徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

正義はきちんと行われているか/井上ひさし「イヌの仇討」

2012-11-27 12:37:23 | Books


<いきなり大風呂敷を広げるようで恐縮であるが、人間にとって最大の悪は病いと負傷と死に違いない。そこで人間はそういう悪の恐怖から逃れそれらの危険を避けるために、たがいに寄り付き合い結ばれ合って、社会という共同体をつくった。そうしてそれぞれの力をひとつの権威に預け任せることを発明した。つまり人間は社会的な動物になったわけである。
 では、その人間たちの最大の関心事はなんであったか。意見はさまざまに分れるだろうが、私の考えでは、
「正義はきちんと行われているか」
 これにもっともか関心が集まっていたのではないかとおもわれる。そして正義の根本は平等にあった。(中略)実際綱吉という人物は奇妙である。その治世を二つに分ければ、前半期(天和-貞享)の彼は名君だったといってよかろう(中略)重要なのはこの時期の彼が掲げた政治原理で、それは、
「賞罰厳命」
 である。「刑罰の公平な割当て」が政治を刷新し、人心を活気づけたわけだ。
 ところが後半期(元禄-宝永)の政治はひどかった。綱吉は一気に暗君、愚君、暴君に成り下がる。たとえば悪名高い生類憐みの令。近ごろ、これは簡単に悪法ときめつけるのではなく、「命あるものを、人類を含めて憐れむ心が大切である」とした綱吉の初志をすこしは評価したいという見解もあるようだが、しかし一禽一獣のために処罰された者十万、そのために家がこわれて流離散亡した者数十万というのでは困る。(中略)したがって赤穂浪士による上野介殺害は、大公儀(おかみ)がつくりだした不公平への抗議、実力による正義の回復だった。彼らの抗議は本所の吉良屋敷を通して、生類憐みの令や金銀貨の悪鋳とそれが引き起こしたインフレ(年率平均十五%の物価上昇)やその他もろもろ、幕政全体にまで及んだ。人びとの「正義は行われてほしい」という願いが討入りにそういう意味を持たせたのだ。
 忠臣蔵物語を、今も私たちが愛するのは、やはり不公平な世の中がつづいているからだろうか。>
井上ひさし『イヌの仇討』文春文庫「日本の仇討」より)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿