手に入れることだけではなく、同じ過ちを繰り返さないということでもある。
終了後、アフシンは仙台の被災地とクラブに対してメッセージを送り、この日の勝利給を被災地へ送ることを表明した。
2011年は不幸な年だと記憶されるだろうが、オレたちは本当に幸せなリスタートを切っていると思う。
次節は今週土曜日に三度アウスタで天敵、鹿島。
今の清水は本当に観る価値があるはずだ。